本郷和人東京大学教授

本郷和人の歴史ニュース読み

なぜ忠直は将軍になれなかった? 東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み

日本中世史のトップランナーとして知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。

今週のテーマは「徳川将軍候補・松平忠直をめぐる暴君説は家康の秀忠愛が誇張され?」です!

 


家康に遠ざけられた秀忠の兄・忠直

◆暴君?名君?謎多き家康の孫・松平忠直 大分合同新聞 5月25日(→link

himesama姫さまくらたに

「松平忠直というと、松平(結城)秀康の嫡男でしょう? 秀康は徳川家康の次男。3男秀忠のお兄さんだったのに2代将軍になれなかった、という」

本郷くん1

本郷「うん。そういうこと。家康は秀康とその母親を愛している形跡がないんだよなあ。長男の信康を切腹させたあとは、秀忠を長男として扱っていて、秀康はかわいそうに、物の数にはいっていない感じだよね」

「秀忠は関ヶ原の戦いに間に合わなかったじゃない。それで徳川家の継承はどうするんだ、年長の秀康か、関ヶ原でチョンボしたけれど秀忠か、それとも関ヶ原でがんばった忠吉(4男で秀忠の同母弟)か。そういう話し合いが重臣たちが参加して行われた、という話もあるでしょう?」

本郷本多正信らは秀康を推した。秀忠を推したのは大久保忠隣だけだった、という史料を読んで、へぇそうなんだ……と思ってね。でも、もういちどよく見てみたら、その史料は大久保家で作られたものだった。ご先祖様顕彰ものか。じゃあ、信用できないよね。まあ、ぼくは秀忠後継はがっちり決まっていて、動かなかったと思うよ」

「秀康の何が気に入らなかったの? 正室である築山殿への遠慮説もあるみたいだけど」

本郷「ぼくは、築山殿=悪女説は後年に作られたものだと思うので、信用していない。築山殿が嫉妬深くて他に側室を持つことを禁じた、なんてのはどうかな? うそじゃないかな。ただねえ、家康は築山殿を愛していたと思うから、秀康を生んだ女性を意識的に遠ざけた、というのはあるかもね」

「え?どういうこと?」

本郷「家康は何らかの事情があって(ぼくは信長がらみだと思っているけれど)築山殿と一緒に住めない。それで彼は20代で健康な男子だから、ついふらふらっと身近な女性と関係を持ってしまった。すると、彼女はすぐに妊娠した。まぁ、そこには真剣な愛とか恋とかはなかった。むしろ、築山に悪いことをしてしまった、っていう後悔が生じて女性を遠ざけ、生まれてきた子と父子の対面もしなかった。現代だったらバッシングの嵐、炎上ものの最低な行為だけれど、そんなところが真相だったんじゃないかなあ。『於義丸(秀康の幼名)? だれだっけそれ? あ、一応おれの子なのね。ふーん。 長丸(秀忠の幼名)、おいでおいで。かわいいでちゅね。父上でちゅよ』みたいな感じじゃなかったのかなぁ」

「うわ、最低ね。於義丸は年長だったのが災いして秀吉のもとに人質に行った。それで、嫡男からはずれた、という解釈はどう?」

本郷「いやあ、徳川家の嫡男だったら、人質には出さないでしょう。もしくは人質に出したとしても、嫡男はあくまでも嫡男として扱うでしょう。秀康は何だか、これさいわいと、邪魔者の厄介払いみたいな感じだものね」

「そうねえ。結城姓を名乗ることにもなっちゃうし」

本郷「秀康は松平姓に戻りたがっているよね。それが実現したのがいつか?については説が分かれるみたいだけれど。それで彼は5男の直基に結城の家のお祀りを頼むんだよね。それなのに、直基も松平姓を名乗りたくて仕方がない。結局、由緒正しい結城という名家はなくなっちゃった」

「結城家の史料とかはどうなったの?」

本郷「さっき言った秀康の5男の直基ね。この人が受け継いでいるみたいだ。ともかくこの家は引っ越し、まあ、まじめにいうと移封が多くてさ。最後は群馬県前橋の殿さま(15万石)だな。最後の殿さまが直克さん、その養子が直方さん(最後の前橋藩知事)、その養子が基則(1875~1930)さん。史料編纂所には松平基則氏所蔵文書という名前で影写本(古文書の精巧な写し)があってね。結城家の文書はその中に若干、収められているんだ」

「あら? 影写本には、○○家文書、という名前のものと□□氏所蔵文書というものがあるわよね。これはどうちがうの?」

本郷「お。良いところに気がついたね。家に代々伝わってきた文書。これは、たとえば毛利家文書とか島津家文書とか、伝えてきた家の名前で表す。でも、文書を集めた人がいて、まあコレクターだな、その人が持っていた文書群の場合は、神田孝平氏(洋学者・政治家)所蔵文書とか、狩野亨吉氏(教育者・京都帝大文科大学初代学長)所蔵文書とか名づける」

「それを考えると、松平基則氏所蔵文書という名前は、ちょっとヘンね。江戸時代、この家がずっと持っていたものだったのでしょう?」

本郷「この家が結城を名乗っていたら、結城家文書とか松平結城家文書とかで良かったんだろうけれどね。松平に戻っちゃったから、こういう名になったのかな」

「その影写本って、有名な古文書が含まれているのよね、たしか」

本郷「うん。戦国大名としての結城家の分国法、『結城氏新法度』とかね。源頼朝の下文とか、足利尊氏の下文とか。原本は太平洋戦争の戦災で焼けちゃったので、この影写本自体がものすごく貴重な資料だね」

「あら、そうなの! ん? でも、それがどこかで発見されたんじゃなかったっけ?」

本郷「お。よくご存じで。焼けたと思われていた頼朝の下文は現存しているのが見つかって、いま神奈川県立博物館にある。足利尊氏の下文も結城市の個人宅にあった。でも、『結城氏新法度』は焼けたみたいだなあ」

「それは残念ね」

本郷「とまあ、いろいろしゃべってきて、話を戻すとさあ、そりゃあ、松平忠直は罰せられるよね」

「ん? どういうこと?」

本郷「だって、幕府は儒教を取り入れて、お家騒動をなくすためにも『長子相続』を根付かせようとしていた。だとすると、秀忠の兄の長男である忠直は、どうやっても粛清されるだろうね。ある意味、豊臣秀頼と同じで、存在自体がヤバいわけだから」

「暴虐の君主とかは、あとでいくらでも話を作れるものね。豊臣秀次も、徳川忠長も、それにこの松平忠直も。結局は最高権力者に睨まれて、滅びていったのね。そういう意味では、忠直は命があっただけ、ましだったのかもしれないわね」

本郷「そうだねえ。長生きできてよかったね」

 


生々しい仏像の所有権

◆国重要文化財の仏像 所有権めぐり訴訟 livedoorNEWS 5月25日(→link

「うわ。これはなまぐさい」

本郷「お寺はすさまじいからね」

「そうなの?」

本郷「いや、大多数のお寺さまは、まじめに宗教活動をなさっています(棒)」

「ごく少数が問題なのね」

本郷「重要文化財に指定されている仏像、相当数が今行方不明でしょ? 盗まれた、燃えた、と言われたら、文化庁はそれ以上何も追究できないんじゃないかな。でも焼けたはずの仏像が、なぜか海外で売られたりしているという話があるんだね」

「ぎえええ。なに、それ?」

本郷「まあ、札束持ってこられたら、気持ちは揺れるよなあ……。でも、この話はヤバいので、これにておしまい!(ああ、いろいろ言いたいよう……)」

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