豊臣兄弟安藤守就イメージイラスト

豊臣兄弟感想あらすじ

相撲に負けたらサヨウナラ 本能寺フラグは不要かな|豊臣兄弟第25回レビュー

天正八年(1580年)北近江の長浜城。

大河ドラマ『豊臣兄弟』の第25回放送は、蜂須賀正勝が龍野城主に任命され、羽柴軍団が全員で「やったー!やったー!」と喜ぶところから始まります。

かつて秀吉に味方をするとき「3年で城持ちにしろよ!」と言っていた蜂須賀。

実際、15年かかったことに文句を垂れながらも感慨無量の様子です。

良かったですねー。

墨俣一夜城の一件から15年なんですね。

大河ドラマ『豊臣兄弟』イメージイラスト第8回放送2

気になるのは、そこにいるメンバーがまったく歳を重ねていないことでしょうか。

史実であれば、秀長は数えで40才ぐらいでしょう。

それがドラマの秀長は、日々の重圧や大勢の家臣を背負っている感がまったく無く、未だに身軽な若造感に満ちている。

若々しさは、演出上の狙いなんすかね。

さすがに、そろそろ渋みを出しても良さそうな気はします。

 


信澄を知らないのはさすがに無理ある

安土城が完成し、織田家臣たちが勢揃い。

その場で宴が開かれると、秀吉から秀長に対して「織田信澄の説明」が始まりました。

いったい誰なのか?

と申しますと、織田信長の命令で柴田勝家に殺された織田信勝、その息子が信澄です。信長から見ると甥っ子ですね。

織田信澄イメージイラスト

ここへ来て急に、やけに丁寧に説明されるのは、今後、本能寺の変で注目されるからでしょう。

織田信澄の妻は明智光秀の娘で両者は関係が深い。

しかも信澄は、殺された信勝の息子。

そんな危うい条件がガッツリ整ってしまい、史実では本能寺の直後に色々と疑われ、織田信孝・丹羽長秀の軍勢に殺されてしまうのです。

ゆえに今回のクローズアップ信澄は

「放送が近づいているから視聴者に説明しなきゃ!」

という印象を受けます。

しかし、ですね。秀長が織田信澄のことを知らないというのは、あまりに無理がありませんか?

両者の立場であれば、今まで何度だって知る機会はあるだろうし、なんなら直接顔を合わせることがあってもよさそうです。

秀吉と秀長の会話を文字に起こしてみると、よくわかりますよ。

豊臣秀長と豊臣秀吉イメージイラスト

秀吉「信長様には甥がおってのぅ」

秀長「ほぅ!それはどういうことじゃ?」

秀吉「実は信長様は弟を殺しておってのぅ」

秀長「ほんまか!!」

いやいや、いやいや、知らんはずないやろ、ボケてんのか?と思う程ではありませんか?

 


能役者は長宗我部元親だった

秀吉と秀長が甥っ子トークをしていると、間もなく能の舞台も終わり、姿を現したのが長宗我部元親でした。

四国は土佐の大名。

元親は天文八年(1539年)生まれですので、秀長とほぼ同世代、ちょっとアラフォーには見えませんねー。

豊臣兄弟長宗我部元親イメージイラスト

取次をしていた明智光秀が信長に紹介します。

こんなところで光秀と共に長宗我部元親を登場させるということは、どうしたって

を意識させますよね。

なぜ光秀は信長を討ったのか?

その理由は四国のトラブルでした……というもので、詳細は以下の記事をご参照ください。

織田信長(左)と明智光秀の肖像画
本能寺の変|なぜ光秀は信長を裏切ったのか 諸説検証で浮かぶ有力説とは

続きを見る

兎にも角にも、安土城の宴会で最大の見どころは、次の演目「恐怖の相撲大会」へと移ります。

 

