賢丸(まさまる)は妹・種姫との会話から、あることを思いつきます。
田安の種を江戸城に撒くというのです。
いったい何のことなのか?
日本の伝統的な女性像とは?
尼姿の宝蓮院が出てきました。
彼女は重要な役目を果たします。田安家が当主不在となった折、代行を務めているのです。
ゆえに彼女の一言にはかなりの重みがある。
江戸時代から明治時代になり、女性差別の撤廃が進んだかといえば、実はそうでもない。
むしろ、江戸時代にはあった女性の権限が、明治以降は後退したほどです。
これは今、実はなかなか熱い話すよね。
その筆頭といやァ、夫婦別姓よ。なーにが日本の伝統でぇ、夫婦同姓なんざ西洋由来で、明治の途中から借り物みてぇに取り入れただけじゃねえか!……ってコト。
宝蓮院は世継ぎのいる西の丸へ向かい、知保と話をしております。
二人が見守っているのは、将棋盤を挟んだ家基と賢丸。隣には、松平武元もいます。
ここで宝蓮院が悲しげに顔を曇らせる……と、知保が案じて声をかけてきます。
同じ吉宗公の血を引く者同士として、賢丸は家基を支えようとしてきたのにできない。そのことが悲しいとのことです。

徳川吉宗/wikipediaより引用
もしも家基が将軍になれば、側に侍り、盤を囲む者は田沼意知であろうという見通しを語る。
知保は爪を噛んでいます。家基も将棋の手を考えて爪を噛んでしまいます。母と子で同じ癖があるようで。
知保は武元に打開策を尋ねます。
「一つだけ、手がございますかと」
果たしてそれは何なのか?
政局が動く局面において、女性二人がしっかり力を持っている点も、ジェンダー観点からみて重要ですぜ。
ジェンダー観点の歴史学という点では、今年は近年大河でも上位に入るんですけどね。吉原題材というだけでバッシングされているのが何つうかなぁ。
地本問屋をギャフンと言わせたい忘八親父ども
吉原でも、忘八どもが将棋盤を挟んでおります。
将棋考証および指導が盤石なドラマだぜ。忘八は上様周りほど細やかな手つきではないんだな。
話題は瀬川最後の花魁道中へ。
なんでも歳の暮れだとか。正月なら『細見』も捌けたと惜しまれていて、いっそ暮れに売っちまうかという話にもなってきます。
地本問屋と手の切れた忘八どもは、もはやルール無用てなわけでして、ついでに「ネクスト瀬川枠」を披露する女郎絵も売ってはどうか?と話が進んでゆきます。
忘八どもは地本問屋にかなりの怒り心頭に発しているようで。
鱗形屋の『細見』も、『雛形若菜』も潰しちまえと策を出してきます。

『雛形若菜の初模様 金屋内うきふね』礒田湖龍斎/wikipediaより引用
ところが肝心の蔦重はボケーっとしている。
瀬川の身請けがショックなんだな……。そんな蔦重に、大文字屋が企画を話します。
錦絵を大量に出すとなると金がかかると渋る蔦重。大文字屋は地本問屋を潰せるならいくらでも金を出すと言い切りましたぜ。あのドケチがこうだ。怒りっぱなしだねえ。
次郎兵衛は「なんであんなに血の気が多いのか……」とこぼしつつ、蔦重と店の外に出てきました。
すると瀬川が身請け披露の挨拶をしている。
彼女が去ってしまうことをあらためて実感しつつ、世話になった相手に餞(はなむけ)をしたいと考える蔦重。
しかし次郎兵衛は安定のバカボンですんで、「花魁道中を盛り上げればいいんじゃね?」程度のことしか思いつきません。
「そりゃこちらが瀬川使って儲けてえって話じゃねえっすか」と蔦重がつっこむ。
もっとあいつが心から喜ぶようにしたい。
そんな本心があるのです。
すると次郎兵衛が何かに気づきます。あの連中は……吉原出禁の地元本屋どもが敷地内に潜り込んできやがった!
