幕末・維新 ゴールデンカムイ特集

自転車の歴史 ヨーロッパで生まれた高価な乗り物が幕末ニッポンで走り始める

投稿日:

コナン・ドイルの人気シリーズであるシャーロック・ホームズ
その短編に『孤独な自転車乗り』という作品があります。

だからシャーロック・ホームズは19世紀の英国に生まれた! 名探偵、渇望の時代

音楽教師のヴァイオレット・スミス嬢が
【自転車通勤をしている】
ことが、この作品の重要な要素。

ふーん、自転車通勤ねぇ……とウッカリ読み飛ばしてしまう方もしれません。

しかし彼女が自転車乗りであるということは、とても画期的なことなんです。

当時、自転車は女性を解放しました。
ヴァイオレットのように、男性の付き添いがなくとも移動できるということは、画期的なことであったのです。

重たいスカートやドレスでも、乗りこなすことができる自転車。

「私たちは、一人で移動できる!」

そんなふうに、自転車の普及は、女性の解放への道をも後押しするものであったのです。こうして解放された女性たちの力が、女性参政権運動へも繋がってゆきます。

自転車に乗る女性参政権運動家フランシス・ウィラード/wikipediaより引用

ただの自転車通勤女性とスルーされてしまいそうなヴァイオレットですが、当時の読者が読めば、こう思ったかもしれないわけです。

「へえ〜、自転車通勤する音楽教師ねえ。今どきのオシャレで進歩的な女性ってことか」
と、これはイギリスだけのこと?

もちろん、違います。
日本人にとっての自転車の歴史は、幕末にまで遡ります。

現代ではすっかり普及したこの乗り物は、時代によっては重大な意味を持っておりました。

 

なぜあのボンボンは自転車に乗れるのか?

はい、ここで自転車の話で持ち出すのが、トップ画像でもある『ゴールデンカムイ』の鯉登音之進少尉です。

発売されたばかりの16巻。
山田サーカス団でパフォーマンスを繰り広げる、杉元はじめ先遣隊の活躍が見せ場となります。

明治時代のサーカスは、和洋折衷です。
杉元が挑んだハラキリショーやチカパシの曲独楽といった日本由来の見世物もあれば、谷垣と月島が挑んだ西洋風のダンスもあるわけです。

鯉登が無茶苦茶なパフォーマンスを披露する綱渡りその他は、完全に混ざっておりましたね。

日本の伝統的演芸36演目をリスト化してみました 幕末から戦前まで人々は何を娯楽としてきたか

余談ですが、杉元が提案したローラースケートにつきまして。
発明は18世紀、20世紀初頭頃には欧米で娯楽として定着しております。

指摘するのも野暮ではありますが、若い男性グループが履いて歌ってパフォーマンスとして人気を集めることになるのは、20世紀後半ですね。

 

このサーカスの場面で、杉元と谷垣がおっかなびっくり自転車に乗っておりました。
プルプルと震え、杉元は月島の支えに頼る始末。月島が手を放した途端、杉元はすっ転びます。

あれ?
でも、これってちょっと不思議ではありませんか?

現代ならば、杉元や谷垣と同年代の成人男性ならば、ほとんどの方が自転車を乗りこなすことが可能でしょう。
ところが、杉元と谷垣、そしておそらく月島も、そうではない。

運動能力が不足しているから?
いやいや、この三人は常人以上の能力すら発揮するほどです。

そんな一行の中で、例外となるのが鯉登です。

彼の場合、ペダルすら踏んでいない曲乗りをこなしてしまうほど。
なぜそうなるのでしょうか?