森乱と相撲

森蘭丸の名前でお馴染み、森乱と相撲。

さっそく林秀貞が信長の名指しで取ることとなり、呆気なく飛ばされてしまいました。

まぁ、当たり前ですよね。戦国時代でなくても、50才や60才の爺さんが二十歳前後の若者とガチで組み合って勝てるわけがありません。

普通は寿命と戦ってる年齢です――というのが、まんざら冗談ではない展開が待ち受けていました。

敗れた林秀貞は、織田家追放という過酷すぎる罰ゲームが下されてしまったのです。

秀貞が、必死になって「お許しを!」と頭を下げるも、信長からは「出てけ!」と怒鳴られてしまいます。

林秀貞イラストイメージ

さて、次の取組は誰にすべきか。

二組目は……って、こんなもん名指しされた瞬間に死が決まるデスゲームやん。

次のご指名は佐久間信盛であり、その次が秀長の義父である安藤守就でした。

「私が相手なります!」

思わず羽柴秀長が手を挙げ、それを引き下げさせるのは他ならぬ安藤守就です。

なんでも安藤守就は「熊殺し」と呼ばれたこともあるほど“剛の者”だったそうで。

豊臣兄弟安藤守就イメージイラスト

安藤守就は「熊殺し」と呼ばれたそうで……

猫ヒロシさんのギャグ「ニャー!」ではありません、ポーツマスポーツマス。

結局、林秀貞も佐久間信盛も織田家から追放されてしまいました。

史実ではどうだったのか?

という記事は明日公開するとして、今回注目しておきたいのは佐久間信盛です。

史実の織田信長は、佐久間信盛、林秀貞、安藤守就、丹羽氏勝ら、4名の重臣を同時に追放しておりますが、その中でも特に可哀想だったのが信盛でした。

「佐久間信盛の何がダメ?って、あれもダメ、これもダメ」と信長から執拗なダメ出し文書、俗に「十九ヶ条の折檻状」が出されているのです。

『長篠合戦図屏風』に描かれた佐久間信盛
信長が佐久間信盛に突きつけた「十九ヶ条の折檻状」が辛辣すぎる

続きを見る

 


息子の安藤定治が武田に内通していた

天地神明、武田には通じていない。

安藤守就でないとしたら、いったい誰?

犯人探しをしていて浮上してきたのが嫡男の安藤定治でした。

定治は、戦ばかりの信長が嫌だったと泣き出し、しまいには自害を試みようとする始末。

 

安藤定治イメージイラスト

いーや、あなた、マジですかーい!

ただ、ちょっと不思議に思いません?

武田信玄存命の頃なら、まだ武田に内通するのもわかります。

しかし、信玄が亡くなり、勝頼の代になってから、すでに七年ほどの月日が経過しているわけで、今さら武田になびくものでしょうか。

実は、この「武田へ内通」というのは、もともと安藤守就に向けられた疑惑です。

そうなると、下手すりゃ羽柴秀長まで信長に疑われかねない。

だからこそ安藤定治としたのかもしれませんね。

よろしければ以下の詳細記事も併せてご覧ください。

安藤定治イメージイラスト
安藤定治は本当に武田家へ内通したのか?父・安藤守就の織田家追放の謎

続きを見る

 

佐久間の冤罪可能性は?

佐久間信盛、林秀貞安藤守就が追い出された織田家。

そのことに関し「お優しいですね」と信長に指摘するのは妹・お市の方です。

理屈はこう。

・内通が、疑惑ではなく確定となれば、死罪を申し付けなければならない。

・しかし、疑惑の段階なら追放だけで済む

この考え方が怖いのは「もしも疑惑が勘違いだったら?」という視点が抜けている点でしょう。

「容疑者になった時点で有罪率100%・冤罪率は0%」

そんな恐ろしい思考と申しましょうか。

自分の見方だけは絶対に間違わない――そう信じ切っている感じがするんですよね。

特に、劇中の佐久間信盛ですが、本当に裏切ろうとしていました?

安土から出ていくとき、秀吉に呼び止められ、何か言いたそうで何も言わず、結局、そのまま墓場まで持っていった感じです。

佐久間信盛イメージイラスト

史実の佐久間信盛は、織田家を追放される直前に「十九ヶ条の折檻状」と呼ばれる文書を信長から突きつけられています。

これが信長の直筆で書かれたもので、内容がとにかく辛口!

