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【一度ならず二度までも義清に……】
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侵攻再開
◆天文17年(1548年)2月、武田晴信(後の武田信玄)は信濃で村上義清と激突!
板垣信方や甘利虎泰という重臣中の重臣を死なせる大敗北を喫してしまいました。
このときは信玄自身も傷を負うほどの敗戦であり、湯治で治療にあたった――なんて話もあるほど。
再び、信濃へ進出してくるのは2年後、天文19年(1550年)7月のこととなります。
小笠原長時の林城を攻略すると、翌8月には、村上義清が小県郡の押さえとして築いた砥石城へ……。
砥石城
◆砥石城は、村上義清の本拠地である葛尾城の支城。
当然ながら距離的には遠くなく、現代の地図で徒歩22~23kmの距離です。
半日あれば十分に届くところに憎き義清がいたわけで……。
挟撃
◆難攻不落の砥石城に手こずった武田軍は周辺の国衆を取り込むなどして包囲を強めていました。
しかし、村上義清と対立していた高梨政頼が和睦して、今度は武田方の城を攻めかかるようになり、信玄もついに退却を余儀なくされ、撤退を始めると城兵が襲いかかってきます。
迎え撃ったのは横田備中守高松でした。
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