もちろん、軽業の天才と絶賛されるほどの、鯉登の驚異的な運動能力もあるでしょう。
しかし、それだけではない可能性もあります。
薩摩閥の海軍少将の子である鯉登は、作中でもボンボンと呼ばれるほどの財産に恵まれています。

つまり、彼の家には自転車があり、それを乗りこなせていた可能性がある――自転車に乗れるのか、乗れないのか。そこには経済格差があったはずなのです。

自転車が庶民のものとなったのは、杉元らが生きていた時代よりずっとあとのことなのです。
そんな自転車の歴史をちょっとたどってみましょう。

 

スポンサーリンク

最初の“自転車”は地面を蹴った

重たい荷物を運ぶ。
歩くよりも素早く移動する。
そのためには、馬や驢馬が必要とされる――それが歴史でした。

馬の力がなくとも、移動や運搬ができないものだろうか?

そんな発想のもと、1813年に作られた移動手段がありました。発明者カール・ドライスの名を取って、「ドライジーネ」と呼ばれています。

ドライジーネ/wikipediaより引用

時速12キロで移動できるドライジーネ。
発祥の地であるドイツだけではなく、フランスやイギリスでも使われました。

ただしこのドライジーネは、ペダルがありません。
またがって地面を蹴りつけて移動するものでした。

ドライジーネ実物/photo by Gun Powder Ma wikipediaより引用

しかし、これでは靴底が削られ、改良が望まれるようになったのです。

ちなみに現在は、ペダルのない自転車が幼児向けのバランスバイクとして普及しています(STRIDER)。

杉元と谷垣も、ドライジーネ型ならばなんとかなったのかもしれませんね。

 

ペダルの発明

1861年、パリの鍛冶屋であったピエール・ミショーは、ドライジーネ型の修理をしていました。

修理を終えて、息子が点検のために乗っています。
彼はこう愚痴をこぼしました。

「やっぱり蹴りながら進むのは不便だし、下り坂だと勝手に進むから、脚をどうしたらよいかわからなくってさ」

ミショーはそこで考えます。

『脚を置くための短い棒をつけたらよいのではないか?』

一度湧き出たアイデアは、それでは止まりません。

『その棒で、車輪を回せば、蹴ることなく前進できるのでは?』

設計図を書いて作ってみると、このアイデアは的中しました!

このアイデアは、ミショーではなくピエール・ラルマンだったとも言われてます。
ハッキリしていることは、この頃から自転車にはペダルがついたということです。

ペダル付き自転車/wikipediaより引用

ただし、上記の画像をご覧になって、現代の自転車に必要な【とある部品】がないことにお気づきになりましたか?

チェーンです。
その発明はまだ先のこと。

いずれにせよペダルの発明は、自転車のデザインに大きな変化をもたらしました。

 

スポンサーリンク

前輪が大きくなる!

チェーン発明前――自転車は、ペダルで一回転させてこそ前に進むものでした。

そうなると、推進力となる前輪を大きくすればするほど、素早く移動できるということになります。

1870年、イギリス人のジェームズ・スターレーが、前輪が大きく後輪が小さい自転車「ペニー・ファージング型」を発明したのです。日本では「だるま車」と呼ばれました。

当時の一般的な自転車/photo by Agnieszka Kwiecień (Nova) wikipediaより引用

前輪巨大化は進み、ついには2メートル近くになるものも!
脚力で速度も変わるわけで、レースも開催されるようになりました。

しかし、こうなると当然ながら問題も続出します。

まず、漕いでいるだけで疲れ果ててしまう。
そしてそれ以上に問題視されたのが、危険性です。

小石程度で簡単に転倒してしまうのです。

しかも、高さは2メートル近いわけですから、恐ろしい話ですよね。

こうした問題を抱えたペニー・ファージング型は、15年ほどで廃れてしまいました。
そのユニークな形状は現在もイラスト等で見かけますよね。現在でも愛好家はおり、イベントも開催されているようです。

ペニー・ファージング型自転車/wikipediaより引用




スポンサーリンク


ちなみに日本人と自転車の出会いは、幕末の外国人が持ち込んだもの。
日本人が知った時点では、ペニー・ファージング型までということになります(続きは次ページへ)。

次のページへ >



-幕末・維新, ゴールデンカムイ特集

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2019 All Rights Reserved.