佐久間信盛がボロカスにこき下ろされていて、内通とかしなくても逃げ出したくなる状況です。

あんな、しょーもない相撲をやるぐらいだったら、この「十九ヶ条の折檻状」にスポットを当てればよいのに、本当にわけわかりません。

脚本家さんのオリジナル感を出したいんですかね?

ご興味をお持ちの方は、以下の記事から「十九ヶ条の折檻状」をご覧ください。

「もしも自分が信長の部下だったら?」と思いながら読むと、背筋がゾッとしますよ。

『長篠合戦図屏風』に描かれた佐久間信盛
信長が佐久間信盛に突きつけた「十九ヶ条の折檻状」が辛辣すぎる

続きを見る

 

本能寺の変フラグは必要なのか?

お市の方の希望通り「京都御馬揃え」も開かれ、万事、順調のように見える織田家。

と、そんな折、明智光秀のもとへ密書らしき書状が届けられます。

「織田信長を討て」

そう記された足利義昭の文字。

足利義昭からの密書イメージイラスト

どうやら今回の本能寺は四国動乱説だけでなく、足利義昭黒幕説もミックスさせるようですが、足利義昭も何を考えているんですかね。

そんな簡単に信長を討てたら、誰も苦労はしないでしょう。

仮に織田信長を討ったところで、すでに家督は織田信忠に譲られていて、多少の混乱はあっても織田政権に代わる存在はいない。

当時の足利義昭は、四方八方へ「信長を討て!」と書状を連発している時期。

光秀にしてみれば「こんな危険な密書を送ってくんじゃねーよ!信長に知られたら一発アウトだろうが!」という気分になりそうなものです。

そこへ四国動乱説が重なって光秀を動かすんですね。

しかし、そう簡単にいくでしょうか?

史実の本能寺の変は、様々な偶然が重なって起きたものと考えられます。

・明智光秀が大軍を率いて京都へ近づいてもおかしくない状況だった(中国地方へ向かうところであった)

・そのタイミングで織田信長が少数で京都に泊まっていた

・さらに同じタイミングで織田信忠まで少数で京都に泊まっていた

クーデターを成功させるには、信長と信忠を同タイミングで殺すことが必須!

しかも大軍を引き連れて京都へ入っても疑われない状況も必須。

そんな奇跡の条件が思いのほか整ってしまい、明智光秀の権力欲が急上昇して、とっさに行動へ移してしまった――本能寺の変はそう考えるのが最も自然ではないでしょうか。

『真書太閤記 本能寺焼討之図』(渡辺延一作)

『真書太閤記 本能寺焼討之図』(渡辺延一作)/wikipediaより引用

現実的に最も有り得ないのは「誰かの陰謀説」です。

天皇にせよ、足利義昭にせよ、他の諸勢力にせよ。

誰かの思惑で光秀を動かして信長を殺そうとしても、そもそも奇跡的タイミングが起きることは誰も予期できない状況です。

前述の通り、

・光秀と信長が京都に急接近

・光秀が大軍で信長が少数でも変じゃない

こんな状況が来ることを予測できる神がいたら、そりゃ本物の神様ですやん。

だから、この事件は突発的というのが最も筋が通る。

ただし光秀が、信長に対して普段から「殺意を抱いていた」という状況は十分にありえますよね。

浅井長政だって、松永久秀だって、荒木村重だって、信長の空気の読めない行動に嫌気が差し、本気で討ち取る気で裏切ったわけです。

光秀の心の内に、そうした叛意が宿っていたって不思議じゃない。

問題は、誰かが黒幕という陰謀説であり、そう描かれてしまっては光秀がチープな存在に成り下がりそうで……。

どうかそういう展開だけは避けて頂きたいと思う次第です。

『長篠合戦図屏風』に描かれた佐久間信盛
信長が佐久間信盛に突きつけた「十九ヶ条の折檻状」が辛辣すぎる

続きを見る

『豊臣兄弟』総合ガイド|登場人物・史実・出来事を網羅


参考文献

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

川和二十六

歴史学科を卒業。大河ドラマ『豊臣兄弟』レビューおよび歴史エンタメ記事を担当。歴史記事以外でも様々な分野のライティングや編集業務もこなしている。 ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001138406

-豊臣兄弟感想あらすじ

右クリックのご使用はできません
目次