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頭良すぎて「野狂」とアダ名を付けられた
元々さほどの罪ではなかったせいか。
2年後の承知七年(840年)、小野篁は許されて無事に京へ戻ってきます。
篁からすれば、それも予想の範囲内だったのかもしれません。
流罪の前か後かわかりませんが、頭脳のキレはやはり巷の人には理解不能だったようで、「野狂」という不思議なあだ名をつけられています。
本人はさっぱり気にしていなかったようですが、なにも「狂」なんてつけなくてもいいねぇ。
頭の良さは血筋だったようで、彼の子孫には歌人や文化人が多く存在。
美女の代名詞とされる小野小町、三蹟(書道の得意な三人を称えた呼び方)の一人・小野道風などですね。
小町は出自がはっきりせず、あくまで俗説ですが。
大河『直虎』に登場した小野政次も?
ちなみに、大河ドラマ『おんな城主 直虎』で、高橋一生さんの熱演が話題になった小野政次。
彼の家も小野篁の末裔を称していたりします。
遠江の国衆ゆえに、出自のほどはかなり怪しいですが……。
直虎のライバル 小野政次が奪い取った天下 わずか34日間で終了したのはなぜか
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★
頭は良いけどちょっとズレてる美形……何だかマンガやゲームから出てきたみたいな設定ですね。
そういうところがまた、周囲からすると理解しがたいと思われたんでしょうか。
遣唐使に絡む方たちって、当時の国を代表するだけあって、頭脳ハンパない方が多いのは間違いありません。
現在で言うところのギフテッドな方々だったのでしょうね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
小野篁/wikipedia