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【安政の大獄】
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責任を押し付けられて我慢は限界
事態の悪化とは他でもありません。
朝廷まで「悪いのは井伊だ」と信じ込んでしまい、孝明天皇から水戸藩に対して「お前、幕府のお目付けのくせに何やってんだ! 早く何とかしろ!」という密勅が出されるのです。
【戊午の密勅】と言います。
本来であれば、朝廷から正式に関白・九条尚忠の裁可を経て、幕府に命ずるのが筋です。
しかし、朝廷としては幕府を信用する気が失せ始めていたので、直接水戸藩へ話をつけたのでした。
水戸藩は、徳川家康の方針で「お前んとこは将軍になっちゃダメだけど、代わりに将軍に相応しい人物を選ぶ特権をやる」ということになっていたからです。
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この時の命令には「何とかしろ」としか書いていませんが、最終目的としては「朝廷に忠実な新しい将軍を選んで、外国を追い払え!!」と言いたかったのでしょうね。
そりゃ幕府に内緒でやらないといかんわけです。
これを知った直弼、もはやここまでと覚悟を決めます。
「一度幕府を立て直すためには、攘夷派を片付けないとどうにもならん。大名や幕臣だけじゃなく、民衆を煽る学者どもも同罪じゃ」と考えます。
と言っても単純にうるさいヤツらを排除しろ、というワケでもなく、そもそもは13代将軍・徳川家定の次、14代将軍に誰を据えるか?という「将軍継嗣問題」も大きく絡んでいました。
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一橋派と南紀派「将軍継嗣問題」がコトの本質
井伊直弼は、次の将軍候補として紀州藩主の徳川慶福(後の徳川家茂・いえもち)を推しておりました。
彼らを南紀派と呼びます。
これに対抗して一橋慶喜(後の徳川慶喜)を推したのが一橋派。
慶喜の実父である徳川斉昭をはじめ、島津斉彬と阿部正弘が主要メンバーで、そこに薩摩藩の西郷隆盛や福井藩の橋本左内、後に西郷と入水自殺をする元清水寺の住職・月照、公家の近衛忠煕などがおります。
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結局、斉彬や正弘が事前に亡くなってしまい、勝利を収めたのが南紀派。
井伊直弼は、こうした14代将軍・徳川家茂に反対する勢力(主に一橋派)の逮捕・処刑を実行しました。
後の政権運営をスムーズに進めるためで、マトメますと
・戊午の密勅
・将軍継嗣問題
この2つに絡んだ政治的弾圧が【安政の大獄】の本質ですね。
吉田松陰が処刑されているため、一見、攘夷派の排除が目的だと思われがちですが、井伊直弼としてはあくまで堅実な政権運営を目論んでのことでしょう。
そこで事態の解決を急ぎ過ぎたため、直弼は悪い意味で「赤鬼」と言われるようになってしまったのですね。
弾圧vsテロ
では、なぜ吉田松陰まで処刑されたのか?
と申しますと、梅田雲浜と付き合いがあり、幕府を中傷する文書の容疑をかけられたのですが、それだけなら死罪とはなりません。
松陰は、あろうことか「老中・間部詮勝(まなべ あきかつ)の暗殺計画」まで打ち明けてしまったのです。
井伊の赤鬼に対し、間部詮勝も「青鬼」と呼ばれた要人。
ただでさえピリピリしているこの時期に、老中の殺害計画を告白して無事に済むはずがありません。
松陰は伝馬町の牢獄に送られ、後日、斬首となりました。
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松陰の教えの中に
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」
【意訳】志が後世に残るんならいつ死んでもいいし、デカイことをやれるチャンスが残ってるなら生き延びろ
というものがありますので、死の直前は「あとは弟子達に任せた」なんて気でいたのかもしれません。
仮に【安政の大獄】が起きず、攘夷派がさらに跋扈したまま時代が進んだら?と考えると結構恐ろしくなります。
幕府が倒れるだけでなく、あっちこっちで下関戦争や薩英戦争のような対外戦争が起き、日本全体が侵略されて植民地になっていたかもしれません。
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そう考えると、確かに直弼は強引ではありましたが、100%全て悪かったとも言いきれないのではないでしょうか。
「やってることは間違ってないんだけど、キミそのやり方はどうなの?」っていう人。
直弼はそういう不器用なタイプだったんじゃないか……というのはひいき目すぎますかねえ。
【桜田門外の変】については、直弼を殺害したのが意外な人物だったりするんですが。
以下の記事にまとまっておりますので、よろしければ併せてご覧ください。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
安政の大獄/wikipedia