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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第47回饅頭こわい】
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茶室で毒饅頭を食べさせる
くどいですが毒殺は確実じゃありません。
清水の部屋周りに刺客を派遣して斬り合ってこそ東国武士でしょう。
『鎌倉殿の13人』のように確実な謀殺を狙って欲しい――そんなことを懇願するとは思いもよりませんでした。
『べらぼう』は泰平の世に慣れきったせいか、いちいち手ぬるい。人の命がかかっているのに、このぬるさはなんなのか。
謀殺は遊び半分にするものじゃないでしょう。
蔦重は本当にダメな謀略者だ。こんなゲーム感覚で策を練る人間は許し難いものがあります。
かくして茶室にノコノコと治済が招かれ、清水の家督相談になります。
この計画でも外に警備はいます。
こりゃ、ますます毒饅頭などではなく、当人を斬ってしまえ!と思ってしまいますねえ。

月岡芳年『月百姿 山木館の月 景廉』/wikipediaより引用
命をかけた攻防といえばそうなのですが、仇討ちをする側がオカルト信者、陰謀論者だと思うと全く応援する気になれません。
もう、武士なんだから斬っちまえ!しか言いようがない。
畳を取り替えられるのは、流血沙汰になった時のためでしょう。その特性を活用しなきゃ。
ここまで武士が軟弱になったから、幕府は崩壊するんだと毒づきたくなってきました。
すると、菓子を食べ茶を飲んだ家斉が倒れ、治済が驚きながら、続けて倒れてしまいます。一仕事終わり、運ばれてゆく治済。
毒は致死毒ではなく、睡眠薬でした。
だったら、はなからぶん殴って、縛っちまえばいいじゃねえか!
つまらねぇ話っすね。で、斎藤十郎兵衛と入れ替えて一件落着。阿波の孤島に閉じ込めるのだそうです。
蔦重は自分の企みで死なせたくないし、栗山も親不孝は許せないからと止めに入ったそうです。
殺すのはまずいけれども、閉じ込めるのはよいというのもなんとも半端な話で。
三浦は感極まって、意次と意知に報告しています。
『べらぼう』が本当に辛いのは、この三浦黒幕説がネットで盛り上がっている点にもあります。
脚本の森下先生も否定しましたし、根拠薄弱で全く話にならないとあっしは思っちゃいるんです。
しかし、エコーチェンバーの中で「あやしいよ、あやしい!」と言い合うのは一種の娯楽ですからね。
そういうオカルト的な娯楽鑑賞姿勢を大河ドラマが増幅させることが嫌でなりません。
昨今は考察をした鑑賞者が増えているとは言います。それも理論をもとに組み立ててこそ。土台もないのに展開すると危険です。
定信の別れと心残り
一橋治済を始末して、耕書堂は営業を再開しました。
そういえば写楽がすっかり忘れられているようで、店先に並んでおりますね。これも売れたのか、売れていないのかよくわかりません。重版はかかったのかどうか。
そこへお忍びで定信がやってきました。
黄表紙を手に取っています。
なんでも諸国で黄表紙が流行しているのだとか。
蔦重は定信が白河に戻ることを聞かされています。復帰しないことを惜しんでいると、定信なりに謀反の罰を受けるべきだと考えているようです。
蔦重はそこは筋を通すのかと感心していますが、果たして本当に筋が通っているのかどうか、わかりません。
定信のしたことは結局私刑に過ぎず、治済の罪を白日のもとに晒して問いかけてはいません。個人的にスッキリしただけと言ってしまえばそうなります。
替え玉はうまくやってきます。
思えば治済が「俊寛」の能面を手にしていたことも伏線だなどと指摘されておりますね(歌川国芳『俊寛僧都』)。
蔦重はそれを伝えるために立ち寄ったのかと感極まっています。
ここで定信は「挟み言葉」(言葉の中に同段のカ行音を挟み、抜いて意味が通じるようにする、言葉遊びの一種)を用いてこう告げます。
「一度来てみたかったのだ」
春町は我が神。蔦屋耕書堂は神々が集う社であったと感極まっている。そして春町の死が、政治上唯一の不覚だと言い出しました。
「あがった凧を許し、笑うことができれば……全てが違った」
そうオタクマインド政治をできなかったことを悔やんでいます。