蔦重は次郎兵衛を置き、連中の後をつけていきます。奴ら、若木屋に入って行きやしたぜ。
若木屋与八の企み
若木屋与八は窓の障子を閉めました。
そこにいるのは地本問屋の西村屋与八。

初代西村屋与八/wikipediaより引用
話題は地本問屋吉原締め出しのことでさ。
丁重に挨拶しつつ、駿河屋から吉原出禁にされて困っているといいます。
しかし、鶴屋が吉原者を差別した件がばっちり広まっており、女郎屋の主人たちは血の気が多い態度で悪態をつきます。まぁ、西村屋のマシリトヅラはなんか胡散臭ぇもんな。
「(私が)言うわけないでしょう!『雛形若菜』で吉原にこんなに世話になっている身の上で」
そう西村屋が返すと、誰が言ったのかと問い詰められてゆく。
私じゃないし同行した忠五郎でも鱗形屋でもない。その上で「吉原に関わる本屋が、んなこと思うわけないじゃないか」ときました。
若木屋は話をおさめつつ、啖呵を切った連中、駿河屋を問題視します。
まぁ、実際、吉原常連の地本問屋はいるわけで、西村屋も若木屋の馴染みでした。それなのに、駿河屋たちだけで何を勝手に仕切ってんだ!と若木屋は怒っているわけです。
かくして若木屋のまとめる女郎屋の主人たちは、地本問屋の出禁を解きました。
蔦重は源内に相談したい
蔦重は本屋におります。
すると客と店員の会話から『籬(まがき)の花』が市中で扱えなくなっていることが判明しました。
市中への流通禁止で、吉原に行って求めろということになったそうで「吉原者はしょうがない連中だ」という差別意識が滲む会話が展開されます。
さらに蔦重は『籬の花』が撤去、廃棄されているところまで見てしまう。
忘八の暴力沙汰の噂は、バッチリ江戸市中に流れてしまったんですね。
どうすりゃいいんだ……そう悩みながら歩く蔦重を、平賀源内が見つけました。

平賀源内/wikipediaより引用
源内は、瀬川の身請けの件で、蔦重を思いやります。
鳥山検校は「金の亡者」扱いされてますね。しかし蔦重は、商売の件で助言を求めたい。
話が噛み合わねえんすわ。源内は案外ゴシップ好きなので、こうも追い詰められたということは、瀬川と何かしちまったのかと聞こうとする。
するとそこへ須原屋がやってきます。
さて、この三人は「悪所」へ向かいます。「悪所」というのは吉原や岡場所だけでなく、歌舞伎座もそうです。
歌舞伎というのは、出雲阿国が発祥とされておりますね。
当初は歌舞を得意とする女性が集団で踊るものでしたが、風紀を乱すと幕府が禁じ、じゃあ若衆(美少年)ではどうか?となると、これも禁じる。そして現在の歌舞伎になるわけです。
なぜ風気が乱れるか?
というと、歌舞にとどまらず、性的な奉仕もしていたという点がひとつ。
元の歌舞伎から演芸だけを切り離して「歌舞伎」となり、性的奉仕を切り離して「吉原」になったというワケですね。
かつて、最上級の吉原女郎は「太夫」でした。
「太夫」とは技芸を誇る者への尊称です。しかし、そういった技芸の達人は消えてゆき、代わりに最上級の女郎は「花魁」と呼ばれるようになります。
花の魁(さきがけ)という意味で、名花の中でもトップクラスという意味――『一目千本』の世界観ですな。
「太夫」は江戸前期。
「花魁」は時代がもっと下ってから。
太夫と花魁の区別は、衣装でつきます。
太夫のころはむしろ薄化粧が特徴であり、花魁の頃になってやたらと着飾り、簪の数も増えてゆきます。
時代考証が割とちゃんとしている、研究肌の凝り性浮世絵師・月岡芳年の描いた高尾太夫をイメージするとよいかと思います。

月岡芳年『月百姿』に描かれた2代目高尾太夫/wikipediaより引用
ただし、歌舞伎から性的奉仕が完全に切り離されたのか?というと、そうでもありません。
女形は男好きの相手をするわけですね。だもんで、源内先生はウキウキワクワクしている。忘れられない彼氏の二代目・瀬川菊之丞も女形でしたもんね。
将軍やその周辺は、まず歌舞伎見物をしません。
能楽はかつては将軍も舞ったものですが、歌舞伎は切り離されている。
清では皇族が京劇を楽しむ。イギリスの王族はシェイクスピア劇を見る。フランス王はバレエを舞う。
それと日本の歌舞伎は違うわけですね。
明治以降、生き残りをかけてだいぶお上品になったのであり、元はなかなかワルいエンタメで、当時の風俗も取り入れて進化してきました。
例えば、今度『刀剣乱舞』が歌舞伎になりますよね。能では、そうはいかない。
つまり、歌舞伎ってぇなぁ、その時代の息吹を取り入れていく、古いようで実は常に新しいもんなんすよ。
てなわけで、源内先生はもう欲望に着火しちまったんすな。
「推し活」は江戸時代からある
相談乗ってくれねえのか。なら遊んじまうか。そう開き直って絵双紙屋へ行く蔦重。
「おー、春章!」
そう声を上げると、店員から「騙されたね」と声をかけられる。よく見るとパチモンだ。似せて描いてんだな。

『初代中村仲蔵の斧定九郎』勝川春章/wikipediaより引用
この役者絵つうのはブロマイドのようなものです。
劇場やコンサート会場でアーティストの写真を販売しているようなモンだ。推し活最前線だわな。
歌舞伎座が悪所扱いされるのは、ファンが出待ちをしたり、推し活グッズを買い漁ったり、何かと過熱し過ぎて風紀や教育上よろしくないという懸念もありました。
なにせそのうち、【死に絵】なんてモンまで出てきます。
要は追悼グラビアなのですが、これがもう無茶苦茶でして「早いもん勝ちだから戒名捏造して入れちまえ!」みたいなヒデェ商売もやらかすのです。推しの心理は、昔からつけこまれるもんよ。
すると蔦重が、ある疑念を覚えます。なぜ役者絵はステージ上に立つ姿だけなのか。プライベートの絵もあれば売れそうなものなのに……って、これは後に出て来ます。
役者同士でレジャーをして遊ぶ絵なんかも出てくるのですが、それは先の話。
勝川春章の“パクリ”といいますか、こうした“フォロワー”も見逃せません。
浮世絵を考える上でその存在は大変重要でして、江戸ではビックネームが一人生み出されると、そのフォロワーだらけになりました。
これが門派単位となると、弟子がまず求められるのが師匠の作風に近づけること。
門派単位で買うファンも多いので、そうしないと売れないんすね。これができないとなかなかブレイクできねえんすわ。
特に蔦重の死後、歌川派が江戸を席巻するとそれが顕著になりました。
歌川広重と歌川国芳は、師匠の作風を再現できず、自分なりの作風が入ってしまうためなかなか売れず、絵師としての前半は大苦戦。
ちなみにこの両者ともに、葛飾北斎や西洋技法の影響も受けています。
それを向上心としてプラスと見るか。こういうのは求めていないとマイナスと見るか。賛否両論でした。
改めて申し上げますが、広重と国芳ですよ?
