『鬼滅の刃』の「遊郭編」が地上波へ――。
当初、宇髄天元によって「ド派手に行くぜ!」という告知が公開されると、たちまちネットは大騒ぎになりました。
「遊郭を子供にどう説明すればいいんだ?」
そんなストレートな疑問が飛び交っていたかと思ったら、いつしか話は曲解されて
「遊郭はセーフティネットみたいなもんだった」
なんてトンデモ論まで出てくる始末。
一体これはどういうことだ……と軽く驚きつつ、辿り着いた結論がこれです。
【みなさん、遊郭の知識が曖昧なのではなかろうか?】
江戸には吉原という一画があって、そこでは遊女が客を取る。
彼女たちの中には花魁というアイドル的存在もいて、大名や商家などの有力者しか相手にしなかったような……。
と、それぐらいのことは何となく知っていても、実際にどんな場所だったか?という生々しい話となると、答えられる方が少ないのでしょう。
そこで本稿ではリアルな遊郭事情を振り返りつつ、同時に『鬼滅の刃 遊郭編』の敵キャラ・上弦の陸を考察していきたいと思います。
上弦の陸とは妓夫太郎と堕姫の兄妹。
二人は、江戸時代の遊郭の生き地獄っぷりを現代に訴えかけるかのような存在でした。
吉原遊女のランキング
吉原遊廓とはどんなところなのか?
『鬼滅の刃 遊郭編』では以下のような説明から始まります(71話)。
吉原遊郭
男と女の見栄と欲 愛憎渦巻く夜の街
遊郭・花街はその名の通り一つの区画で街を形成している
ここに暮らす遊女たちは貧しさや借金などで売られてきた者が殆んどで たくさんの苦労を背負っているが
その代わり 衣食住は確保され 遊女として出世できれば裕福な家に身請けされることもあった
遊郭を「セーフティネット」と指摘された方は、もしかしたら「衣食住は確保」とか「裕福な家に身請け」という部分を殊更大きく捉えていたのかもしれません。
しかし、遊女の現実は、そんな甘くありません。
『鬼滅の刃』は考証が十分にされた作品ですが、少しおかしなところもあります。
その一つが「花魁」を最上級の遊女としていること。
これは理由が推察できます。
時代ごとに序列が変化するため、わかりやすく「花魁」を便宜的に使っているのでしょう。
では一体どの遊女が偉いのか?というと、江戸時代の場合、大まかに分けてこうなります。
◆宝暦年間頃までの序列(1751年〜1764年・将軍は家重~家治)
太夫
↓
格子
↓
端
◆幕末期の序列
呼三
↓
昼三
↓
付廻し
↓
座敷持
↓
部屋持
↓
五寸局
↓
並局
↓
切見世女郎
一口に江戸時代といってもその期間は長く、幕府による改革の余波や景気動向もあり、番付は変わりました。
上弦の陸が生まれたのは、おそらく宝暦年間以降でしょう。
母は遊女。一体どれぐらいの序列だったのか?というと、兄妹の出生地が羅生門河岸であることから推察できます。
吉原の左手、東の端。要は、安価な遊女屋です。ここにいる女性たちが最下級の「切見世女郎」ですね。
切見世とは長屋のことです。
狭くて湿っぽい路地に、部屋がズラリ……。小さな土間に畳を敷いて、短い時間の間客を取る――そんなギリギリの生活を送っていたのです。
しかも兄妹の母は梅毒を患っていました。
病身でろくに客も取れなくなり、そこまで落ちたのでしょう。
任務として潜入中であった天元の妻・雛鶴も、仮病を使ったため切見世に追いやられています。
鬼となった堕姫は、そんな母の過去から決別しました。
京極屋では日が当たらない場所に自室を所有しており、遊女は遊女でも母より大出世を遂げたのです。
吉原外の遊女たち
以前SNS上で炎上した【遊郭=セーフティネット論】とはいかなるものか。
以下の記事に詳しくまとめましたが、
-

遊郭がセーフティネットだと?鬼滅の刃遊郭編で学ぶべきはむしろ大人だ
続きを見る
