大河ドラマ『べらぼう』で、最も憎たらしい人物だが、結局は憎めないやつじゃねーか!というのは誰?
そう問われて頭に浮かぶのは、やはり風間俊介さん演じる鶴屋喜右衛門でしょう。
慇懃無礼な話し方で蔦屋重三郎を陥れるも、その才能を知れば仲間に認める、冷静沈着な人格。
そんな人物が当時の江戸にいたのか?
というと、これが中々難しいものでして。
史実の鶴屋は三代を通して江戸を代表する版元となり、その実績を考えれば「なぜ鶴屋を差し置いて蔦屋重三郎が主役なのか?」と当時の出版人が首を捻りたくなるかもしれません。
なんせ鶴屋喜右衛門は、売れ筋を一通り出してきた腕利きの同業者でした。
では、彼がどんな人物か?というとこれがなかなか難しい。
本記事ではその理由と同時に、江戸と上方の文化や出版事情を考察して参りたいと思います。

地本問屋の様子/国立国会図書館蔵
江戸町人文化を考える上で気をつけたい「何代目か?」問題
『べらぼう』の登場人物を史実から考えるときに注意したい点があります。
家業を何代も続けてきた人物です。
蔦屋重三郎のように吉原者から一代で成り上がった者は例外として、江戸の商人は家単位で仕事を引き継いでゆくのが基本。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
そのため何代か続いた家の場合、同じ名前で事績が残されると、いったい誰の時代にあったことなのか判別が難しくなります。
江戸時代は家を継ぐことが肝心であり、実子がいなければ養子を迎える。
となれば現代人から見た江戸時代の親子関係はさらにややこしくなり、地本問屋の鶴屋喜右衛門もまたその典型例と言えます。
なんせドラマに出ている鶴屋喜右衛門は生没年も確定できない。
となると配役をヒントにしながら鶴屋の事績を考察してゆくのがよさそうです。
日本文化の「西高東低」
鶴屋の大きな特徴は、京都に店を構えていながら江戸にも出店したことでしょう。
それがどれだけ重要だったか?
まず歴史的背景を辿ってみますと、日本の文化は長いこと西高東低とされ、いかに京都へ近づけるかというのが決め手でした。
現代まで残る「小京都」には、そうした憧れが感じられます。
例えば2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源平合戦における坂東武者たちが歌を詠む平家の貴公子たちを馬鹿にしていました。
「そんなもんを詠んでっから弱ェえんだよ!」
そうして彼らの涙ごと首をとり、波間に沈め、勝利を収めたものです。

和田義盛/Wikipediaより引用
しかし、そんな坂東にも文化が広まってゆきます。
たとえば北条泰時は自作の和歌が歌集に選ばれると感激し、選者の藤原定家に礼状をしたためたものでした。
もしも鎌倉幕府が長く続けば、関東にも新たな文化が花開いていたかもしれない。
しかし、そうはなりません。関東の文化は蕾がほころびかけたところで、室町時代には再び文化の中心地が京都へと戻ってゆくのです。
それが江戸時代、徳川家康が江戸に幕府を開くことで、変化してゆきます。
西からやってきた鶴屋
江戸ができたばかりのころ、人々は町づくりに取り組み、ゆったりできる状態ではありませんでした。
それも落ち着くと、娯楽が欲しくなってきます。
江戸に娯楽が芽生えてゆくのは、徳川家康の孫である3代将軍・徳川家光の代あたりからとされています。
出雲阿国が祖とされ、女たちが舞い踊る歌舞伎がブームとなりました。が、風紀を乱すとのことで、対策が取られます。男のみの舞台劇と、女のみの性的奉仕が分離されたのです。
こうした女性のみを集められた場所が吉原でした。

葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用
そんな江戸の様子を見聞きして商機を察知したのか、あるいは依頼があったのか。
京都の鶴屋本家は万治年間(1658−1661)に江戸への出店を決めます。
出版文化もまた当初は上方先行でした。
学術書から娯楽性の高い浮世草紙まで、江戸っ子が見たことのない珍しいものばかり。
だからこそなのか、この時代、新たなトレンドとして【地本】(じほん)ができてゆきます。上方から仕入れた本ではなく、江戸の地元で作られた本という意味です。
主に上方で刷られた漢籍、歌集、仏典等の実用書は格調ある【書物】とされ、正式に扱われる品です。それに対し【地本】はエンタメやゴシップに特化した、B級の品という扱いで区別がされています。
この上方と江戸の関係は、須原屋市兵衛が劇中で語っています。
上方に負けじと江戸に本屋を開いた元祖が、【書物問屋】の須原屋と、【地本問屋】の鱗形屋でした。
なお、この須原屋市兵衛は須原屋茂兵衛から【暖簾分け】(奉公人に対し同じ屋号の営業を許すこと)されております。須原屋は上方に負けじと出版文化を江戸に広めたいと思い、暖簾分けをしてきたわけです。
そんな江戸出版業の仲間であった鱗形屋は【メイワク火事】で大損害を被り、本来ならば【書物問屋】が扱う実用書である「節用集」の【偽板】を売り出してしまい、奉行所に連れられてゆきました。
このとき須原屋市兵衛はともに江戸に根を張ってきた鱗形屋の苦境を見過ごせまいと立ち上がります。【偽板】を訴えてきた上方に対し、敢然と反論したというのです。
こちらの【偽板】を訴えるのであれば、上方が江戸の書物の【偽板】をやらかしていることも黙ってはおかないと。
須原屋市兵衛は「上方は、自分たちを棚上げして、こちらが何かすれば文句を言ってくる」とぼやいていました。
蔦重は「それも上方から江戸に書物が伝わったからですかね?」と返し、須原屋市兵衛も肯定します。
このことは国語や日本史の教材を見てもおわかりいただけるでしょう。
江戸時代前半の文化文芸は、井原西鶴や近松門左衛門といった上方が代表格としてあげられます。それが中期以降、曲亭馬琴や十返舎一九ら江戸出身者が出てくる。
『べらぼう』で描かれるのは、まさしくこの歴史の変わり目なのです。
このやりとりからは、さまざまな東西の出版文化事情が見えてきます。
まず、上方の出版文化が先行していたこと。
そして、それを江戸が巻き返しつつあったということ。
【地本】の「赤本」と「青本」が売れないからこそ、鱗形屋は犯罪に手を染めました。しかし、実は侮り難い可能性があったということです。
鱗形屋の釈放されてきたタイミングこそ、新たなる地本時代到来前夜でした。
江戸ならではのセンスを発揮する、こうした地本には江戸っ子の矜持が溢れていました。
鎌倉時代の武士たちがモチーフとなる。
上方の柔らかい文化に対し、勇壮さを強調する。
歌舞伎や落語といった伝統芸能の演目にも、こうした差異は現在まで残されています。
江戸が【荒事】(あらごと)という勇壮なテーマが多いのに対し、上方は柔らかく人の心の機微や恋愛を描く【和事】(わごと)が典型的とされている。
鶴屋も、劇中では【地本】が主力商品となっていきます。
劇中では蔦重を排除する嫌味な姿が目立ちますが、今後、彼の登場により文化の西高東低が変わりゆく様も見られるかもしれません。
そして、こんな時代だからこそ、江戸が先行した文化があります。
浮世絵=江戸絵だった
江戸が上方に先行した文化とは?
【浮世絵】です。
上方で絵といえば【肉筆画】、つまり筆で描いたものとされ、彼らが【江戸絵】と呼んだ浮世絵の数々は版画印刷によるものであり、受け入れ難いものでした。
それが寛政年間あたりから、ようやく上方でも浮世絵が出版されるようになってゆきます。
日本史上、これは画期的なことでした。
歌舞伎や落語では、関東と関西では芸風が異なるとされます。
これは浮世絵にもあてはまり、役者絵でも江戸っ子は美化されていてともかく見栄えがよいものを買い漁ります。
一方で上方の場合、冷徹かつどこか捻った作画が特徴とされます。
東西間の交流がなされるようになると、役者が絵師を伴い、舞台へ向かうことも出てきたとか。
日本各地に浮世絵美術館はあります。しかし【上方絵】となると大阪府の「上方浮世絵館」のみとなり、文化の東西逆転現象は実に興味深いものです。