『吾妻曲狂歌文庫』に描かれた恋川春町/wikipediaより引用
蔦重は、写楽は春町先生の供養のつもりだと言い出しました。源内生存説に春町への供養。なんとまあ都合のいい存在なんでしょ。
それなら素直に「死に絵」でよかったんじゃねえの? なぜ供養のために実在役者の欠点を強調する必要があったのか。
自分が楽しいから、定信から金をふんだくられるからやった計画を、春町の供養扱いされても霊感ビジネスじみていて納得できません。
そんなことを言いながら、蔦重が春町に線香一本あげる場面も思い出せません。
春町をそそのかし、凧にしてあげたのは自分の責任だと言い出す蔦重。
「ご一緒できてようございました」
そう深々と頭を下げます。
定信は随時良い品を見つけて白河に送るようにいいます。抜け目ない商人に千両も取られたから倹約すると定信。私的な楽しみのためにそんなに使ったんですか。
そして九郎助稲荷が、定信を名君として褒め称えて今回を締めるのでした。
MVP:斎藤十郎兵衛
色々破綻しきっておりますが、ここで辻褄合わせですか。
もう本文で散々おかしいと書いてきましたが、まだ続けます。
写楽は正体不明で売り出したとされます。それを前提として本作も組み立ててきておりますが、斎藤十郎兵衛というのは早くから言われてきたことで、実は匿名とも言い切れません。
それに蔦重だけの天才的な思いつきでもありません。
恋川春町にせよ、朋誠堂喜三二にせよ、太田南畝にせよ、おおっぴらに書いているとなったらまずいから、正体を隠して筆名で活動しておりましたよね。
それは『べらぼう』を一年見ていたら理解できる基本的なことでしょう。
「壱人両名」です。
同一人物でも職能ごとに名前を使い分けるということ。太田南畝も狂歌を発表する際は「四方赤良」でしたね。
絵師の場合、修練を積んでいかねばならないため、弟子入りをしていないとなると技量がどうしても落ちます。
そのデメリットを無視してまで蔦重がプロデュースしたことが写楽の特性です。ドラマでは複数の絵師が写楽を手がけているので、ここが抜け落ちていますね。
ここでいきなり斎藤十郎兵衛を辻褄合わせとして出されても、全く意味がわかりません。
そしてそのうえで、替え玉になってからも悪行が続くのだから、たまったものではありません。
今回の替え玉についていえば、再来年の『逆賊の幕臣』に登場する幕臣たちが吐血しそうな展開でした。
彼ら後進の幕臣に与えた打撃が、替え玉説を使うと成立しなくなります。
既に何度か指摘してきましたが、治済の孫を他の大名家後継者にしようとして最も重大深刻な悪影響を及ぼしたのは、水戸家です。
文政12年(1829年)、水戸の徳川斉脩(なりのぶ)が継嗣なきまま病に倒れます。
そこで治済が孫を次期藩主にしようと画策しますが、水戸藩側は斉脩の弟・徳川斉昭を藩主にするために江戸へ出向く。
こうして藩主となった斉昭が幕末の政局を引っ掻き回し、そんな迷惑なカリスマのもとで水戸藩藩士も過激化。
水戸藩は日本最大の火薬庫と化してゆくのです。

徳川斉昭/wikipediaより引用
そのときの最たる被害者が小栗忠順でした。
『逆賊の幕臣』では彼を抜擢し、アメリカに派遣するのが井伊直弼です。しかし、この井伊直弼は水戸藩士の暴発によって命を落とします。ご存知、桜田門外の変です。
海外出張から戻ってきたら直属の上司がテロで命を失っていた――いきなり酷い展開ではありませんか。
小栗の受難は続きます。
『べらぼう』では松平定信が、恋川春町の死が政治上最大の汚点だと語りました。いやいや、何を言っているんだ!と、小栗や同僚の栗本鋤雲ならば憮然としそうな言葉です。
アメリカから帰国した小栗を待ち受けていたのは、ロシア軍艦・ポサドニック号が対馬を占拠する事件です。
さらにはロシア軍艦ディアナ号が大阪湾に入り込んでくると、京都近辺の尊皇攘夷が火を噴いてもう止まらない。
どうしてこうなった?
「どうにかなろう。それが幕府を滅ぼしたのだ」
小栗自身がこうまとめています。
そんな問題先延ばしの起点といえるのが松平定信の挫折だったのです。

