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【宝永地震】
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富士山噴火も過去最大
幕府にしても、これほどの大災害ですから各藩に任せっきりにしておくわけにはいきません。
特に被害の大きかった藩の藩主には参勤交代を免除したり、買いだめ禁止令発布を出したりしています。
しかし、まだまだ恐怖は終わりませんでした。
宝永地震から49日後、富士山が噴火したのです。
この【宝永噴火】も記録上は最大の噴火とされる規模でした。なんせ富士山の横っ腹にドデカイ穴(宝永噴火口)を開けるほどで詳細は以下の記事にお譲りしますが。
富士山の中腹に超弩級の穴を開けた「宝永大噴火」の恐ろしさとは
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慌てた幕府が、大名・旗本から石高100石につき2両を出させ、40万両以上が集まったといいます。
しかし実際、被災地救済に使われたのは、その1/8程度だったそうで……っえ?
そうでなくてもお財布が火の車だった幕府。
勘定奉行・荻原重秀は「改鋳を行って費用を補うべきです」と主張しましたが、新井白石などに反対されて一度白紙になっています。
しかし、宝永地震の二年後からこっそり改鋳が行われ、結局、物価の暴騰を招きました。してもしなくても一緒やん(´・ω・`)
恐ろしいほど定期的に起きる南海トラフ巨大地震
こういうときこそ改革が功を奏することもあります。
最大の成功例は、当時、紀州藩主だった徳川吉宗でしょう。
吉宗は自ら木綿の服を着るほど倹約をしたことで有名ですが、その始まりは宝永地震後の紀州入りでした。
同地域でも大きな被害を受けており、復興のために多額の費用を計上。
吉宗は、幕府のgdgdを見ていて、「上の者が実践しなければ倹約令など成功しない」と思ったのかもしれません。
これが後に【享保の改革】へと繋がるとすれば、文字通り宝永地震によって歴史が変わったことになりますね。
南海トラフ巨大地震は100年~200年周期といわれています。
というか、実際にそのペースで起きています。
地震大国・日本では過去に何度の大地震が起きたか?地震の歴史まとめ
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つまり、現代の我々にも決して無関係ではないどころか、2040年代までには7割以上の確率でやってくる――と政府の地震調査研究推進本部が警鐘を鳴らしているほど。
各地にある災害記念碑の付近は特に注意が必要です。
具体的に「高さ○○以下のところには家を建てるな」としているところもあります。
過去の災害は、防災の一番の参考資料になります。
津波で流されてきた巨大な津波石などもその一つ。
いたずらに杞憂な日々を送る必要はありませんが、心に留めておくだけで、いざというときの一歩が変わってくることでしょう。
過去の犠牲者にご冥福を祈りつつ、忘れずにいたいと思います。
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長月 七紀・記
【TOP画像】宝永地震の震度分布図/wikipediaより引用
【参考】
国史大辞典
内閣府(→link)
宝永地震/wikipedia