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【箱館戦争】
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住民の怒りを買って戦局不利に
当時の北海道はまだ開拓が進んでいなかったので、ここより北へ退いたとしてももう戦える場所はありません。
山中でゲリラ戦をしながら粘るにしても、寒さでやられるリスクが高すぎます。
そして当初の段取りは良かったのですが、その後の旧幕府軍は順調とはいえませんでした。
というか自ら墓穴を掘っていました。
費用を補うため、周辺の商人から金を取ったり、周辺に関所を作って通行税を取ったりしたのです。
当然住民からの評判は最悪で、住民の中にはスパイとして旧幕府軍の中に潜入していた人もいたそうです。
近代までの戦はいわゆる「天の時、地の利、人の和」が揃わなければ必ず負けます。
天の時だけはどうしようもないですが、せめて人の和が上手くいっていれば、本当に蝦夷共和国として成り立っていたかもしれません。
まあ「IF」の話は置いといて、現実に戻りましょう。
土方歳三の活躍で陸海戦で一時は奮闘
「旧幕府軍が箱館を占領した」という知らせが江戸に届いたのは10月末のことでした。
新政府は直ちに討伐軍を派遣。
冬に入りかけていたので戦闘が始まったのは翌年3月のことです。
それが5月に終わりますので、箱館戦争の実質的な戦闘期間は2ヶ月ほどになりますね。
宮古湾での海戦を皮切りに、4月には陸戦も始まりました。ここで活躍したのはやはり土方歳三で、銃器を使って新政府軍を阻みました。
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海のほうでは一進一退、旧政府軍の船が新政府軍の船を沈めたこともあります。
が、最終的には衆寡敵せずであり、4月下旬からは押され通し。
旧幕府軍は五稜郭に立て篭もって戦いましたが、5月11日に総攻撃を受けて土方が戦死すると、もはや建て直しは不可能でした。
そして5月17日に、榎本ら旧幕府軍の幹部が新政府軍と降伏に関する交渉を行い、18日に彼らが出頭。
これで箱館戦争およびに戊辰戦争全体が終結しました。
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函館観光に行かれる方は、戊辰戦争関連の名所を巡ることもあると思いますが、一度、函館市のホームページを見ておくといいかもしれません。
上空から見た五稜郭周辺の写真がありまして、土方が亡くなった場所など、箱館戦争関連スポットを確認することができます。
丸印がついているのでわかりやすいですよ。
遠景を見ると、なんとなく当時の光景が目に浮かぶような気がしません?
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
安岡昭男『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon)
歴史群像編集部『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon)
箱館戦争/Wikipedia
五稜郭タワー公式サイト
五稜郭の歴史/函館市ホームページ