松平定信/wikipediaより引用
定信が対ロシア戦略を固めてから退任していれば、もっとマシだったことでしょう。これも治済が悪いと言えたのに、それすら『べらぼう』がぶち壊してきましたね。
春町の命を惜しんだのは、定信のただのオタクマインドの発露ではありませんか。
それが国防に関する対ロシア戦略以上に重視されるって、ありえないにも程がある。どんだけ幼稚なのか。
政治家だろうが一般人だろうが、オタク趣味があることは否定しません。業務と関係ないプライペートで、自分の金で楽しむ分には全く問題はありません。
それが定信は、公金と思われる千両を注ぎ込んでオタクマインドをアピールし、国防そっちのけで推しの話をうっとりとしていますからね。いったい何を考えているのやら。
来年はWOWWOWでドラマ『水滸伝』が放映されます。この作品に出てくる皇帝は北宋の徽宗です。彼は芸術的感性は中国史の皇帝でも随一とされます。
しかし、芸術オタク全開で政治そっちのけ、北宋を滅亡に導いた暗君とされます。
政治家の評価においては、オタクアピールはむしろマイナスになるのが歴史の教訓ではないでしょうか。
アメリカでもみんな大好きなプロレスWWE関係者を政治起用しておりますが、それがよい結果とはほど遠いことが目の前で証明されつつあります。
全部パラレルにしねえと、治済にも定信にも失礼です。
歴史上実在した政治家がモデルですから、いくらなんでもここまで好き勝手に遊んでいいとは思えません。
そして、この世界にはとんでもない黒幕がいるという発想は、陰謀論者そのものでいただけません。
ディープステート陰謀論を滔々と語り出されてしまったような、拭がたい不快感がある……これは、どうしたものやら。
かの瀬川ならば柳眉を顰めつつ「馬鹿らしうありんす」と吐き捨てそうな展開。
ここまで江戸幕府が陰謀論者まみれとなれば、幕臣の苦労は計り知れません。再来年の小栗忠順応援企画だと思えば、納得できなくもないですが。

小栗忠順/wikipediaより引用
総評
皆さま、大事なことを忘れちゃいませんかね。
この最終回直前の回は、全てを解決したようで、放置している要素があまりに多い。
まず、写楽のことが中途半端です。
先週仕上げた蔦重たちは満足していましたが、役者がああも怒っていたとなればただで済まされるとも思われません。
毒饅頭事件の衝撃にせよ、耕書堂関係者から譲られて誤って食べてしまった犠牲者が出ている可能性もあります。
他の地本問屋でそんなことが起きていたら、これまた大変なことでしょう。
蔦重は千両受け取った。耕書堂も経営はどうにかなるかもしれませんが、プロジェクト参加者や従業員への分配は適切でしょうか?
主役だから信じたい気持ちはわかります。
しかし、彼は搾取が悪いと思わぬ忘八のもとで生きてきた男です。
そして、何度となく指摘してきた二代目西村屋与八と歌川豊国の不在。
こんな意見も見かけました。
「キャラの立たない西村屋では主役になれない」
うーん、どうでしょう。西村屋与八はなかなか個性的な人物で、『べらぼう』でも存在感のある山東京伝といった文人も、彼のことを記しているほどです。
といっても、江戸の地本問屋なんて、相当なマニアでもなければ追っかけねえから仕方中橋か。
考えてみりゃ、一年前に蔦屋重三郎のキャラをすらすら言える人がどれだけいたかってことなんですよね。
それが一年後に一変したというのは、そりゃドラマのおかげでさ。
西村屋与八だってドラマの主役にして一年も経過すりゃ、立派にキャラ立ちするのではありませんか。
つまり「キャラ立ちしない西村屋」ではなく「ドラマにしたことでキャラ立ちした蔦重」であって、要は因果関係が逆ではないかな、と。
それに、実は二代目西与はキャラ立ちする伏線は仕込んであります。
歌川豊国を売り出した版元は複数いて、西与以上ともいえるのが和泉屋市兵衛でした。
そんな和泉屋が登場せず、二代目西与が目立っているのは、蔦重と因縁があるからでしょう。