遊郭がセーフティネットだなんて、そんな生易しいものではありません。
吉原の場合、病気になったり、客がつかなくなったりした遊女は切見世へ落ちてゆく。前述の通り吉原の最下層へと追いやられるわけですが、実はこことは別の場所にも遊女はおりました。
『鬼滅の刃』は吉原内部だけで完結します。
しかし、吉原はほんの一部であって、江戸時代において「若い女性が関与し、サービスする職種」では裏メニューがある――そういうことが当然のこととして受け止められていました。
吉原は、あくまで幕府公認の遊郭です。
それに対し公認以外の遊郭は「岡場所」と称されました。
そこにはどんな職種がそうであったか。
◆湯女(ゆな)
男性は三助。銭湯で垢をこすり落とし、洗髪を補助することを名目としていた女性です。
裸と接する職業ということもあり、次第に性的な奉仕も行うことが公然の秘密となります。
2001年公開映画『千と千尋の神隠し』は、未成年少女が湯女のような商いに携わることとなり、名作でありながらも、観客や批評家を困惑させました。
◆飯盛女(めしもりおんな)
旅籠や各地の宿に勤務する女性。字を読めば「ご飯をよそう女」であり、ウェイトレスのような女性のように思えます。
これまた公然の秘密を持つ職業です。
旅の恥はかき捨て、旅の楽しみはその地の女性とのロマンス。そんな需要を満たす存在であり、飯守女との情事を描いたガイドブックのような春本もありました。
◆茶汲み女
浮世絵で人気の題材といえば、水茶屋で働く「茶汲み女」がいます。
茶屋一軒につき2~3人の看板娘がおり、木綿の地味な着物で給仕をしてくれます。
美貌が噂の娘となると、男たちが熱狂して詰めかけた様は微笑ましいものと思えます。
「へえ〜会いに行けるアイドルだね。昔からそういう需要ってあったんだ」

笠森お仙/wikipediaより引用
そんな風に片付けたくなりますが、これまたアイドルの黒い噂である“枕営業”じみた話もあります。
こうした店で茶を飲み、菓子を食べるのであれば一階です。
けれども二階にも行ける――そんな裏オプションがありました。
例えば上野周辺は「けころ」と呼ばれる茶汲み女兼遊女がおりました。紺色の前掛けをし、化粧をしたり、髪を直しながら客が声をかけることを待っていたのです。
◆矢拾女(やひろいおんな)・矢場女(やばおんな)
楊弓という小型の弓があります。
和弓は鍛錬と腕力が必要ですが、楊弓は簡単に扱えることが特徴。
小さな楊弓で的を射る娯楽が江戸時代から栄えました。現代のダーツバー感覚だと想像ください。
こうした娯楽施設である「矢場」には、落ちた矢を拾う女性がいます。
若い女性がかがんで矢を拾うとなると、なかなかセクシーなものがあります。店としても集客のためにもきれいな女性を雇うわけです。
その娯楽がいつの間にやら、性的なサービスを伴うようになりました。
◆売比丘尼(うりびくに)
比丘尼――つまりは尼の格好をした遊女もいました。流しの遊女として存在していたもようです。
◆夜鷹(よたか)
最低ランクの遊女。辻に立ち、蕎麦一杯の値段で身を売る遊女です。
遊郭で働けなくなった者が最終的に行き着く境遇でもありました。病気、高齢、貧困……様々な困難を持つ女性が多いため、安価であるとされます。
夜鷹はゴザを抱え、手ぬぐいて顔を隠した姿で描かれています。そのゴザで客を取っていたのです。
◆船まんじゅう
江戸時代は川を船で移動する水上交通が発達していました。
そんな船の上に乗る間、奉仕する遊女が「船まんじゅう」です。夜鷹と同程度か、その下とされる遊女でした。
船着場や川のそばを通る人に声を掛けて客を取り、遊女が操船する場合もありますが、船頭が乗船していることもあります。その場合は、奉仕中も船頭がそばにいることになります。
