島左近

島左近/wikipediaより引用

豊臣家

島左近の生涯|関ヶ原に散った勇将は「三成にすぎたるもの」だったか?

2024/09/14

慶長5年(1600年)9月15日は島左近の命日です。

諱は清興(きよおき)。

あるいは勝猛(かつたけ)とも伝わりますが、この島左近が多くの戦国ファンに支持されるのは、石田三成との主従コンビが劇的だったからでしょう。

とにかく有名すぎる唄がこちらですね。

三成にすぎたるものが二つあり

島の左近と佐和山の城

「石田三成に持たせるにはもったいないものが2つあって、それが島左近と佐和山城だよ」という内容。

こうした高い評価に支えられてなのか。

今なお島左近の人気は高く、漫画やゲーム、あるいはゆるキャラなどでも大活躍しています。

そこで気になってくるのが史実の姿でしょう。

漫画やゲームから離れた、島左近とはどんな人物だったのか。

本当に石田三成にはもったいないほど有能な武将だったのか。

島左近/wikipediaより引用

生涯を振り返ってみましょう。

※「嶋」という表記もありますが、本稿では「島」で統一します

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大和の武士として生まれる

島左近の出自である島氏は、もともと大和国の在地領主であろうと見なされています。

そこではじめは河内国守護の畠山氏に仕えていましたが、徐々に没落。

代わって台頭してきたのが、畠山氏の有力家臣・筒井氏でした。

島氏はこの筒井氏に従うようになり、当主が筒井順慶になった頃には、左近も侍大将にまで出世していたことが確認されます。

筒井順慶/wikipediaより引用

フィクションでは「まだ幼い筒井順慶を盛り立てる」という描写も見受けられますが、後世の潤色と見なすのが妥当なようです。

そんな左近にとっても驚愕の出来事が起きたのが天正10年(1582年)6月2日のことです。

ご存知【本能寺の変】が起き、織田信長が討たれてしまいました。

信長を討った明智光秀は、自身の与力であった筒井順慶に助勢を求ます。

順慶の返答次第では、左近の命運も劇的に揺れる場面。

光秀の誘いをキッパリ拒絶した細川藤孝とは異なり、順慶はあいまいな態度をとり続け、その様は「洞ヶ峠の日和見」として後世に至るまで揶揄されています。

結局、順慶は、光秀を素早く打倒した豊臣秀吉に仕えることとなりました。

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大和で起きた 豊臣一族 不幸の連鎖

本能寺から2年後の天正12年(1584年)、筒井順慶が世を去りました。

次の筒井当主に就任したのは、順慶の甥であり、養子だった定次。

この筒井定次が伊賀上野へ転封になると、天正16年(1588年)、島左近は筒井氏から離れて大和国にとどまります。

ただし、致仕後も、筒井氏や大和の人々との交流は続き、左近の娘・珠は柳生利厳の継室となっています。尾張家に仕え、剣術指南役として名を残した柳生の一族ですね。

肝心の島左近は?

大和といえば、大和大納言と称された豊臣秀長が統治し、左近も秀長に仕えたとされます。

豊臣秀長/wikipediaより引用

しかし、仕えてまだ間もない天正19年(1591年)に死去してしまい、今度は豊臣秀保に従いました。

秀保は、秀吉の姉の子です。実子のいない秀長の養子となっていて、数少ない豊臣一門の若き貴公子とも言えましたが、今度は秀保が文禄4年(1595年)4月に不可解な経緯で亡くなってしまいます。

享年17という若さで、その死は隠匿されました。

しかし一族の不幸は止まりません。秀保の死からわずか3か月後に、その実兄である豊臣秀次も非業の自死を遂げてしまうのです。

あまりに不可解な豊臣一族の連続死――そんな世の中に嫌気でも差したのか。

左近は浪人となり、世から消えました。

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石田三成が「三顧の礼」で向かえる

在野の島左近には、幾度となく仕官の声がかかったとされます。

しかし、いずれの誘いにも応じず。

そんな彼の心を動かした武将がいました。

豊臣政権でトップクラスの官吏武将である石田三成――石高4万石に過ぎない三成は、半分の2万石を差し出してまで、左近を召し抱えたいとのこと。

君臣禄を分かつ

そんな感動的な逸話として後世に伝えられますね。

実際のところ、仕官を誘った頃の三成は佐和山城を有しており、石高はもっと高かったという指摘もありますが、ともかく島左近の心が動かされたことは確かです。

石田三成/wikipediaより引用

誠意あふれる人物であり、家臣に声を掛ける際には高待遇を持ちかけたとされる三成。

清廉潔白で慈悲深い人柄は領民から慕われ、江戸時代においてもひそかに語られ続けてきた――島左近とのエピソードも、そんな三成伝説の一端なのでしょう。

石田三成の家臣として島左近が侍る、そのような姿が確認できるのは天正18年(1590年)【小田原攻め】あたりと目されています。

と、一気に先へ進まず、ここで一呼吸置いて考えたいことがあります。

左近の出仕です。

やはりドラマチックな主従の出会いには注意が必要であり、特にこうした逸話はテンプレートが適用されがち。

具体的に言えば『三国志演義』の劉備と諸葛亮、いわゆる「三顧の礼」で知られる逸話です。

三成と左近という君臣も、いかにも劉備と諸葛亮を彷彿とさせるもので、古くから水魚の交わりとして認識されていたのでしょう。

ではなぜ三成は、高待遇で島左近を求めたのか?

