絵・富永商太

豊臣家 信長公記

樋口直房の逃亡と殺害~背景に秀吉の謀殺計画|信長公記第115話

2020/02/27

【長島一向一揆】を殲滅するため、織田軍の主要メンバーで伊勢まで進軍した信長。

不思議なことにその中には明智光秀の名前も羽柴秀吉(豊臣秀吉)の名前もありませんでした。

光秀は、京都の政務を任されるからまだわかります。

問題は秀吉です。

北近江の領地を与えられていた秀吉は、対越前一向一揆のためそのまま守備につき、代理として弟の羽柴秀長(豊臣秀長)を長島一向一揆の戦地へ派遣していたのです。

何やらチョット違和感がありませんか?

秀吉自身が長島攻めに参加して、北近江の守備を秀長や竹中半兵衛らに専任させたほうが羽柴家が軍功を稼ぐチャンスは多いわけです。信長にしても、弟・秀長より秀吉のほうを信頼しているでしょう。

その辺の政治バランスに抜け目のない秀吉が、なぜわざわざ自ら近江に留まったのか。

実はこのとき越前方面で、歴史的にはほとんど目立たない、されど大きな動きがあったのです。

📚 『信長公記』連載まとめ

 

樋口直房が妻子を連れて甲賀へ逃亡した!?

このころ各地の一向一揆に手を焼いていた信長は、【越前一向一揆】に対する備えとして、木目峠(=木ノ芽峠・越前と若狭の間にある峠)に砦に設置。

樋口直房という武将を置いていました。

この樋口が突如、織田軍から逃亡します。

『信長公記』には「妻子を連れて甲賀へ逃亡した」と簡単に書かれているのですが、これが何から何まで全部おかしい、怪しい。

信長の密命を受けた秀吉が、樋口を謀殺したのではないか?

そんな風に思える展開なのです。

話が唐突すぎてワケがわからないでしょうから、一から見ていきましょう。

 


堀秀村と樋口直房の10万石

元々、この直房は、北近江の豪族・堀氏の家老でした。

浅井長政の傘下にいて【長比砦】と【刈安砦】の守備を任されていたのですが、この2つの拠点がとにかく重要地点でありまして。

言葉で説明されるより、地図を見れば一目瞭然でしょう。

一番左の赤い拠点が小谷城で、右の黄色い拠点が岐阜城。

そして両城の間にある2つの赤い拠点が【長比たけくらべ砦と苅安かりやす砦】になります。

いわば岐阜城⇔小谷城の関所のようなものであり、浅井家にとっては最善基地でもありますね。

それが堀秀村と樋口直房が織田軍に投降したことにより、下図のように勢力拠点が塗り替えられました。

小谷城を守ってきた2つの砦が一転して、小谷城の喉元へ刃を突きつけるようなカタチになったのです。

これほど大事な砦を無傷で手に入れたのですから、信長としては笑いが止まらなかったでしょう。

むろん、織田軍に降っただけでも堀秀村の戦功は凄まじく、浅井氏が滅びた後、信長から北近江10万石を与えられています。

これは当時の秀吉支配権よりも広いものでした。

しかし、さすがに10万石というのは、秀吉にとっても、信長にとっても、決して小さい数字ではないわけで……。

いざ浅井を倒したら邪魔くさくなった――とは、他の家臣の離反を招きかねず、口には出せません。

そこで皆の目が伊勢長島に向いてる間に、秀吉が樋口直房を処分したのではないか?という疑念が湧いてくるのです。

 

甲賀を目指す理由が全く見えない

色々とおかしいところのある樋口直房の逃亡劇。

まず「甲賀を目指して逃げた」というのが不自然極まりない。

越前方面から甲賀へまっすぐ向かうとなると、当然のことながら北近江を抜けることになります。織田家を出奔するというのに、秀吉の監視下にあるエリアをわざわざ通るでしょうか。

これも地図で見てみましょう。

黄色い拠点が木目峠砦で赤い拠点が甲賀です。

本当に逃げるつもりなら、他にもっと安全な道がある。妻子を連れているならなおさら。

そもそも甲賀を目指すのがおかしいのです。

この時期の甲賀に、信長に対抗できるほどの勢力はありません。六角義賢が密かに粘っていたとも言われていますが、本気で身を隠したいなら、もっと他に適したエリアがあるでしょう。

越前からさらに北の北陸方面を目指してもいいですし、西へ向かうか、あるいは敦賀あたりから海路を使う手もある。秀吉(琵琶湖の東側)や光秀(琵琶湖の西側)の監視下にあるエリアを通ってまで甲賀を目指す理由がまるでわかりません

前述のように、この件で信長公記に書かれているのは

・羽柴秀吉が直房の逃亡を聞きつけて追手を放ち、樋口夫妻の首を取った

・二人の首は、長島攻略中の信長のもとに届けられた

ということだけ。

周辺の状況から色々と想像するしかありませんが、一つ決定的に怪しいことがあります。それは……。

 

秀村の10万石は召し上げられ……

決定的に怪しい点。それは樋口直房の逃亡直後、堀秀村が領地を召し上げられてしまったことです。

つまり10万石を一瞬にして失うと同時に、それは織田信長の下へ返された。

全て、豊臣秀吉の描いた絵図だったら?

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それなら日の出の勢いの羽柴秀吉が長島一向一揆に参加せず、近江に留まった理由も納得できます。

落ち度のない堀秀村を無理に罰して領地を召し上げるより、家老の直房にイチャモンを付けて責任問題にしたほうが、表向きは丸く収まります。

樋口直房の逃亡については他の家臣も不審な印象は受けるでしょうが、理由もなく秀村を改易にして10万石を露骨に召し上げるよりはマシ――。

信長を礼賛する『信長公記』が、直房の裏切りをごくわずかな記述で済ませているのも、あまり詳細を突っ込みたくなかったのかもしれません。

 


領地を失った秀村は、あろうことか秀吉に仕える

まぁ、この手の陰謀論は、大半が眉唾であると我ながら冷笑してしまうのですが、今回ばかりは……と思ってしまうのも率直なところ。

いずれにせよ土地も城も失った堀秀村は、しばらくしてから秀吉に仕え、その後、羽柴秀長に仕えたようで、ここも非情な措置ですよね。

秀村にしてみれば樋口の裏切りは納得のいかない一件だったでしょう。

秀吉が何か細工をしたのではないか? それぐらいの推測は持っていたはず。織田家の他の武将たちも不審に思うかもしれない。

そんな状況下で、秀村自らが羽柴家に仕えれば、樋口直房殺害の一件が『秀吉の罠だったんじゃね?』と家中で囁かれることは減るでしょうし、見方を変えれば「途方に暮れる秀村を救ったのは秀吉だった」という構図にもできる。

10万石を取り戻した織田信長から見てもメリットのある話です。

それでも羽柴のもとで武士として生きていくしかない秀村。

謀殺計画など無かったとしても、なんだか悲しいものがありますね。

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
『信長と消えた家臣たち』(→amazon
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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