彼女らの船は、三人が乗ればいっぱいになるほど小さなもの。安さも納得のいく粗末な場で、彼女らは商売をしていました。
◆陰間(かげま)
これは女性ではなく男性、つまり男娼ですね。
彼らがいる「陰間茶屋」は、役者と兼業することも多かったためか芝居小屋近辺、そして寺社に近い門前町にに多くありました。
江戸では男女比が変化し、江戸後期の改革といった時代の流れで次第に減ってゆきます。
明治維新以降は男色が隆盛すると「薩摩の趣味だ」とされました。
遊女は年季20年
以上、こうした遊女や男娼たちは、江戸だけではなく、日本各地にありました。
江戸の吉原・大阪の新町・京の島原の3箇所をあわせて三大遊郭と呼ばれたりします。長崎では、清人やオランダ人も相手にした丸山遊郭が有名でした。
人いるところに遊郭あり――とでも申しましょうか。
市が立つ場所。宿場。川べり。寺の門前……至る所にこうした場所は存在したのです。
遊女は年季20年とされます。
8歳で売られたのであれば、28歳まで務めあげれば一般人として生きることはできます。
年季を明けた後の遊女に対する差別意識がないことを、来日したオランダ人は驚いて記録しています。先にあげたセーフティネット論でも、出てくる理屈です。
「遊郭は衣食住は保証するし、スキルを磨かせるし、結婚相談所の役割も果たしているんだ」
そう言われれば、そういった部分もあるかもしれないと納得できるかもしれません。
遊郭で遣り手として生きてゆく。
過去を気にしない夫と一緒になる。
しかし、それはあくまで幸運な少数の事例を拡大解釈したものです。
多くは落ちてゆくだけで、夜鷹や船まんじゅうになる者もいた。
ここまで格差が大きく、かつ運に左右されれば、当時はまだしも現代の感覚で【セーフティネット】などと呼べる代物ではありません。
明治元勲の妻に妓女出身者が多かったことも、考えねばならぬことはあります。
彼らは西洋を見習い、夫人がホステス(女主人)として客をもてなす慣習を根付かせようとしました。
けれども武家出身の女性では「そんなことできるわけがない」と拒否反応が出ます。
アメリカ留学経験のある家老の娘・山川捨松のような女性が登場するまでは、どうしてもそこがネックとなっていました。

鹿鳴館時代の捨松/wikipediaより引用
その点、妓女出身であればそれを難なくこなせる。
そんな事情もあったのです。
遊郭の男たち――妓夫太郎という生き方
『鬼滅の刃 遊郭編』に登場する堕姫には、妓夫太郎という兄がいます。
兄と妹が二人で一体となって戦うことが「上弦の陸」が持つ大きな特徴であり、遊郭というシステムを考える上でも重要でした。
遊郭は女性が身を売る悲劇として語られることが多いせいか。あくまで“女性問題”であり、フェミニストがいろいろ言い出す領分という誤解があります。
しかし考えてもみてください。
“女性問題”というのは往々にして【男性が引き起こす女性が関係したトラブル】です。男性が存在しなければ起こらない。
遊郭で売り物となる存在は女です。
一方で彼女らを管理し、売りさばく領分となれば、男たちもいました。
女衒、そして妓夫太郎と呼ばれた人々です。
廓の経営者は、特に二代目、三代目ともなると、実務には関わりたくない者が多いとされます。
金のやりとり、料理屋や寝具屋との取引、そして売られてくる女性の管理には、男性が取り仕切ることが多い。
『鬼滅の刃 遊郭編』には、そうした経営者が男女双方で登場します。
妓夫太郎とは、作中でも説明されている通り、こうした遊郭で働く男のことを指します。
一個人にクローズアップしたキャラというより、現在では消えたかのようにも思えるこうした職種の人間を具現化したような存在ですね。
そんな妓夫太郎が取り立てで鎌を振り回し、やたらと喧嘩が強かったのはなぜか?
