徳川吉宗/wikipediaより引用

江戸時代

吉宗が将軍になるまで七名の重要人物が次々に死亡 まさかの暗殺説は信憑性あり?

2025/08/12

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もしも吉宗が将軍になっていなかったら?

当初は「御三家筆頭は尾張家なんだから、当主の吉通(よしみち)様がふさわしいだろ」(超訳)ということになっていました。

家宣の意向も同じです。

ところが!

吉通がこれまた何の前触れもなく突然23歳で夭折。

この時点で将軍候補は吉宗以外にいなくなってしまったのです。おいおいおい…。

これで立て続けに亡くなった徳川家の重要人物たちは全部で7名(光貞、綱教、頼職、綱吉、家宣、家継、吉通)。

本人の意思かどうかはわかりませんが、もし吉宗を将軍にしたい勢力があり、次々と障害になる人物をおとしめていたとしたら……と考えると背筋が凍りません。

江戸時代の医療技術なら、まぁ、仕方がない展開だったようにも思えますが。

ここでもし吉宗が将軍にならなかったら、江戸幕府そのものが大きな影響を受けていたことは間違いないですから、その後の日本もどうなっていたかわかりません。

ほとんどの大名家はすっかり平和な時代に慣れていたので、戦乱の時代に逆戻りというよりは、各藩が好き勝手に自領を統治して分裂状態になってたんじゃないかなーなんて想像してしまったり。

ちょっと穏やかな神聖ローマ帝国みたいな感じでしょうか。

起こらなかったことの予測は不可能ですし、吉宗サイコー!!と言うつもりもないですけれど、密かに「歴史が動いた」出来事だったと言えるのではないでしょうか。


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【参考】
国史大辞典
徳川吉宗/wikipedia
徳川頼職/Wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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