武士にとって、弓や刀と同様、絶対に欠かせないもの。
それが馬です。
馬には様々な用途があり、
・合戦
・移動
・スポーツ
・イベント
・贈呈品
・権威の象徴
と、物理的な使い方もさることながら、他にも武士ゆえの付き合いや見栄にも欠かせないものでした。
その最たる例が、織田信長の【京都御馬揃え】でしょう。

織田信長/wikipediaより引用
信長配下の者や親しい者たちを京都に揃えて行われた豪華絢爛の軍事パレード。
一番部隊から十一番部隊まで、その中には近衛 前久らの公家衆や、細川氏や伊勢氏など室町幕府の幕臣衆も参加しておりました。
当然ながら、柴田 勝家や明智 光秀、前田 利家など、お馴染みのメンツも参加しております。
一方で、馬と言えば、武田家が誇った騎馬隊などが戦場での華であり、当時から信長が恐れるほどに有名でしたが、同時代の北条家の方が騎馬数が多かった――なんて記録もあったりします。
今回は、戦国武将と馬を見て参りましょう。
馬は高級車以上のステータスシンボル
戦国武将にとって、どんな時でも大切な馬。
現代人が愛車自慢するように、彼らは何としても人よりよい馬を手に入れたいものだと願っていました。
愛馬とは、すなわち自身を魅せるためのステータスシンボルでもあるのです。
とりわけ当時は、奥羽の馬、中でも福島県中通りの生産馬が最上とされていました。
必然的に奥羽の大名にとって、それは大切なものとなります。
馬は、中央の権力者に贈呈するため、鷹と並んで大事なもの。
奥州を治めていた伊達輝宗は、信長に名馬を献上して、彼を喜ばせています。
もらった側の嬉しさたるや。
現代で喩えるならば、ランボルギーニやフェラーリなどの高級車をもらった以上の喜びかもしれません。
傅役・平手が切腹したのは馬をめぐるトラブルから!?
馬をめぐっては、心温まる贈り物だけでなく、トラブルも多々あります。
「お前の馬いいなあ。俺にくれよ」
「絶対にイヤ!」
こんなやりとりがあると、人間関係がこじれます。当たり前ですが。
著名な例では、武田信玄が父・信虎の愛馬である「鬼鹿毛」を譲ってくれと頼んで断られた話がありますね。

武田信虎(左)と息子の武田信玄/wikipediaより引用
あるいは、織田信長の傅り役であった平手政秀が切腹した理由は、
【政秀の長男・五郎右衛門と信長の諍いが原因】
そんな話もございます。
一説によると、五郎右衛門が持っている駿馬を信長が欲しがったところ、相手が悪態をついて断ったことが一因とされています。
駿馬の恨みは、なかなかおそろしい……。
勝頼や盛信の愛馬を見てニヤニヤ?
駿馬=現代の高級車と想像すると、確かに他人に向かって「それ、チョーダイ」というのは、たしかに強引な気がします。
稀代の権力者となった織田信長さんが、茶器と並んで駿馬のコレクターでもあります。
大名から贈呈されるだけでは飽き足らず、合戦で打ち倒した敵の馬も手に入れました。
武田家滅亡の折、武田勝頼の愛馬大鹿毛と仁科盛信秘蔵の葦毛馬が確保されると、すぐに進上させており『信長公記』等にも記されているほどです。

武田勝頼(左)と仁科盛信/wikipediaより引用
こうして信長が生涯に手に入れた馬は、三桁は越えるそうで。
全部乗りこなせたとも思えませんから、手に入れて眺めてニヤニヤしていただけの馬もいたことでしょう。
ガレージに並んだ愛車を眺めるコレクターのようですね。
御馬揃えは自慢のイベント
そんな名馬コレクター信長にとって、御馬揃えはコレクションを自慢する晴れの舞台でもありました。
このとき、信長の愛馬六頭が披露されています。
・鬼葦毛
・小鹿毛
・大葦毛
・遠江鹿毛
・小雲雀
・河原毛
誰もが驚くほどの名馬は、遠くは奥羽から集めた名馬です。
観客が驚きの声を上げる様子を、信長は満足げに眺めたことでしょう。馬具も美しく素晴らしい古今の名物であり、見る者を驚かせたそうです。
現代風に言えば、高級スポーツカーを、著名なチューンナップ会社で特別仕様に仕上げたカスタムカーみたいなものでしょうか。
集めるのが好き、乗るのも大好き、馬揃えや競馬も大好き、信長さん。
そんな彼が普段から馬で野山を駆け回っていたからこそ、『戦場の高低差を意識して勝利に持ち込めたのではないか?』という「桶狭間の戦い」記事は以下の記事をご覧ください。
-

桶狭間の戦い|なぜ信長は勝てたのか『信長公記』の流れを振り返る
続きを見る
戦国時代の馬は、本当にポニーサイズ?
大河ドラマ等では、サラブレッドのように見目麗しき馬に乗って騎馬武者が突撃してゆく場面が見られます。
ここでよく言われるのが、「そうはいっても戦国時代の馬はポニーみたいなものでしょ?」という話です。
確かに当時は小型の馬ではありました。
宣教師は「西洋の馬と比べて見栄えが悪い」と記録しています。

宣教師と彼らに引き連れられた黒人たち/wikipediaより引用
ただしこれは戦国時代の馬に限った証言ではなく、フン族やモンゴル人の馬も、ヨーロッパ人からすると「醜い」と記録されています。
西洋人からすると、馬具の形状が見慣れないもので、たてがみの整え方も異なるため「なんだか変で醜い馬だ……」と思ってしまった可能性もあるでしょう。
「醜い=小さい」とは言い切れないわけです。
ちなみに現在の規定ではポニーとは体高147センチ以下のものをさします。
戦国時代の記録では、この規定ではかるとポニーではない馬もいたことになります。
たしかにヨーロッパや中東原産の馬よりは小型ですが、ポニーと一括りにはできないでしょう。
更には、小型だから必ずしも力が劣っているわけでもなく、前述したフン族やモンゴル人は、小型の馬でヨーロッパ大陸を荒らし回りました。
在来種の木曽馬が甲冑武士を乗せた状態のまま凄まじい速度で走り去る動画がエックス(旧Twitter)でも話題になっておりました。
「蘇った騎馬武者」
普段はおっとりの木曽馬。
しかし!
本気出したらスゴい!!
甲冑を身に纏った総重量90㎏の武者を乗せて約時速40㎞で突撃!
正に侍の馬武者の鎧がバタバタしてないのに注目!
上半身が揺れないのが和式馬術特有の騎乗方法です。ドン引きの迫力ですね。#紅葉台木曽馬牧場 pic.twitter.com/vahwDkvXnO
— 甲冑装束騎乗会 (@in20876533) May 26, 2020
ヨーロッパ人から見て日本の馬は、確かに「醜い馬」「小さい馬」だったのかもしれません。
しかし、勇猛果敢で、武士たちを乗せて立派に戦ったことは確か。
その歴史を考えれば、日本刀のように、突如、ゲームなどでブームがやってきてもフシギではないでしょう。
KOEIから発売の『駿馬乱舞』――。
マジでありかもしれませんね(と思ったら『ウマ娘』が先に出てしまいましたね……)。
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【参考】
馬の博物館『平成28年度秋の特別展 信長の馬・秀吉の馬』
ほか