彼の業務が危険だったからです。
債権(債務)の取り立ては暴力沙汰を伴うことも珍しくありません。
遊ぶ金がない、足りない。そのことに恥辱を覚え、暴力をふるう客を相手に話をつけるとなれば、腕力が求められました。
妓夫太郎が取り立てに快感を覚え、自信を持った契機は、こうした暴力体験が根底にあったからでしょう。
彼は、なにか真っ当な立場から身を持ち崩して、遊郭で生きるようになったわけではありません。
最下層の遊女が母であった妓夫太郎には、生まれたときから「暴力と搾取」に晒されていました。
遊郭を生きる女を搾取する悪役として描かれてきた、そんな男たち。
彼らの後悔や苦しみ、それ以外の生き方がなかったのか?と問いかける『鬼滅の刃』と炭治郎には、豊かな想像力と優しさがあるのです。
ちなみに明治以降における遊郭での事件を見ても、そこがいかに危険な場所であったか推察できます。
◆1880年(明治13年):吉原「杉戸屋」にて巡査が7人殺害。支払えず、コウモリ傘を抵当にして借金を申し出たところ、断られたことに逆上しての犯行
◆1890年(明治23年):吉原「若狭楼」にて支払いが遅れていた客が、逆上して8人殺害
◆1905年(明治38年):大阪堀江遊郭「山梅楼」にて、主人・中川萬次郎が6人を殺傷する事件が発生(堀江六人斬り)
鬼がいなくとも十分危険だとご理解いただけるでしょう。
当時は今より凶悪犯罪が多いことを踏まえても、遊郭は危険なエリアでした。
妓夫太郎はその対処のため、鬼になる以前から強かったと考えられます。
上弦の陸が問いかけるもの
『鬼滅の刃』における鬼は、生前抱いていた欲望を求めて世間に巣食います。
吉原の最下層である羅生門河岸で生まれた妓夫太郎と堕姫にとって、きらびやかな吉原の中心に入り込むことは、まさしく夢の実現でした。
狭い部屋で客を取るのではなく、自室を持ち、豪華な衣服で着飾り、命まで取り立てる。
彼らにとって夢見た生活です。
彼らはその世界しか知りません。遊郭という隷属的な世界での頂点をめざし、そこに巣喰い続けた。
邪悪なだけではなく、どうしようもない寂しさも感じさせます。
もっと広い世界も、可能性も、愛情も、彼らは一切知りません。
二人とも相手の容姿を値踏みし、酷い侮蔑の言葉をかける。美しいものしか価値がない。そうでなければ虫ケラだと嘲笑います。
容姿に値段をつけ、食い物にする世界しか知らないのですから、それはもう仕方ありません。
しかし彼らの前に立ち塞がる鬼殺隊の面々は、天元以下、別の価値観を突きつけました。
天元は女房を救うために、吉原まで乗り込んできた。女房を守り、堅気の犠牲も抑えようとする。
そうするとき彼は容姿云々問わない。命を守ることが大事だと考えている。
変な頭をした善逸も、猪頭を被った伊之助も、そんな価値観のもとで立ち向かってくる。
炭治郎と禰豆子は、兄と妹として立ち向かってくる。自分たちにはあったのか、無いものなのか、わからない愛で結びついている。
その戦いが終わって敗北し、罵倒し合う妓夫太郎と堕姫。
彼らの言葉が嘘であると炭治郎は見抜きます。
この兄と妹は、邪悪である以前に、あまりに無知であったことが明かされます。
美しいか、醜いか?
強いか、弱いか?
取り立てるか、取り立てられるか?