文句なしで浮世絵師代表格のビッグネーム。今でもユニクロ浅草に行けば、彼らの絵をプリントしたイカすアパレルがあるっつうのによ。なかなか難しいモンすね。
しかし、途中で挫けなかったからこそ二人は大成できました。
弟子が師匠を真似つつ自分の個性を入れ、それを確立させていく出藍の過程というのもかなり見どころがあります。
ちなみに葛飾北斎は、勝川春章に弟子入りするところから絵師としての人生が始まっています。
あれほど我の強い北斎でも、初期は師匠の画風をフォローしていました。

葛飾北斎82才の頃の自画像/wikipediaより引用
ドラマ最終盤、蔦重がその個性を見抜けるかどうかに注目したいですね。
ちなみに蔦重の特殊性は、喜多川歌麿と東洲斎写楽を、師匠のブランドありきでなく、一からプロデュースして売り出したところにあります。
と、ここで蔦重、鱗形屋の声を聞いてその姿を確認すると、須原屋もやって来ました。
鱗形屋は青本が売れて元気がいいそうです。
源内はどこにいるか?ってぇと、カワイイ男の裾を捲り上げていました。
流石に下ろすよう頼む蔦重。源内先生、日の高いうちから元気すぎねえか?
オットセイとか、スッポンとか、マムシとか、肥後ずいきとか、四ツ目屋で買ってそうすね。ま、このあたりは各自お調べください。

江戸中村座『関東小禄』鳥居清信作/wikipediaより引用
あいつを喜ばせてえ
ようやく三人は居酒屋へ。
当時を再現したセットのため、膳は使わず、食器は床に直接置いています。
蔦重から事情を聞いたのでしょう。須原屋は「そう悪くない話じゃねえか」とのことです。
鱗形屋は『細見』を持ってくるし、西村屋は錦絵を作ってくれる。それで吉原は賑わう。蔦重は元通り「改」に戻りゃいい。
蔦重も思わず納得。須原屋は「ものは引いて見ること」の大事さを説きます。しかし、それでは元の木阿弥だと気づく蔦重。
「もうやりてえことやったら?」
源内がそうつっこみます。さすが、わがままが過ぎて、奉公構をやられた奴ぁ言うことが違いますね。
蔦重には、忘八というスポンサーもいるし、自分なら「御託を並べて、てめえのやりてえことをやっちまう」と言います。
源内が田沼意次を後ろ盾にして、やりたい放題をしている思考回路が見えてきた気がしますが、そんな我儘源内に「やりてえことは何か?」と問われて蔦重はニヤニヤしてしまう。
「いや〜ダメだ! 言えねえっすよ! 笑われまさね。“絵に描いた餅”って」
笑われるからと秘密にしようとする蔦重。源内と須原屋は笑わないから言ってみな、と促してきます。
するとしばらく考えてから態度を改め、こう言いきります。
「俺は吉原を、昔のような江戸っ子が憧れるようなとこにしてえです! いかがわしい離れ小島って見下されんじゃなくて、吉原で遊ばなきゃ一流じゃねえって見上げられる場所で、そこにいる花魁なんてナァ男にとっては高嶺の花で。だからすっげえ大事(でぇじ)にされて。そこにいる女郎たちにとっちゃあいい出会いに恵まれて。つれえことよりも楽しいことの方が多い。俺は吉原を、そんな場所にしてえです」
出会った女郎たちを思い出しつつ、そう語る蔦重。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
「で……あいつを喜ばせてえ」
“あいつ”とは、瀬川花魁のこと。幼馴染で、世話になりっぱなしのまま、見送ることになった。それであいつを喜ばす手はねえかと考えているそうです。
「いいじゃねえか蔦重。花魁のために吉原を、皆が仰ぎ見るところに変えてやろうぜ。それこそ、千代田のお城みてえによ」
源内がそう言いました。
お城――こう聞いた蔦重の脳内に、あの八五郎と熊吉の会話が響きます。
「熊吉つぁん、そいつは何でえ?」
「これはお城にも納められてる吉原絵なんだよ」
「本当かい?」
「上様だってお忍びで吉原に行ってるかもしれねえって噂だ。近頃の吉原はもう大変(てえへん)なとこになったんだぜ」
これだ!