大坂の浮世絵師・流光斎如圭による『競伊勢物語』/wikipediaより引用
こうした関東優勢は、実は食文化においても発揮されています。
日本は京都の朝廷でも、江戸の将軍の食卓でも「贅を尽くした料理が発展しなかった」という歴史的経緯がありました。
現在、日本料理を代表する、
・天ぷら
・寿司
・蕎麦
・鰻重
といった食べ物はいずれも江戸の屋台、ファストフードが由来とされています。
酢飯と具材を組み合わせた食べ方は日本各地にありますが、現在における「寿司」といえば「江戸前寿司」となりますね。
蔦屋重三郎とぶつかり合う優等生か?
『べらぼう』の登場人物をみていくと、主人公とぶつかりあう商人が大勢出てきます。
これは蔦屋重三郎の人間性に問題があったわけではありません。
性格に癖があって対立するのは曲亭馬琴のような人物であり、

曲亭馬琴(滝沢馬琴)/国立国会図書館蔵
蔦屋重三郎はむしろ人間的には魅力があった。
ドラマでも好人物として描かれているのは史実通り。
そんな蔦重が睨まれるのは“新参者”であることが大きい。
鶴屋にせよ、鱗形屋にせよ、西村屋にせよ、突如あらわれた別業種の人物がメキメキと頭角を表したら、それは警戒するということでしょう。
いわば、出る杭は打たれる、です。
それだけでなく、娯楽作品のセオリーやお約束も、フィクションならばあてはめることはできます。
鶴屋の場合、広範囲のジャンルを手がける代表的な版元であり、独特なキャラクターは確立しておりません。
何か派手な出来事をやらかしたわけでもない。
いわば堅実なタイプ。劇中の彼は確かによくいえば聡明、悪くいえば狡猾です。
しかし相手の出方を待ってから反応を探るか。あるいは横からさらっていくタイプであり、受け身といえます。あちらから攻撃を仕掛けてくることは実はあまりないタイプといえる。

地本問屋の様子/国立国会図書館蔵
劇中で鶴屋を演じる風間俊介さんのコメントを見ても、どういうキャラクターなのかは掴みにくい。
前述の通り、何代目の鶴屋か特定も難しいため、役者の年齢で推察することになります。蔦屋よりも上、兄貴分といったところでしょうか。
こうなってくると、
上方=鶴屋
江戸=蔦屋
という文化の違いを擬人化したような人物造型にするのではないか。
そう思いながら見ていると、やはり鶴屋は蔦屋と対立することになりました。
生真面目で優等生のような鶴屋と、型破りな蔦屋という立ち位置ですね。
伝統と格式を守ろうとする上方に対し、型破りでパワー溢れる江戸と申しましょうか。
劇中では最低最悪の顔合わせであった両者ですが、これから先は両者がバカンスをともにすることがあっても不思議はありません。そう記録に残されているとか。気になりますね。
ついでに言っておきますと、鶴屋が受け身であるのは実際にその通りであり、後半戦で能動的に蔦重と鎬を削るのは別の相手となります。
演じるのが風間俊介さんというのも、注目したいところです。
大河出演経験もあり、製作者から信頼があつく、知性溢れる佇まいが魅力的。
どこかやんちゃな蔦屋をたしなめる立場での姿が今後も見られるのではないかと期待しています。
わかりにくいからこそ、自由に描くことができる『べらぼう』にはそんな強みがあります。
森下佳子さんはじめ、スタッフがいきいきと描く、江戸文化の隆盛が今後どうなるのか。
上方からきた鶴屋はどんな顔をするのか。
今後の活躍をさらに期待したいところです。
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【参考文献】
小林忠/大久保純一『浮世絵の鑑賞基礎知識』(→amazon)
安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』(→amazon)
松木寛『蔦屋重三郎』(→amazon)
他





