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徳川秀忠/Wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 徳川家 江戸時代

実は勇猛果敢だった徳川秀忠 もう地味な二代目と言わないで

更新日:

 

日本史上、武家の政権(=幕府)は三回できましたが、興味深い事に初代・二代・三代の征夷大将軍には奇妙な共通点があります。
初代は、まぁ幕府を作った人だからやったことがハデですし、必ず覚えさせられますよね。しかし二代目となると皆地味一色で、三代目にいたってはその幕府が安定するかどうかの大事件が起きたりします。
それでも本日登場する主役は、鎌倉幕府の二代目・源頼家や室町幕府の二代目・足利義詮(よしあきら)よりはマシかもしれません。

寛永九年(1632年)の1月24日、江戸幕府二代将軍だった徳川秀忠が亡くなりました。

 

自分だって負けたくせに家康もよく言うよ

家康と家光の間に挟まれてとかく地味という印象をもたれてしまっていますが、遺骨からすると実はけっこう逞しい感じの人だったようです。
しかし、それが本人にとって結果的に良かったのかというと微妙なところがあります。

秀忠といえば、避けて通れないのが関が原での大遅刻。
もちろんただ遅れたわけではなくて、途中で真田昌幸(信行と幸村のお父さん)というどう見ても分の悪い相手と真正面から戦ってしまったがための遅参でした。
といっても普通に素通りしたら背後を衝かれる可能性もあったわけですし、それに天下を取ろうという家康の息子として戦わずに逃げるような事はできなかったのでしょう。
さらに秀忠はこの上田城(現長野県)の戦いが初陣でしたので、気負う気持ちはわからなくもありません。

家康が中山道を制圧するため、秀忠に上田城の攻略を命じたとも言われていますが、いくら有能な家臣を何人もつけたって、そりゃ無茶振りにも程があるじゃないかと。
しかもそれが原因で案の定関が原に遅れたら、体調不良を言い訳に会いもしないといういじめぶりです。

 

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反動なの?死ぬの? 遺体には銃創による傷跡が

結城秀康や松平忠輝への対応といい、こうしてみると家康もけっこうヒステリックな行動取ってることが多々ありますね。

おそらくこの大遅刻は、秀忠にとって一生のトラウマになったことでしょう。
十数年後の大阪冬の陣では、将兵の疲労も構わず東海道を驀進(ばくしん)して家康にまた怒られているくらいですから。

さらには戦が始まると銃弾の飛び交うようなガチで最前線に行きたがる始末。実際に彼の遺骨には銃創によるものと見られる傷が残っていたそうです。
既に将軍になっていながら無用心にも程があるとみるべきか、先頭に立つ頼もしい将軍とみるべきか……。

もしかすると、関が原のトラウマゆえに秀忠は「武将として活躍する場」を求めていたのかもしれません。
上記の通り秀忠は上田城の戦いが初陣でしたから、大坂の陣を冬と夏の二回に分けて考えても、三回しか戦をしたことがないのです。

途中、秀吉政権時の空白期間はあるものの、父・家康が約60年間にも渡って豊富な実戦経験があるのに対し、跡継ぎである自分に戦の経験がほぼないというのはかなりのコンプレックスになったのではないでしょうか。
たった5歳しか変わらない兄の秀康ですら、関が原の10年以上前に秀吉の九州征伐で初陣を果たしていますから、秀忠よりは戦の経験がありましたし。
もっとも秀康はこの頃既に結城家に入っていましたので、今さら徳川家に戻ってくる事はありえなかったでしょうけれども。

 

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揃いも揃ってコンプレックス抱えた家康の息子や孫

秀忠の享年は満52歳。
上の世代には細川忠興伊達政宗などがおりましたが、彼らよりもはるかに若い年齢でした。
当時の平均寿命的にはさして早すぎるというわけでもありませんが、上記二つの失敗に加えて家光と忠長の争い(でも種を蒔いたのは自分)もあり、そうとう精神的にやられていたのではないでしょうか。
政治的なセンスに優れていたことは秀忠の大きな長所ですが、それもかえって本人を苦しめたのかもしれません。
本当は武将として名を上げたかったとしたら、違うところで評価されてもあまり嬉しくなかったでしょうし。

体の頑健さと精神の強靭さが比例するとは限りませんからね。

さて、これで当コーナーでは秀忠・忠輝・忠直・家光と家康の息子や孫を4人(チョイ役の信康と秀康も含めれば6人)取り上げたわけですが、その全員に何かしら大きなコンプレックスを抱えていたと思しき言動があるのは興味深いですね。
天下人といえど人の親としても完璧だったわけではなく、また偉大すぎる父(祖父)の影に抗えなかったと見ることもできそうです。
家族というと何となくハートフルなにおいがしますが、やっぱり戦国武将だとそうはいかないということでしょうか。

……と思いきや、英語にはよく似た発音で”hurtful”(ひどい)って単語もあったりして。
いやー偶然ってコワイですねHAHAHAHAHA。

長月 七紀・記

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参考:wikipedia:徳川秀忠

 





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