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【信(キングダム主人公)】
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大言壮語を吐き、二十万の軍団を率いて大敗
しかし、信が史書に表立って登場するのは(もう一つの有名なエピソードを除くと)この燕を滅ぼしたくだりだけで、それ以外の事績はほとんどわかっていない。
結局、信は『史記』に列伝を立てられるほどの“大将軍”にはなれなかったのだろう。
ただ、それなりに活躍はしており、秦王に重用されたのも間違いない様子。
というのも、王翦との絡みでもう一つ有名なエピソードがあるのだ。
今度は『史記』白起・王翦列伝(※2)を引いてみよう。
秦の始皇帝はすでに三晋(韓・魏・趙、この三国は春秋の晋から別れた)を滅ぼし、燕王を追いやり、荊(楚の別称)の軍をしばしば破っていた。
秦の将軍・李信は年が若く血気盛ん。
数千の兵をもって燕の太子・丹を捕えるという功績を立てており、始皇帝はこれを評価していたのである。
そこで、始皇帝は李信に問うた。
「荊を攻め取りたいのだが、将軍なら兵がいくらいればイケるか?」
「二十万もいれば余裕ッス」
始皇帝は老練な王翦にも同じことを聞く。
と、王翦は答えた。
「六十万いないと無理」
「王翦も老いたものだなぁ、少しビビり過ぎだ。それに引き換え李信の頼もしいことといったら!」
李信の言葉が気に入った始皇帝は、李信と蒙恬(あの「蒙驁」の孫、「蒙武」の息子の「蒙恬」である)に兵二十万を与えて荊を討伐させた。
王翦は自分の意見が聞き入れられなかったので、病気を理由に自領である頻陽へ引っ込み、隠遁してしまう。
一方、李信は平輿の街を攻め、蒙恬は寝の街を攻め、ともに荊の軍を大破した。
李信はその調子で郢(楚の旧都)に攻め入ってこれを破り、西へ西へと兵を進め、蒙恬と城父の街で合流した。
しかし、荊軍はこれを三日三晩、宿もとらずにじっと追跡。
李信の軍は大敗し、敗走した――。
※2原文は文末に掲載
このように大言壮語を吐いたにもかかわらず結局負けてしまい、最後は始皇帝が王翦に頭を下げて出馬を請うという……。
まさに、若さと無謀さを前面に押し出した「信」を思わせるエピソードが残っている。
自らにプレッシャーをかけて、高いハードルを設定し、それを乗り越えて成長していく姿は、本作の大きな醍醐味でもあり、作者の原氏もこうしたエピソードから人物像を膨らませていったのかもしれない。
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文・やなぎ ひでとし
1980年、大阪府大阪市で爆誕。中学・高校時代は伊賀、大学時代は京都で過ごしたため、あちこちの言葉が混じった怪しい関西弁を操る。
現在は東京・千葉を経て、愛媛・松山に在住。普段はWindowsソフトウェアを専門とするフリーライターと、舞鶴鎮守府サーバーの提督(大将)の二足わらじ。
中国史(とくに春秋戦国時代など)が割りと好物で、好きな人物は漢の光武帝、尊敬するのは管仲・晏嬰。コーエイの『三国志』シリーズではもっぱら馬騰で遊んでいる。日本の武将では武田信玄が好き。
※1 於是秦王大怒,益發兵詣趙,詔王翦軍以伐燕。十月而拔薊城。燕王喜、太子丹等盡率其精兵東保於遼東。秦將李信追?燕王急,代王嘉乃遺燕王喜書曰:「秦所以尤追燕急者,以太子丹故也。今王誠殺丹獻之秦王,秦王必解,而社稷幸得血食。」其後李信追丹,丹匿衍水中,燕王乃使使斬太子丹,欲獻之秦。秦復進兵攻之。後五年,秦卒滅燕,虜燕王喜。
※2 秦始皇既滅三晉,走燕王,而數破荊師。秦將李信者,年少壯勇,嘗以兵數千逐燕太子丹至於衍水中,卒破得丹,始皇以為賢勇。於是始皇問李信:「吾欲攻取荊,於將軍度用幾何人而足?」李信曰:「不過用二十萬人。」始皇問王翦,王翦曰:「非六十萬人不可。」始皇曰:「王將軍老矣,何怯也!李將軍果勢壯勇,其言是也。」遂使李信及蒙恬將二十萬南伐荊。王翦言不用,因謝病,歸老於頻陽。李信攻平與,蒙恬攻寢,大破荊軍。信又攻?郢,破之,於是引兵而西,與蒙恬會城父。荊人因隨之,三日三夜不頓舍,大破李信軍,入兩壁,殺七都尉,秦軍走。