歌川豊国像(歌川国貞作)/wikipediaより引用
それに二代目西与目線でも十分面白くできるはず。
鱗形屋の次男から西村屋に入り、才知を発揮して二代目を継ぐ。
手がけた絵師は、東洲斎写楽に勝利した歌川豊国である。歌川派からはその先、広重・国芳・国貞が出てくる。葛飾北斎と応為の父娘、渓斎英泉も手がける。
いかがでしょう。浮世絵だけに絞るなら、蔦重より西与の方がキャラ立ちしてますわな。
そしてもうひとつ、蔦重は因果応報、痛い目に遭わねばならぬ悪党だということです。
『鎌倉殿の13人』は恐ろしい結末でしたが、北条義時の所業を踏まえれば仕方中橋だとも思えたもんです。
蔦屋重三郎も、実は悪党だということを皆さん忘れちゃいませんか?
【ネタバレ注意】多く不義を行う、必ず自ずから斃(たお)る
さて、先週を踏まえまして、武者も予想が外れたと地団駄踏んでるか?ってことですが。
華やかなフィナーレへ向かうようで、不穏さがつきまとっております。
・予告で目立つ太田南畝
「屁! 屁!」
そうおなじみの踊りを繰り広げる中で、大田南畝が目立ってる。

大田南畝(四方赤良)/国立国会図書館蔵
彼は写楽が消えた理由を書き記しています。
あまりにリアルに描きすぎて欠点まであからさまに強調したため、長く世に出回らず、一年ほどで終わった――そう因果関係と打ち切りの真相を記しています。
あの踊りのあと、大田南畝に切り替わって、そんな史実が明かされて暗転する可能性が無きにしも非ずでしょう。
・滝沢瑣吉は納得しない
前述したように、不在が不自然な者が複数おります。
その中でも注目したいのが滝沢瑣吉です。
もしも彼が『べらぼう』を見たらどう思うか?
おそらく、納得しないと私は推察します。死んだ人間の口を借りてこういうことを言うのも野暮っちゃそうですが。
それはどこか?
悪党である蔦屋重三郎に因果応報がない点を問題視すると思います。
劇中では珍しく青年期の姿で出てきておりますが、『南総里見八犬伝』を手がけるころの滝沢瑣吉改め曲亭馬琴は、バキバキの堅物です。