豊臣秀吉は、武力よりも経済力や交渉力といった技能を重視していました。

石田三成がその典型例であり、自らの武力には自信がなかったとしても無理のないところです。

しかしだからこそ、自身の身辺を守るため、武に長けた家臣を求めてもおかしくない。

そういった意味で島左近は優れていたとも考えられます。

 

関ヶ原で奮戦の末に散る

石田家に仕えてから、三成と共に各地の戦場を駆け抜けた島左近。

しかし、その名に比して武功が目立たないのも、最前線で槍を振り回すタイプではない主君・三成の立場からして仕方ないのかもしれません。

島左近の名が最も輝くのは慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いです。

西軍は、前哨戦となる杭瀬川の戦いで快勝するのですが、

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この戦いで堂々と不意打ちをかけ、勝利に導く左近の姿は爽快感にあふれています。

ただし、その直後に提案した渾身の「夜襲案」は退けられてしまい、どこかチグハグなまま迎えた関ヶ原本戦――正午過ぎ、小早川秀秋の寝返りで西軍内に動揺が走る中、島左近は三成の陣で奮戦を続けます。

小早川秀秋/wikipediaより引用

しかし、裏切りは小早川で終わらず、そもそも、その小早川を食い止めるために配置されていたとも考えられる

・朽木元綱
・赤座直保
・小川祐忠
・脇坂安治

の四人までもが東軍についてしまいました。

さすがの島左近もこれには落胆を隠せなかったでしょう。

最期は、その身を銃弾に貫かれたとか、戸川達安に討たれたとか、諸説伝わります。

享年61。

島左近の激闘ぶりを見た東軍は、こう振り返ったといいます。

「思いだすだけでまことに身の毛もよだつ……汗がにじんでしまう」

島左近とは何者か?

そう語り合うと、みなそれぞれ特徴が一致しない。

恐怖のあまりマトモに見ることすらできなかったのだろう、と結論づけられたとか。

 


奈良県を代表する戦国時代の人物に

豊臣を守るために立ち上がった石田三成。

その三成と共に戦う大谷刑部。

そして島左近――。

大谷吉継のイラスト

大谷刑部(大谷吉継)イメージ/絵・富永商太

この西軍を代表する三人組は、忠義の象徴として、今なお高い人気を誇っています。

関ヶ原という舞台に欠かせぬ人物であるため、大河ドラマはじめ多くのフィクションに登場。

「名場面に欠かせない」という意味では、森蘭丸と似た立ち位置ともいえるかもしれません。

興味深いことに、島左近は奈良県の戦国時代を代表する人物といえるかもしれません。

筒井順慶は「洞ヶ峠の日和見」の印象が強く、どうにもイマイチ。

松永久秀は、見直しが進んでいるとはいえ、未だに「戦国一の梟雄」だの「平蜘蛛抱えたボンバーマン」といった印象がつきまとう。

柳生宗矩は、将軍指南役であり、大河ドラマ『春の坂道』の主役でもありますが、どうにも『柳生一族の陰謀』や『魔界転生』の印象が強く、妖しくて狡猾な印象が強く漂っている。

こうして考えてくると、忠義にあつく、強い島左近は、実に押しやすい――。

今後も石田三成の横で、大和代表の英雄として活躍してくれるでしょう。

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参考文献

  • 歴史群像編集部編『全国版 戦国時代人物事典 大名・家臣団・天皇・公家・宗教家・文化人・商人・女性・武芸者』
    (学研パブリッシング, 2009年10月29日, ISBN-13: 978-4054042902)
    出版社: 学研公式商品ページ
    Amazon: 商品ページ
  • 大石泰史 編『全国国衆ガイド 戦国の“地元の殿様”たち』
    (星海社新書, 講談社, 2015年8月26日, ISBN-13: 978-4061385719)
    出版社: 講談社公式商品ページ
    Amazon: 商品ページ
  • 笠谷和比古『関ヶ原合戦と大坂の陣』
    (戦争の日本史17/吉川弘文館, 2007年11月1日, ISBN-10: 4642063277 / ISBN-13: 978-4642063272)
    出版社: 吉川弘文館公式商品ページ
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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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