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【公暁】
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テロリストとしての公暁
あまりに凄惨な実朝暗殺事件――。
その衝撃は大きく歴史ミステリの定番となりました。
『吾妻鏡』の中身は事実を歪められた可能性があり、他の史料と比較すると齟齬もあって鵜呑みにできず、いわば【本能寺の変】のような位置づけとなってゆきます。
北条義時が体調不良で源仲章と交代し、難を逃れたことは怪しい。
いやいや、後鳥羽院の深慮遠謀かもしれない。
そんな風に様々な黒幕説が提唱されてきたのです……が、近年は「公暁の単独犯行」という見方が主流です。
『鎌倉殿の13人』でも単独反抗説となる可能性が高そうです。
僭越ながら、この事件はシンプルに捉えて良いのでは?
『鎌倉殿の13人』の脚本家である三谷幸喜さんは、『吾妻鏡』が原作のつもりで書いていると明言しました。
実朝に斬り付ける瞬間、公暁は親の仇討ちだと叫びました。
比企一族もろとも父・頼家を手にかけた北条の血を引く実朝とは、公暁からすれば親の仇になったということです。
『鎌倉殿の13人』の公式サイトで出演者発表も見ておきますと……。
頼家の息子。父の無念を晴らすため日本史上に残る大事件を引き起こす。
寛一郎さんコメント
実直であり、感情的であり、若さ故の愚かさもあり、作法があるなか、個人の選択で、あの時代で仇討(あだうち)の象徴といってもいい彼を、革命児として認識しています。
そんな彼を演じられることをうれしく思います。
時代と遊離してしまう彼の心情と近い部分を探して、表現していければと思っています。
感情的で、仇討ちとして実朝を手にかける――この見方からは、誰かの傀儡となる姿は感じられません。
自らの判断と動機を掲げ、天誅をくだす刺客は古今東西おりました。
この時代の日本史にもそれがあてはまります。
黒幕説に翻弄されることで、そんな激情を軽んじる傾向がむしろ強すぎたのかもしれません。
大河ドラマでは2020年『麒麟がくる』でも【本能寺の変】の動機を明智光秀の感情としました。
2022年『鎌倉殿の13人』でも、陰謀論や黒幕説を否定したのではないでしょうか。
双系制であった中世
「公暁」の読みは、長いこと「くぎょう」とされてきました。
最近の研究では「こうぎょう」であるとされ『鎌倉殿の13人』でもそれに準じています。
なぜ「くぎょう」にされたのか。
漢字の読み方は時代によって異なります。
伝来した言葉の時代により、呉音・漢音・唐音と変化していて、大変悩ましい問題です。
公暁の読み方の問題からは、時代によって異なる漢字の読み方と、後世の見解により上書きされたまま修正されないことがあると示しています。
歴史は変えられない。
しかし、解釈は時代ごとに変化してゆくのです。
公暁の読み方のように、後世の価値観によって上書きされ、わかりにくくなった中世の要素があります。
「双系制」です。
男系か女系か。どちらか一方ではなく両方の血統を辿ることを指します。
親の地位を子が相続する――どの文化圏でも普遍的であったこの制度にも、違いはありました。
父系だけを重視するか?
それとも母系も重視するか?
エリアや文化圏だけでなく、時代によっても異なるため、なかなか難しい問題と言えます。多くの国と地域において、時代がくだると父系重視が強まる傾向があります。
中国の場合、前漢の呂后以来外戚の排除を重視したため、古くより父系を重視するようになりました。
日本は中国の政治制度をならったことが多いとはいえ、このことは浸透しません。
むしろ平安時代の摂関政治は外戚による権力掌握を目指してきたため、女系の力は根強く残り続けました。
平安時代には「劣り腹」という母の身分が低いことを示す言葉があったほど。
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『鎌倉殿の13人』でも、この「劣り腹」に該当するとみなされ、相続に一悶着があった人物がおります。
義時の子である北条泰時がその代表例です。
女系が重視されるため、女性による領土の相続や権力の行使もできました。
『鎌倉殿の13人』における北条政子、丹後局、藤原兼子(卿二位)らは、そうした権力を持つ女性たちです。
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戦国時代でも女系は重視され、ある程度は権力を行使することもできました。
武田信玄の子である勝頼は、母の血統ゆえに後継者とみなされておりませんでした。
それが兄の死により家を継ぐこととなり、こうした事情が勝頼の治世に暗い影を落としたのです。
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織田信秀の嫡男は、母の血統を考慮したうえで信長とされます。異母兄である織田信広がいたにも関わらず、母の身分の差によりそうなりました。
大河ドラマ『おんな城主 直虎』の井伊直虎や寿桂尼のように、権力を行使する女性もいました。
これが徹底的に排除されたのが江戸時代です。
江戸幕府将軍は、正室の子が継ぐことはむしろ珍しく、初代・家康、三代・家光、十五代・慶喜のみが該当します。
女性の大名は江戸時代に消えました。
明治時代となりますと、さらに徹底した女性の権利排除が行われます。
天皇を京都から東京へ移し、朝廷にあった女官を廃止。
幕府の終焉とともに大奥も廃止。
東洋における伝統である夫婦別姓を廃止し、西洋由来の夫婦同姓を導入。
江戸時代までは存在した女医も、西洋医学を学ぶ機会から女性を排除することにより、消滅させました。
こうした維新による女性の権利制限の回復には、長い歳月と労力が費やされることとなります。
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そして女系の排除が天皇制に及びます。
女系を排除すると、血統継承による君主制は行き詰まる――日本が当時お手本としていた西欧諸国ですらそれを認識していました。
ましてや明治時代は大英帝国のヴィクトリア女王が君臨していた時代です。
女系や女性君主は資質に欠けると主張したところで、説得力はありません。
女性君主は統治能力がない?
そんなことはないだろう。この先のことを考えると女系を排除してもよいのか?
安定的な皇室が維持できるのだろうか?
ましてや西欧と違って他国王室と婚姻関係もないだろうに……そう西欧諸国からすら疑念を抱かれる中、伝統を変えてでも女系天皇および女性天皇は認められなくなったのでした。
こうして女系を軽んじる歴史が続いたせいか、公暁の読み方のように、本来の姿が見えなくなってしまったのでしょう。
女系を重んじる価値観に立ち返ってみれば、公暁の憤りは理解できます。
自分より劣る血の実朝めが、鎌倉殿の座を盗んだのではないか!
そんな怒りが渦巻いていたとして、おかしなことではないのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
細川重男『鎌倉幕府抗争史』(→amazon)
坂井孝一『考証 鎌倉殿をめぐる人びと』(→amazon)
若桑みどり『皇后の肖像―昭憲皇太后の表象と女性の国民化』(→amazon)
他