蔦重が思い付きます。
なんでも吉原絵を上様に献上するんだとか。ほんとうに見なくてもいい。ただ、その噂が欲しいだけなんだとよ。将軍を用いて吉原の格を上げるんだってさ。
須原屋が「少なくとも田沼様までには届くよな?」と、源内に念押し。これには源内も賛成し、乗り気になるのでした。
上様献上なるか?
さて、その千代田のお城では、徳川家基が父・徳川家治に「願いがある」と申し出ています。
家治は勝手に吉原の絵を見ることに設定されておりますが、これは家治だからよいのかもしれません。
家治は歴代将軍の中でも、性的には淡白。御台所とは相思相愛、十代で婚約し、仲睦まじくしておりました。
知保はあくまで腹を借りると言いますか、世継ぎのために寵愛された存在ともいえます。
そして家治は文化に明るい。
良い絵だったら好奇心にかられて見ても不思議はない。蔦重の発想はなかなかよいのですよ。
将棋の名人でもあり、絵心もある。この家治直筆の絵をステータスシンボルとして伊達重村などは贈賄してまでもらっていたそうで、彼も時代の象徴です。
さて、そんな将軍は、最愛の我が子の願いを寛大に聞き入れようとします。

徳川家治/wikipediaより引用
蔦重が、いざ上様献上の秘策を語ると、忘八どもは目玉飛び出しそうなほど仰天してしまいます。この親父ども、浮世絵みてえなツラしてんな。
このドラマのすげえところは、顔の作りが浮世絵じみてる。
公式SNSに投稿された蔦重のオフショットを見て、ため息をついてしまいました。こういう表情は浮世絵だけのもんじゃねえと思ったもんです。どういう表情筋の使い方してんでえ。
蔦重は、源内を使ったら田沼まで届くという。そして上様ご献上となりゃあ、犬のクソでも売れると言い切りました。
これ、笑っちゃいけねえと思いますぜ。今だって、仕出し屋の高級弁当ランクが「殿様」や「大名」だったりするじゃねえですか。
さっき見た肥後ずいき通販サイトも、そんなランク付けしてましたぜ。各自、お調べください。
りつは「上様ご献上となれば上様が吉原に来ているかもしれない」と思い付けば、扇屋が重々しく「格が上がりゃあ客筋も良くなるな」と続く。
この扇屋は忘八の中でも知性派、諸葛孔明じみた面構えで、彼の特徴といえます。扇屋の女郎は知性派として名を馳せています。
客筋がよくなれば金も落ちる。豪気な身請けもぼんぼん出る。いいことづくめだと親父どもも納得。
ただし、知性派の扇屋は献上できるようになると値が張ると気にしております。
そんな高い本が江戸で捌けるのか?と。
蔦重には、何やら秘策があるようで……。
それを聞いた親父どもは、地本問屋が火を吹いて悔しがるだろうとノリノリです。
いいんですかい? ますまず溝が深まらねえか?
そこで蔦重が本のかかりをお願いしたいという。
「100両!」
金額を聞くやいなや、蜘蛛の子を散らすようにシラける忘八ども。
瀬川が1400両で身請けされ、うつせみが300両で身請けできるという概算を踏まえると、この程度でしらけ切る親父どもはなんとも言えんのですが……。
すると駿河屋、チャリンと音を響かせ、50両を出すと宣言しました。感激する蔦重。
「ただし、これは入銀じゃねえ。貸付だ」
そう釘を刺し、戸惑う蔦重に畳み掛けます。
「ふ〜ん。でかい口きいても返せる見込みは立ってねえってことか」
「いや! こりゃ売れますから! 売ってみせますぜ!」
煽られる蔦重。いけんのかい?
