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【上杉家の大減封】
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やはり無傷では済まず
話を戻しましょう。
こうして危機を乗り切った……かに見えた上杉家でしたが、やはり無傷ではすみませんでした。
「お前ら危機意識が足りないんじゃないの? 家と藩は残すけど、ペナルティな」ということでお咎めをくらい、またまた減封。
このときは30万石から15万石(12 or 18万石という説も)まで減らされてしまいました。
景勝時代からすると約1/8~1/10。
「もうやめて!上杉家のライフは」と言ってあげたくなります。
220年ローンを完済だ!
この後も
・藩主が病弱などの理由で頻繁に変わる
・KYな人が藩主になって贅沢をしてしまったがためにますます借金がかさむ
などなど、上杉家に度重なる苦境が舞い降りてきます。
それでもリストラをしないあたりが頑固というかクソ真面目というか、執念というか、上杉謙信のカリスマ恐るべし……。
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そして9代目藩主・上杉鷹山が現れ、藩政改革を実行――。
ようやく上杉家は借金を完済することができたのでした。
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上杉家が米沢に来てから220年ほど後のことです。
もう、これこそ天晴というほかないでしょう。
2世紀以上かけて借金対策をし続けた上杉家、すごい!
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長月七紀・文
【参考】
国史大辞典
別冊歴史読本15『御家断絶-改易大名の末路』(→amazon)