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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第10回『青楼美人』の見る夢は】
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蔦重は源内に相談したい
蔦重は本屋におります。
すると客と店員の会話から『籬(まがき)の花』が市中で扱えなくなっていることが判明しました。
市中への流通禁止で、吉原に行って求めろということになったそうで「吉原者はしょうがない連中だ」という差別意識が滲む会話が展開されます。
さらに蔦重は『籬の花』が撤去、廃棄されているところまで見てしまう。
忘八の暴力沙汰の噂は、バッチリ江戸市中に流れてしまったんですね。
どうすりゃいいんだ……そう悩みながら歩く蔦重を、平賀源内が見つけました。

平賀源内/wikipediaより引用
源内は、瀬川の身請けの件で、蔦重を思いやります。
鳥山検校は「金の亡者」扱いされてますね。しかし蔦重は、商売の件で助言を求めたい。
話が噛み合わねえんすわ。源内は案外ゴシップ好きなので、こうも追い詰められたということは、瀬川と何かしちまったのかと聞こうとする。
するとそこへ須原屋がやってきます。
さて、この三人は「悪所」へ向かいます。「悪所」というのは吉原や岡場所だけでなく、歌舞伎座もそうです。
歌舞伎というのは、出雲阿国が発祥とされておりますね。
当初は歌舞を得意とする女性が集団で踊るものでしたが、風紀を乱すと幕府が禁じ、じゃあ若衆(美少年)ではどうか?となると、これも禁じる。そして現在の歌舞伎になるわけです。
なぜ風気が乱れるか?
というと、歌舞にとどまらず、性的な奉仕もしていたという点がひとつ。
元の歌舞伎から演芸だけを切り離して「歌舞伎」となり、性的奉仕を切り離して「吉原」になったというワケですね。
かつて、最上級の吉原女郎は「太夫」でした。
「太夫」とは技芸を誇る者への尊称です。しかし、そういった技芸の達人は消えてゆき、代わりに最上級の女郎は「花魁」と呼ばれるようになります。
花の魁(さきがけ)という意味で、名花の中でもトップクラスという意味――『一目千本』の世界観ですな。
「太夫」は江戸前期。
「花魁」は時代がもっと下ってから。
太夫と花魁の区別は、衣装でつきます。
太夫のころはむしろ薄化粧が特徴であり、花魁の頃になってやたらと着飾り、簪の数も増えてゆきます。
時代考証が割とちゃんとしている、研究肌の凝り性浮世絵師・月岡芳年の描いた高尾太夫をイメージするとよいかと思います。

月岡芳年『月百姿』に描かれた2代目高尾太夫/wikipediaより引用
ただし、歌舞伎から性的奉仕が完全に切り離されたのか?というと、そうでもありません。
女形は男好きの相手をするわけですね。だもんで、源内先生はウキウキワクワクしている。忘れられない彼氏の二代目・瀬川菊之丞も女形でしたもんね。
将軍やその周辺は、まず歌舞伎見物をしません。
能楽はかつては将軍も舞ったものですが、歌舞伎は切り離されている。
清では皇族が京劇を楽しむ。イギリスの王族はシェイクスピア劇を見る。フランス王はバレエを舞う。
それと日本の歌舞伎は違うわけですね。
明治以降、生き残りをかけてだいぶお上品になったのであり、元はなかなかワルいエンタメで、当時の風俗も取り入れて進化してきました。
例えば、今度『刀剣乱舞』が歌舞伎になりますよね。能では、そうはいかない。
つまり、歌舞伎ってぇなぁ、その時代の息吹を取り入れていく、古いようで実は常に新しいもんなんすよ。
てなわけで、源内先生はもう欲望に着火しちまったんすな。
「推し活」は江戸時代からある
相談乗ってくれねえのか。なら遊んじまうか。そう開き直って絵双紙屋へ行く蔦重。
「おー、春章!」
そう声を上げると、店員から「騙されたね」と声をかけられる。よく見るとパチモンだ。似せて描いてんだな。

『初代中村仲蔵の斧定九郎』勝川春章/wikipediaより引用
この役者絵つうのはブロマイドのようなものです。
劇場やコンサート会場でアーティストの写真を販売しているようなモンだ。推し活最前線だわな。
歌舞伎座が悪所扱いされるのは、ファンが出待ちをしたり、推し活グッズを買い漁ったり、何かと過熱し過ぎて風紀や教育上よろしくないという懸念もありました。
なにせそのうち、【死に絵】なんてモンまで出てきます。
要は追悼グラビアなのですが、これがもう無茶苦茶でして「早いもん勝ちだから戒名捏造して入れちまえ!」みたいなヒデェ商売もやらかすのです。推しの心理は、昔からつけこまれるもんよ。
すると蔦重が、ある疑念を覚えます。なぜ役者絵はステージ上に立つ姿だけなのか。プライベートの絵もあれば売れそうなものなのに……って、これは後に出て来ます。
役者同士でレジャーをして遊ぶ絵なんかも出てくるのですが、それは先の話。
勝川春章の“パクリ”といいますか、こうした“フォロワー”も見逃せません。
浮世絵を考える上でその存在は大変重要でして、江戸ではビックネームが一人生み出されると、そのフォロワーだらけになりました。
これが門派単位となると、弟子がまず求められるのが師匠の作風に近づけること。
門派単位で買うファンも多いので、そうしないと売れないんすね。これができないとなかなかブレイクできねえんすわ。
特に蔦重の死後、歌川派が江戸を席巻するとそれが顕著になりました。
歌川広重と歌川国芳は、師匠の作風を再現できず、自分なりの作風が入ってしまうためなかなか売れず、絵師としての前半は大苦戦。
ちなみにこの両者ともに、葛飾北斎や西洋技法の影響も受けています。
それを向上心としてプラスと見るか。こういうのは求めていないとマイナスと見るか。賛否両論でした。
改めて申し上げますが、広重と国芳ですよ?
文句なしで浮世絵師代表格のビッグネーム。今でもユニクロ浅草に行けば、彼らの絵をプリントしたイカすアパレルがあるっつうのによ。なかなか難しいモンすね。
しかし、途中で挫けなかったからこそ二人は大成できました。
弟子が師匠を真似つつ自分の個性を入れ、それを確立させていく出藍の過程というのもかなり見どころがあります。
ちなみに葛飾北斎は、勝川春章に弟子入りするところから絵師としての人生が始まっています。
あれほど我の強い北斎でも、初期は師匠の画風をフォローしていました。