まるっきり新しい女郎絵本を作る
新たな本づくりに着手することになった蔦重は、さっそく勝川春章を吉原まで案内してきました。
随分と売れっ子を引っ張ってきたじゃねえか。
なんでもご近所の北尾重政が声をかけたそうで、これが江戸文化ってやつだ。
江戸はネットワークでウェブ状に繋がっているので、ご近所さん同士のコミュ力が大事(でぇじ)なんすよ。
その点、陰キャコミュ障だった『光る君へ』のまひろとは異なるんですね。あれはデカいスポンサーである藤原道長を見つけることで打破できました。
春章は「女を描けない」という評価もあるようで、それを打破したいとのことです。
いやはやどうして、春章の肉筆美人画は「春章一幅値千金」と評され、さる大名も持っていたそうですが、それはまたのちの話ってことで。

勝川春章『雪月花図』/wikipediaより引用
瀬川が赤い格子にもたれかかり、本を読む。
そんな松葉屋に蔦重が春章を案内します。そこは空き時間をくつろぐ女郎の姿がありました。
三味線や琴を弾き、花を生け、煙管をくわえ、おしゃべりを楽しむ、そんな姿です。松の井が「また本を作るのか?」と尋ねると、いねが瀬川の次を売り込むための本だと返します。
「次か……」
瀬川がぽつりとつぶやく。
蔦重は本に目を落とす瀬川を横目に、春章を案内してゆくのでした。
『青楼美人合姿鏡』完成
かくして、売れっ子絵師による吉原絵本『青楼美人合姿鏡』が完成しました。
完成本が、田沼意次の前に積まれております。
平賀源内が口上を述べ、上様へのご献上を頼みます。
「面をあげよ。そのほうら、何故かような本を?」
源内に連れてこられたのは、扇屋、駿河屋、そして蔦重です。扇屋は蔦重が説明すると促します。
蔦重は「僭越ながら」と切り出し、瀬川のめでたい落籍のことを話します。
「ありがた山……お前、ありがた山か?」
ここで意次、気づきましたぜ。
「覚えててくださったんですか?」
これが田沼意次のコミュ力なんすよね。実際、人当たりは抜群に良かったそうです。しかも美男でした。

田沼意次/wikipediaより引用
意次は破顔一笑し、「あのような物の言い方をするやつはほかにおらぬからな」と続けます。
驚く扇屋と駿河屋。
ここで、蔦重の「地口」が連発されるぜ。
・かたじけ茄子(なすび)
・大当たりのこんこんちき
・仰せの通りの油町
意次は調子のよい口調に笑います。そのうえで瀬川は今年よみがえった名跡かと尋ねる。
蔦重はその由緒ある名跡が蘇った記念だと説明。すかさず駿河屋が「徳川様の御意向をささやかながら世に伝える所存」と続けました。
意次は瀬川の道中について源内から聞かされ、それで日光社参見直しの算段を思いついておりますので、恩返しをしなければならないと言い出しました。なかなか義理堅いっすね。
田安の種蒔き
さて、その意次は家治から意外な話を聞かされます。
なんでも、田安賢丸の妹である種姫を、家治の養女とし、徳川家基と夫婦にするのだとか。
意次が理由を尋ねると、なんと家基が賢丸の白河行きを止めようとしたそうで。
家治は家基に怒り、もう止められないと叱りつけておりました。しかし、家基はそれができぬならば田沼を退けろと言い出したのです。

徳川家基/wikipediaより引用
どうやら田沼が卑劣な手段で賢丸を追いやったと信じているようで、喧嘩両成敗だと迫ります。
家治が「これは喧嘩ではない、汚い手を使った証拠もない」と言います。
しかし家基は「身内を切って捨てられても憤るどころか庇われる!」と言い出した。母親によく似た性格のようです。
なんと父親を「成り上がりの傀儡」呼ばわりまでしました。
背後にいる松平武元が言葉が過ぎると嗜めていますが、元々は彼や知保あたりから聞いた悪口なのではないか?と思えてきます。
家基が謝罪すると、温厚な家治も立ち上がって忿懣やるかたない表情を浮かべます。
そこへ武元がフォローするように「田安への慈悲をいただきたい、上様(家治)と西の丸様(家基)との間に禍根を残したくない」と訴えるのでした。
賢丸は、これで家基の義兄となる。種を蒔くとはこのことでしたか。
話を聞いた田沼意知と三浦庄司は「田安の種蒔きか」と笑っております。
しかし、意次は笑い事ではないと苛立っている。
家基が将軍になるのはまだまだ先のことだと意知は楽観視していますが、そうではないと意次が説明します。
「虫はおのずから明るい方へと寄っていく。今のこの話を聞いて田沼のこのさきが明るいと思う者はおるまい。人が離れていく」
意次はそう言いながら武元へ怒りを募らせるのでした。
かくして種姫は江戸城に入り、大奥総取締・高岳の歓迎を受けております。
これに対し賢丸は家治に礼を言い、白河松平家へ向かう。
