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空也上人像の口から出ている【六体の仏像】って一体何なんだよ!

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天禄三年(972年)9月11日、空也上人が亡くなりました。

市聖いちのひじり」と呼ばれたお坊さんで、一遍上人が尊敬していた方でもありますね。

なんと言っても不思議なのが、あの仏像でしょう。

一度見たら忘れられない――パカッと開いた口から仏像が出てくる、という、珍妙なスタイル。
ありゃ一体なんなんだ?

 

逸話も少なく著書もなく、謎が多すぎる空也さん

空也から一遍上人まで。
現代人から見ると、非常に近い時代のような方たちのような気もしますが、実は双方の間には300年ほどの隔たりがある。

実は空也は、当時から高名でありながら、反比例するかのように謎の多い人でもありました。

若い頃に出家して間もなく旅に出たらしいので、修行中のエピソードがないのはまだわかりますが、旅先での逸話もほとんどないのです。
某大師が「この松のところで子供にやり込められて引き返しました」的な説話に富んでいるのとは対照的です。

さらに特徴的なのは著書がないこと。

多くの僧侶は文学なり和歌なり経典の解釈なり、何かしら著作を残していることが多い。
しかし空也にはそうしたものがありません。

なんせ自身の生い立ちを語ることも一切なく、存命中から「実は天皇のご落胤」だとか「さる皇族の方が身分をやつして僧侶になった」とかいろいろ言われていたようです。

 

後ろ盾がいたか あるいは権力者の血縁者か

おそらくや出家後に諸国を巡って、寺院やインフラ建設に携わっていたことから、そう言われるようになったんでしょう。

いかに徳の高い人であっても、何かを為すためには現世のお金が必要なわけで、寄付だけであっちこっちに建築物を建てられるような金額をまかなうことは不可能でしょう。

となると、それなりの後ろ盾がいたか。
あるいは権力者の血縁者であったか……と推測されるのはごく自然なことです。

ちなみに天皇の落胤で僧侶とされている人物には「一休さん」こと一休宗純などがいて、完全にありえない話ではありません。

なんせ皇室(だけでなく将軍家なども)からあっちこっちの寺院へ入ってそこのトップになった人もいますしね。

空也は”高野聖”など諸国を渡り歩く僧侶の先駆けとも言われていて、彼の後そうした遊行僧が増えていったそうです。

一遍らが尊敬したのもおそらく、それまでにあまりない修行の仕方をしていたからなのでしょう。

残念なことに、それを逆手にとって戦国時代には高野聖になりすましたスパイが横行するようになり、業を煮やした信長に大量殺戮されてしまうのですが……ホント宗教が世俗に利用されるとロクでもないことが起きますね。

 

口から出ている六体の阿弥陀像は「南無阿弥陀仏」

さて、空也に関するお話をもう一つ。
出自の謎からか徳の高さからきているのかわかりませんが、空也と称される木像には他の聖者たちとは全く違う特徴があります。

質素な服装や首から下げた鉦(手に持って鳴らす金属製の楽器)と撞木(しゅもく)を持っているところまではいいとして、口から阿弥陀像が六体吐き出されているのです。

一見罰当たりとも取れる表現ですが、これは「南無阿弥陀仏」の六文字を表しているのだそうで。

つまり「吸う息吐く息が念仏のように尊い方だった」ということなのでしょうが、これ思いついた人すげえな。

「南無阿弥陀仏」の文字をそのまま口から出してたら、マンガの吹き出しみたいになっちゃいますしねえ。
もしかしたら一度そうしてみて「いやいやこれはねえだろwwww」と思ったから仏像に置き換えた……なんて話だったりするのかもしれません。

しかし、それだけ尊いと思われていた人の事跡がこれほどまでに不明というのもしっくり来ないですね。

もしかしたらどこかのタイミングで、空也の存在が不都合になった人物が記録を処分してしまったのかもしれません。
ただ単に災害や戦火で散逸・焼失してしまった可能性も大ですが、はてさて。

死海文書みたいにどこかの洞穴から見つかったりしませんかね。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
空也/Wikipedia

 



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