葛飾北斎82才の頃の自画像/wikipediaより引用
ドラマ最終盤、蔦重がその個性を見抜けるかどうかに注目したいですね。
ちなみに蔦重の特殊性は、喜多川歌麿と東洲斎写楽を、師匠のブランドありきでなく、一からプロデュースして売り出したところにあります。
と、ここで蔦重、鱗形屋の声を聞いてその姿を確認すると、須原屋もやって来ました。
鱗形屋は青本が売れて元気がいいそうです。
源内はどこにいるか?ってぇと、カワイイ男の裾を捲り上げていました。
流石に下ろすよう頼む蔦重。源内先生、日の高いうちから元気すぎねえか?
オットセイとか、スッポンとか、マムシとか、肥後ずいきとか、四ツ目屋で買ってそうすね。ま、このあたりは各自お調べください。

江戸中村座『関東小禄』鳥居清信作/wikipediaより引用
あいつを喜ばせてえ
ようやく三人は居酒屋へ。
当時を再現したセットのため、膳は使わず、食器は床に直接置いています。
蔦重から事情を聞いたのでしょう。須原屋は「そう悪くない話じゃねえか」とのことです。
鱗形屋は『細見』を持ってくるし、西村屋は錦絵を作ってくれる。それで吉原は賑わう。蔦重は元通り「改」に戻りゃいい。
蔦重も思わず納得。須原屋は「ものは引いて見ること」の大事さを説きます。しかし、それでは元の木阿弥だと気づく蔦重。
「もうやりてえことやったら?」
源内がそうつっこみます。さすが、わがままが過ぎて、奉公構をやられた奴ぁ言うことが違いますね。
蔦重には、忘八というスポンサーもいるし、自分なら「御託を並べて、てめえのやりてえことをやっちまう」と言います。
源内が田沼意次を後ろ盾にして、やりたい放題をしている思考回路が見えてきた気がしますが、そんな我儘源内に「やりてえことは何か?」と問われて蔦重はニヤニヤしてしまう。
「いや〜ダメだ! 言えねえっすよ! 笑われまさね。“絵に描いた餅”って」
笑われるからと秘密にしようとする蔦重。源内と須原屋は笑わないから言ってみな、と促してきます。
するとしばらく考えてから態度を改め、こう言いきります。
「俺は吉原を、昔のような江戸っ子が憧れるようなとこにしてえです! いかがわしい離れ小島って見下されんじゃなくて、吉原で遊ばなきゃ一流じゃねえって見上げられる場所で、そこにいる花魁なんてナァ男にとっては高嶺の花で。だからすっげえ大事(でぇじ)にされて。そこにいる女郎たちにとっちゃあいい出会いに恵まれて。つれえことよりも楽しいことの方が多い。俺は吉原を、そんな場所にしてえです」
出会った女郎たちを思い出しつつ、そう語る蔦重。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
「で……あいつを喜ばせてえ」
“あいつ”とは、瀬川花魁のこと。幼馴染で、世話になりっぱなしのまま、見送ることになった。それであいつを喜ばす手はねえかと考えているそうです。
「いいじゃねえか蔦重。花魁のために吉原を、皆が仰ぎ見るところに変えてやろうぜ。それこそ、千代田のお城みてえによ」
源内がそう言いました。
お城――こう聞いた蔦重の脳内に、あの八五郎と熊吉の会話が響きます。
「熊吉つぁん、そいつは何でえ?」
「これはお城にも納められてる吉原絵なんだよ」
「本当かい?」
「上様だってお忍びで吉原に行ってるかもしれねえって噂だ。近頃の吉原はもう大変(てえへん)なとこになったんだぜ」
これだ!
蔦重が思い付きます。
なんでも吉原絵を上様に献上するんだとか。ほんとうに見なくてもいい。ただ、その噂が欲しいだけなんだとよ。将軍を用いて吉原の格を上げるんだってさ。
須原屋が「少なくとも田沼様までには届くよな?」と、源内に念押し。これには源内も賛成し、乗り気になるのでした。
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