この一連の流れは「政治劇」と流せそうで、種姫本人の意思は一切見えてきません。種のことを兄に尋ねたばかりに翻弄され、道具とされています。
これも一種の搾取ではないか? そう考えてしまいます。
二人の見る夢は
吉原では、ついに瀬川最後の花魁道中を迎える準備が整っておりました。
蔦重は松葉屋に『青楼美人合姿鏡』を託し、瀬川に渡して欲しいと頼む。と、思わぬ答えが返ってきます。
「忙しいから自分で渡しとくれよ」
「えっ! いいんすか」
「えっ? なんでだめなの?」
「ハハハ……でさね! てめえで渡しますわ」
粋な心遣いすね。松葉屋の親父はどうにも気の優しさみてえなもんが微かに滲んでんのよな。
実際のところ、忘八美談の類は残されていないわけでもない。していることは性的搾取っちゃそうですけれども、それでも温情の示し方はあるんですね。
蔦重は、花嫁衣装を用意した瀬川のもとへきます。彼女は売れるものは売り、あげるものはあげて、さっぱりしているのだとか。
そんな瀬川に、蔦重は餞別として『青楼美人合姿鏡』を渡します。
笑う瀬川。
「あんたが何かくれるときは、いっつも本だなって」
瀬川は本を開きます。随分立派な本だと驚いています。
そしてそこには、本を読む瀬川の絵があるのでした。
「これ……わっちも載せてくれたのかい? もう出てくのに」
「そりゃあ瀬川最後の絵姿だってうたわせてもらいますんで」
瀬川は営業トークじみた話を聞いているものの、最初で最後の絵姿に感無量。
しかも、本を読む姿です。
「わっちの絵は、この世でこれきり……嬉しいもんだね。わっち、本読んでんだね」
「それが一番お前らしい姿だと思ってよ」
そこにはのんびりとした、女郎をしていない、女郎の姿があるのでした。
「ずるいよ。こんなふうに描かれると、楽しかったことばかり思い出しちまうよ」
涙を拭いつつ、そう語る瀬川。
「なあ。俺は吉原を、楽しいことばかりのとこにしようと思ってんだよ。女郎がいい思い出いっぺえ持って大門出てけるとこにしたくてよ」
「そんな色里あるわけないじゃないか」
「いい身請けがゴロゴロあって、年季明けまでいるやつなんかほとんどいねえのよ。吉原来りゃ、人生ひらけるなんて言われて、そのうちわざわざ吉原来て、うめえことやろうって考えるやつも出てきてよぉ」
「ハハ……馬鹿らしうありんす」
「馬鹿みてえな昼寝の夢みてえな話だ。けど、お前も同じだったんじゃねえの? こりゃ二人で見てた夢じゃねえの?」
これが幼い頃、苦界で出会った二人の見た夢でした。
見果てぬ夢。おとぎ話。ありえないこと。
でも、叶わないからこそ見続けることができる。理想に手を伸ばし続けることができる。そんな馬鹿な二人の夢です。
でも、その馬鹿な夢を見ているかぎり、二人は繋がれているってことですな。
瀬川最後の花魁道中
安永4年(1775年)12月――仲ノ町通りの端から端まで、瀬川最後の花魁道中が始まりました。
花嫁衣装に身を包み、歩いてゆきます。
「瀬川〜!」
「よっ、瀬川!」
「瀬川だ、瀬川だ!」
「粋だねぇ!」
「すげえなぁ!」
「美しい!」
「これが吉原よ!」
「めでてえ!」
「幸せになれよ!」
その後には花魁の姿が続きます。
美しい瀬川の幸福を願う気持ちは、嘘ではないのでしょう。
嘘に塗れた吉原が、真の誠意にあふれる、夢幻のような美しさがそこにはあります。
蔦重はジッとその白鷺のような姿を見ています。彼は言っていました。
「こりゃ二人が見ていた夢じゃねえの? だから、俺は、この夢から覚めるつもりは毛筋ほどももねえよ! お前と俺をつなぐもんは、これしかねえからよ。俺はその夢を、ず〜っと見続けるよ」
「そりゃまあ、べらぼうだねえ」
瀬川はそう笑い、涙を落としたのでした。
瀬川は道中を終え、振り向き、吉原に別れを告げます。
「おさらばえ」
そして同じ夢を見る蔦重の隣を通り過ぎ、大門をくぐり、鳥山検校の前に向かいます。
「お待たせいたしんした」
そう手を執るのでした。
「トウザイ、トウザイ、ご注目!」
声を張り上げる蔦重に合わせて、次郎兵衛と留四郎が太鼓を打つ。
ドドン!
「今日吉原の売りたるは、世にも稀なる女郎絵本!」
「稀なる! どこが稀なるか!」
お、次郎兵衛が珍しく仕事をしだしたぜ。
蔦重は瀬川が載っている、これが最初で最後の絵姿と宣伝。
次郎兵衛が「世にたったの一枚ときたものか!」と続けます。がんばって覚えたな、えらいぜ義兄さん。
さらに、ここでずらりと並んだ花魁たちも漏れなく載っているとか。花魁たちは瀬川に負けじと妍を競います。
するとここで、あの毎週出ているのにレアキャラと話題の朋誠堂喜三二が今回はジッと映ります。やっと久々に確認できた人も多い、つか、大半じゃねえか?