そんな価値観しかない吉原で育った二人は、その環境にどっぷりと浸かってしまいました。
妓夫太郎は妹のことをよく知っています。
彼女は生まれついて邪悪なのではなく、ただただ、素直で染まりやすかった。
無惨はそんな彼女を「幼稚で愚かだ」とすら感じていたようですが、実際にそうなのでしょう。しのぶやカナヲが持っているような、自分で考える頑固な知性と自我とは無縁の女性でした。
もしも彼女が泥の中ではなく、清らかな水の中で生まれていたら? 身も心も美しい女性として生きられたはず。
それが妓夫太郎の悔恨となって生々しく語られるのです。
けれども、妓夫太郎も同じことでしょう。
遊郭の片隅に生まれ、母から殺されそうになり、胎内で病も感染してしまっていた少年。
彼だってもっと別の空の下に生まれていたら、賢く素直な少年として生きられたかもしれません。
取り立てるだけではなく、取り立てられるだけでもなく、何かを与える側に回れたかもしれないのに、生まれた場所が悪かった。
そんな悲哀を体現する兄妹です。
遊郭は苦しみに満ちた場所でもあった
かつて遊郭は、キラキラしたテーマパークのようなものでした。
豪華なインテリア、衣装、仕掛け。
と、そこにいけばワクワクでき、『鬼滅の刃』でも描かれる花魁道中は、まさしく日常にあるエンタメと言えました。
落語、浮世絵、物語……といった作品で描かれる遊女の世界はドラマチックでもあります。
しかしそれはあくまで遊ぶ側、買う側の目線でしょう。
エンタメとして消費したい側は、苦しみのある舞台裏には目を瞑るもの。
遊郭をおもしろおかしく描いた作品は、そういう類と言えます。
反社会的勢力とも縁があります。そういうアウトローへの憧れもつきまといます。現代人にとってのヤンキー漫画ワールドみたいなものですね。
そこまでふまえますと『鬼滅の刃』は遊郭を学ぶ機会としては極めて秀逸ともいえます。
13歳の少女が、生きたまま焼き殺されることはどうなのか?
生まれる前も、生まれたあとも、親から殺されかけ、暴力しか学べない。そんな遊郭とは何か?
そこで生まれ育ったものにとって、遊郭は必要悪やセーフティネットどころか、地獄、悪夢でしかありません。
それを大人が理解しておいた上で、
「遊女になることは、昔は“苦海”(苦しみが果てない場所)に身を沈めると言われたんだよ」
と子供に説明すれば、具体例を教えずとも、理解の始まりとなるのではないでしょうか。
遊女、遊郭に生きるものたちは被差別階級とみなされることもあります。
妓夫太郎のように遊郭で生きるものたちは「忘八者」とも呼ばれました。
人として生きるうえでの【仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 (てい)】の徳を忘れてしまったという語源説があります。
人として生きるための最低限の倫理すらない――それほどまでに落ちぶれているという意識があったのです。
真っ当に生きることを許されず、奪われ続けてきた上弦の陸。
この世から消滅する直前、炭治郎の言葉によって愛を取り戻す。
歴史の陰に消えていった遊郭の人々に輝きを与え、余韻を残して消えてゆく。
『鬼滅の刃 遊郭編』には、そんな儚い煌めきがあります。
アニメで見届け、歴史の中に存在していた彼らのことも思い起こしたいものです。
成人済みであれば『BLACK LAGOON』のヘンゼルとグレーテル編をお勧めします。
「チャウシェスクの落とし子」である彼らは、時代と国がちがえば幸せになれた、そんな悲しい兄と妹です。
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【参考文献】
沢山美果子『性からよむ江戸時代』(→amazon)
安藤 優一郎『江戸を賑わした色街文化と遊女の歴史』(→amazon)
歴史読本編集部 『歴史の中の遊女・被差別民』(→amazon)
他