曲亭馬琴(滝沢馬琴)/国立国会図書館蔵
彼の文学評として唖然とさせされたのが、中国四大奇書の『金瓶梅』についてのもの。因果応報でないところが気に入らないとのことでした。
この話は『水滸伝』の脇役をモチーフとしたスピンオフエロパロディですので、因果応報言われても困惑させられます。
一応、結末で主役は死にます。それでも馬琴は、主役の悪党カップルがもっと凄惨な結末を迎えて欲しかったようです。
馬琴の倫理観で見てみると、蔦重は悪党なのです。
馬琴は、女郎あがりの妻を持つ山東京山を批判している。蔦重から吉原関係者との縁談を勧められても断っている。
彼自身が悪所に足を運んだことを棚上げしつつ、吉原を悪徳の場所だとみなす気持ちがあるわけです。
出自だけならまだ目を瞑れるにせよ、プロジェクト写楽と一橋治済への仇討ちで、蔦重は罪を犯しました。
写楽の正体を伏せるばかりか、嘘をついて売り出したことは信に悖る。
よりにもよって上様に親不孝をさせるとは、何事なのか。
政治家と結びついて千両ふんだくるとは、堕落し切った金の亡者である。
あの姿は官邸内部事情をYouTubeでべらべらしゃべった広告代理店関係者のようで、ほんとうに嫌気がさしました。定信と対峙していた頃の方がマシでしたね。
そうしてマイナスを数え上げてゆきますと、馬琴ならば「このまま大団円だと? 舐めてんのか?」と納得しない様子が頭に浮かんでくるのです。
それに最後の最後で蒸し返しますが、蔦屋重三郎が主役という時点で、吉原を美化しかねないと散々批判がありました。
私は吉原が舞台の時点では判断保留。
痛みや苦しみを描き、かつそこで生まれた文化を丁寧に描くのであれば必ずしも悪いとは言い切れません。その点『べらぼう』は良心的でした。
ただし……蔦重を無惨な因果応報に合わせねば、画竜点睛を欠くことは確かではありませんか?
蔦重よ、最終回で地獄に堕ちてくれ。頼む! そう願ってやまない一週間が明けました。
これは大河ドラマ枠全体の問題でもあります。
多く不義を行う、必ず自ずから斃る――これは大河ドラマ枠全体にも言えるのではないか。『豊臣兄弟!』に関するものを見ていて、そうハッとさせられました。
大河ドラマは、海外からすればあまりにデリカシーに欠けていて、問題視されかねないものがあるとは薄々感じていました。2010年代半ば、今から十年ほど前からはそれが顕著です。
吉田松陰や渋沢栄一は、顕彰することそのものに疑念を抱かれない人物です。
そして戦国時代の英雄でいえば、豊臣秀吉もそうなります。

豊臣秀吉/wikipediaより引用
彼らの成し遂げたことは、日本以外の国にとっては困難の要因となったことが含まれています。
ある国の英雄も、よその国からすれば憎むべき対象となる。そんな人物はいるわけです。
海外から指摘されるまでもなく、日本人自身がそこを踏まえ、どう扱うか慎重になるべきでした。どうにもそのことを怠ってきたツケが今、巡ってきたように思えます。
豊臣秀吉は、韓国では長いこと問題視されてきました。
そしてここにきて、中国からの目線も浮上してきております。秀吉による朝鮮出兵の大戦相手は朝鮮だけでなく、明軍もいます。明にとっても大迷惑だったのが、あの戦争でした。
そういう他国に迷惑をかけた人物を脳天気に顕彰しているとして、来年の大河ドラマを持ち出されたらどうなることか。
周辺諸国の反応を無視できたのは、かつては国力の差があったからです。
エンタメにおいてもそれはそうでした。
しかし、韓流ドラマでは秀吉と対峙する作品はすでに定番ジャンルです。中国では馬伯庸原作の『日落東瀛』ドラマ化が進行中です。
考えてみれば朝鮮出兵において、日本を統一した豊臣秀吉軍は、陸戦では明軍に負け、海戦では朝鮮軍に負けている。
私たちは日本側に思い入れがありますが、そうでない人々が出来のいい映像作品をみて、果たしてどう感じるのか。豊臣兄弟で喜んでいる場合なのか。
来年の大河から遡り、渋沢栄一や吉田松陰顕彰まで蒸し返されたらどうなることやら。
題材として問題はなくとも『どうする家康』の場合はジャニーズ問題を蒸し返されるリスクがある。
どうにも不穏な大河ドラマの未来を考えていくうえで、グローバルヒストリーにも対応し、安全といえるのは再来年『逆賊の幕臣』です。
来年は見なかったことにして、再来年の予習だけしていたいのが、今の私の正直な気持ちです。
再来年大河は、何か持っております。
先日SNSで、小栗忠順にとって“ラスボス”になるであろう方の関係者が、あまりよろしくない発言をして炎上しました。
結果的にドラマにとっては天の恵みですね。
あの人物を、それこそ許せない一橋として今年以上に悪どく描こうが、SNSに親しんでいる視聴者ならば納得することでしょう。
何か、天意というものはついているのではないですかね。
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【参考】
べらぼう公式サイト