「とどめにこいつは極めつき! うそかまことか、上様もご覧になったという噂〜!」
「上様!?」
すかさず留四郎が、お求めの方は大門をちと出たところ、五十間の蔦屋までだと案内します。
セリフ長えよな。次郎兵衛は覚えきれんかもしれねえな。
かくして江戸っ子が吸い付くように蔦重に殺到すると、鳥山検校はどこか訝しげな顔をしているのでした。
そしてあの西村屋は、須原屋で売っていたと『青楼美人合姿鏡』を鱗形屋と鶴屋に見せています。
「あの小僧が出しやがった、献上本だよ!」
「蔦重の本を書物問屋が? ありえねえだろ!」
なんでも山崎屋と相版元で出したとか。裏をかかれたと悔しそうな西村屋。最近出てくるたび悔しがってんな、こいつ。
なんでも問い合わせがひっきりなしなんだそうで、「『雛形若菜』はどうなるかと焦っております。
「ご案じなく。これは、売れません。売れません」
そう鶴屋がニタニタしています。まァ、高すぎんじゃねえの。
MVP:徳川家治
公方様と江戸っ子の関係性が垣間見えましたね。
実際に徳川家治が本を読んだのかどうか、そこはわかりません。
ただ、家治は絵も好む、文化好きで有名ですので、見ていても不思議はありません。
将軍家が見るような絵師は、狩野派あたりと決まっております。
蕎麦一杯の値段で売られている浮世絵なんざ、手に取るわけもない……はずだったんですが、だんだんとそれが変貌していくのが江戸時代の面白さでして。
そういう説明に『べらぼう』は使えるんだよな。
そんなわけで献上されただけでもドーッと江戸っ子は買い漁る。そういう権威の示し方もあると示しました。
家治の治世に対する憎悪や軽蔑は、田沼に向かっているところもわかります。
家基が口走ったように、田沼の言いなりだという噂は広く流れているということですな。
これが今後の展開にも繋がってきます。
喜多川歌麿が売れっ子絵師となった際、西村屋が売り出したライバルが鳥文斎栄之。彼は家治と絵の談義をしたという点が、セールスポイントとされます。
時代が下りますが、公方様と浮世絵といえば、家茂上洛を描いた『御上洛東海道』があります。
江戸っ子たちはこの絵を見て「今頃上様はこういう景色を見てんだね」と想像を膨らませていたというワケです。
ときに憎らしくもあるけれど、愛着もある。
江戸っ子の誇りたぁ将軍様のお膝元だったってことでさ。
てなわけで、今年の花見は、将軍家菩提寺のあった上野なんかどうですかね。江戸っ子気分になれるぜ。
総評
見果てぬ夢でしたね。
このチームは『麒麟がくる』に通じるものを感じます。
あのドラマも、光秀自身は麒麟が到来する様まで生きてはいなかったと思えます。
ラストで駆け抜けていたものの、あれは彼の志か何かと思った者です。
蔦重も瀬川も、馬鹿な夢、到達できない夢を見ています。
彼らが生きているうちに、夢は果たして叶うのか――。
その日は訪れません。それでも夢をみる理由はある。人と人をつなぐ。
そう示す、大変美しい回でした。
うん、こういうのが見たかった。そうしみじみと思える回です。
夢が実現するか、そんなの愚かだって言われますけどね。
理想や夢のない人生って、パッサパサのガサガサ、つまんねえもんだと思いますぜ。
そう思い出させてくれてありがた山。
国際女性デーが過ぎたばかりでやんす
今年も国際女性デーが過ぎましたね。あ、国際男性デーは11月19日な。
国際女性デーにウダウダ言っている暇があるなら、西村屋みてえに、対抗策を練りゃいいじゃねえですか。団結してよ。
さて、そんな記念日を過ぎまして、私にも見えてきたことがあるんすよ。
女郎の地獄ぶりを余さず描いた本作。
むしろ吉原を本気で取り扱っていると広まりつつあり、性差別的だという批判は下火になってきております。
ただ、それでもしつこく打ち切りを求める意見はあります。
書店から吉原やドラマを解説する本を撤去しろと言わんばかりの話でして。ったく、寛政の改革じゃあるめえしよ。その意見を読みつつ、私の中で答え合わせができました。
蔦重はじめ、江戸時代にいかに苦しむ人がいるか、本作は描かれています。
しかし、打ち切りを強く、しつこく主張する人って、対象が男性だとそれが透明化されてんじゃねえか?って仮説を立てたんす。その通りやんした。
フェミニストっつうことでよ、女性差別には怒る。強い言葉で反論する。
でも女性以外の差別は無関心どころか、むしろ率先してやるみてえなムーブをしてることすら往々にある。
自分とは真逆すね。あっしゃー、女性差別に反対しておきながら、別の被差別者を踏んづけるようなこたぁ避けたいんすけどね。
フェミニストってSNSで書き込みゃ、救われるとか。えらくなれるとか。んなもん、思想は宗教とちげーんだよ。今年の大河を貶したらうまく念仏唱えたみてえに褒められるってもんじゃねえだろ。
ただ、過激な強い言葉でなんか言ってりゃ、フォロワーには受けるんでしょうよ。持ち上げられて天狗になるってもんだ。
けどよ、こいつぁ実にあぶねえ話なんすよ。
女性を守るという名目は、他の差別の隠れ蓑に使われやすいんでね。
なんつうか、吉原を扱う大河をぶっ叩き、ガイドブックを撤去せよとスマホでポチポチと檄を飛ばし、それで何かと戦ったような気分になれる世界観が羨ましいというか。
こと、肩書きが立派な紳士なんかが「今年の大河は、性的搾取を描いているが、その無惨さを描ききれていない」っつー深慮遠謀ぶりを、SNSなんかで書き込みゃ、すげー意識高ぇな!って賛同浴びるムーブがあるのはわかりやすぜ。学のねえあっしでも、そんくれぇはわかる。
でもよ、なんつか、既視感はすげーある! 江戸の文化文芸ってなんかしらんけど、バカにされやすいのね。去年の大河とはそこが違って、平安文学や上方文化。西洋文化愛好者からしれっとコケにされがちよね。あるあるなんで流石にもう、慣れたぜ。
今年の大河の考証先生なんかと比較したら、こっちゃーせいぜい、昨日オムツが取れたばかりの泣き喚くハナタレですぜ。
そういう人にケチつけるってえのも、暴虎馮河つうかよ。あっしゃァ、見てきてんすよ、女性の先生の方が何かと叩かれやすいってことをさ。そこんとこ考えてんのかね。差別って往々にして無意識のうちにしちまうもんすよ。
それに吉原文化というのは、日本史の構造を踏まえて考えていかねえと読み解けないところが大きいんすよ。
今の性産業とは異なる要素もある。
そこをすっ飛ばして、見もしない、調べもしないで打ち切りを求めるって、何がしたいんでしょう?
あぁ、わかってらぁ。フォロワーにアピールしたいんすね。
これはキッパリ言っておきたいすけど、江戸文化を扱うなら、当時の差別性も入れねえと骨が抜けます。
このあいだ、葛飾応為の絵本を見てガッカリしました。
海外のものを邦訳したものでして、これだと北斎が幼いうちに応為の才能を見抜いて、自慢の娘だとして育てている内容なんです。
北斎は絵師としては超一流でも、人の親としてはサイテーとしか言いようがない放任主義者なんですけどね。
それに応為が絵師として名を残せたのは、結婚生活が早々に破綻したという要素も大きいんすよ。そういう差別構造を全部ぶち抜いて、現代の父と娘みたいな絵本にして何がしてえのよ? 子ども向けの絵本だからいいって?
だったら作品だけ紹介するとかできるんじゃねえのか。そういうしょうもねえ嘘はバレた時かえってムカつかれるもんだぜ。
そういう骨を抜いてグッチャグチャに咀嚼したみてえな江戸時代を描いて欲しいんすか? そんなのやりてえなら、架空世界にしてくれよ。
そして気づいたことがあるんすね。
江戸中期の田沼時代をやるなら、田沼意次を主役にしてもいい。
それがどうして蔦屋重三郎なのか?
というと、これがジェンダー的にむしろプラスになるとの判断かもしれません。
フィクションにおいて男女平等が進んでいるかどうかの指標として、キャストやスタッフ、劇中におけるセリフや出番の男女比構成があります。
田沼にするより、蔦重にした方が、女性比が高くなるんすよ。
スタッフについていえば、脚本家と考証筆頭が女性なのは、今作が初めてです。
それに、性搾取が悪とするならば、される側の本音を入れねえとうまくいかねえんです。
吉原をバッチいもん扱いして入れなかったら、いつまでたっても進まないんですよ。そういう意味で、歴史とジェンダーを考える上で、本作は画期的なんですけどね。
あともうひとつ。
アカデミー賞で二年連続、性産業従事者役が主演女優賞を獲得しました。
これも色々保守的だのなんだの言われておりやすが、
「海外では性産業を扱う肯定的に扱う作品なんてありえないし、賞賛されていいものであるはずもない!」
という『べらぼう』叩きの意見は、なんか証がないという話だったってオチでいいすかね。家治も言ってたじゃねえか、家基に、証がないってよ。
再来年大河の発表とその反応を見ていて、気づきました。
かつて、女性脚本家だと発表されると「スイーツw」と揶揄する声が湧いた。
それが今回は見えてこない。大河周りのジェンダー観も、いい方向に進んでんじゃねえかな。
ちなみに幕末は、幕府側で描いた方が天璋院篤姫と和宮が目立ちますんで、ジェンダーバランスはよくなります。
志士側は、なまじ若いうちに政権をとったから、性的規範が大学生のウェイウェイサークル並。
そういう連中が、女性の権利を新時代に真っ当に持ち込むと思います? しかも薩摩と肥後が強いしよ。
「さす九」(こんなに男尊女卑なんて流石に九州出身者!)というネットスラングが話題ですね。歴史的にその正統性を証明できるかっつうと、これがある程度、できんのよ。
明治政府の政策で、宮中の女官をまとめてクビにするとか。ズバリ女性天皇、女系天皇排除とか。理不尽な男尊女卑に、九州男児の意向が反映されていないか調べてみると証があるってことよ。
ちなみに女性天皇と女系天皇廃止を強硬に主張。プロイセン人から「それ将来的に絶対詰みますよ、やめた方がいいですって!」と助言されても押し通した井上毅は、熊本出身の九州男児でした。
差別じゃねえよ、史実だよ。これぞ「さす九の呪い」だな。
……と思っちゃうじゃないですか。でもこれも見方によっちゃァ、差別になるわけだ。気をつけねえとな。九州出身者にもいろんな人がいますからね。
ま、とにかく、国際女性デーのあと、自分なりに結論が出てスカッとしたぜ。
こちとらミモザを飾るほどおしゃれでねえんで、おでんのゆで卵をミモザに見立てて食べたけどな。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





