文徴明&唐寅

唐寅(左)と文徴明(右)/wikipediaより引用

中国

文徴明と唐寅は科挙に落ちても人生エンジョイ!中国蘇州の人気者だった

2025/03/28

1559年3月28日は文徵明の命日です。

書道や中国文化史ではおなじみの人物であり、江戸時代にはこんな川柳がありました。

売り家と唐様で書く三代目

親から受け継いだ家に、「売り家」と今流行の中国風の書体で書く3代目のボンボン。家業をろくにやらんで書道ざんまいとは情けないね。

「唐様」とは、唐代の書家という意味ではなく、中国の書体という意味です。

日本でも小野道風はじめ数々の能筆家がいましたが、中国式も人気があり「唐様」の代表が文徴明で、与謝蕪村はじめ多くの人々が憧れ手本としてきました。

昔から日本でもファンが多かったのです。

そんな文徴明が主役のゲーム『水都百景録』では、唐伯虎(伯虎は字)も登場。

文徴明と唐寅の二人は、才智あふれる文人として、複数のランキング上位にも入るほど。

実際にこのコンビがランクインした功績をみてみましょう。

呉中四才子

祝允明(しゅくいんめい/1460-1526)

唐寅(とういん/1470-1523)

文徴明(ぶんちょうめい/1470-1559)

徐禎卿(じょていけい/1479-1511)

明四大画家

沈周(ちんしゅう/1427-1509)

文徴明(ぶんちょうめい/1470-1559)

唐寅(とういん/1470-1524)

仇英(きゅうえい/1494頃-1552)

それほどまでに素晴らしい人であれば、さぞかし人格高潔で、素晴らしくて、出世街道を邁進したんだろうなぁ……と想像したくなるところですが、このコンビは、なかなか個性的なのがまた良きところ。

要領は悪かったり。トラブルメーカーだったり。なんだか変なエピソードがあるのです。

科挙にも合格できていません。

それでも日本でも愛されてきた名コンビたちの生涯を振り返ってみましょう。

 


科挙なんてどうでもいい――それが蘇州の誇り

出世して官僚になりたいのであれば、何がなんでも科挙に合格しなければ――中国では、長らくそう思われて来ました。

結婚祝い定番の縁起ものが「五子登科」(五人男児を産み、全員科挙に合格しますように)であったのですから、それはもう大変なことです。

「破天荒」という言葉の語源も、

「科挙合格者がいない荊州は、この天下において荒れ果てている……それを破った!」

という喜びの表現です。

破天荒という言葉が生まれた唐から、時代がくだりまして。

元王朝が倒れ、明王朝が成立したあと、明朝初代・洪武帝こと朱元璋(しゅげんしょう)は「科挙の結果」に不信感を抱きます。

「なんだこれは、おかしいだろ!」

朱元璋/wikipediaより引用

彼が不信を抱いたのは、あまりに江南地方の合格率が高かったからで、その原因はいろいろ考えられました。

北方の異民族が北部を支配し、戦乱により学識の地域差が生まれたことが大きい。

他にも洪武帝が不快感を募らせる理由はありました。

洪武帝が勝利をおさめた元末の最中、彼と激しく戦った人物がおりました。

張士誠(ちょうしせい)です。

彼は蘇州を本拠地とし、経済力と知識人の後押しによって、朱元璋を苦しめてきました。

張士誠/wikipediaより引用

復讐心が燃えたぎる朱元璋は、蘇州ごと大打撃を与えるような報復措置を実施。

そのため蘇州のある江南の科挙合格者たちは、洪武帝の嫌な記憶を蘇らせたわけです。

蘇州側も、黙ってはいられない。静かな抵抗をします。明という王朝に対して軽蔑、不信感、反骨心を滾らせました。

日本史で言えば、大阪人が幸村を応援し、家康の墓を作るような気持ちでしょう。

蘇州には文化の香りと経済力があり、彼らは粘り強く、ソフトパワーによる復活を遂げます。

永楽帝の代に南京から北京へ遷都されても、どこ吹く風。自分たちの人生をエンジョイしたいと張り切りました。

「科挙に合格して、寒い北京くんだりで官僚をやるよりも、地元で楽しく生きた方がいいじゃない!」

「そうだよな〜!!」

「蘇州楽しい、最高!!」

人生をエンジョイしてこそ勝ち組である。そんな世界観が、当時の蘇州にはありました。

前述の四大画家の一人・沈周ちんしゅうは、まさしくこうした蘇州文人の先駆者。

卓越した才能を求められながら、83年の生涯で一度も宮仕えをしないことが彼の誇りでした。

彼らは「市隠(町の隠者)」として人生をエンジョイし、優れた作品を残したのです。

 


公務員より文人ライフのほうが上だけど

「いやあ、お恥ずかしい。この私としたことが科挙に首席登第した挙句、トップ官僚になってしまいましたわ……」

どういう嫌味だ。

そう突っ込みたい、そんな蘇州出身者の人物に呉寛ごかん(1435-1504)がおります。

成化8年(1472年)、会試・延試にトップで合格したというスーパーエリートです。

明代の科挙

学校試(県試→府試→院試)

郷試(会場:省都貢院)

会試(会場:北京礼部貢院)

殿試(皇帝の目の前で受ける)

ゴール、官僚だ!

試験科目:経義(テキスト理解)、詩賦(詩作)、論策(政策論文)

科挙
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呉寛は、孝宗と武宗の太子時代に学問を教え、令部尚書という官僚最高の地位に上り詰めたのですから、凄まじいものがあります。

それなのに、先程のようなフザけたことを言うのですから「なんなの? ナメてるの?」とツッコミたくはなります。

科挙なんかどうでもいい――そう強がっていても、やはり出世ルートとしては存在する。張士誠時代の記憶が薄れてゆくと、やはり、そこを目指すようになってゆく。そこには本音と建前がありました。

では、呉寛が嘘をついていたのか?

というと、そうとも言い切れません。

彼の憧れは蘇軾(そしょく)、トンポーロウを作り上げたあの蘇東坡(そとうば)です。

蘇軾/wikipediaより引用

「官僚なんかやらないで、蘇東坡のようにグルメを楽しみ、自由自在に詩を詠み、書を極めたい。そういう願いもあったわけですよね」

贅沢の極みではありますが、勤め人よりスーパーニートとして文化を極めたかった。

現代人でも理解できそうな悩みが、明代にもありました。

実際に、書家としての彼は完璧というわけでもありません。書体は極めて優れているものの、確かにちょっと硬すぎるという評価はあります。蘇州の知識人にはこういうタイプが多い。

王鏊おうごう(1450-1524)も、郷試、会試を主席合格、廷試探花(第三席)突破というこれまたエリートですが……。

「文辞翰墨(詩と書道)のことだけを考えたいのに!」と、門を閉じて引きこもりかけていたことがあるほど。

仕事しないで好きなことだけを極めたい! そんな悩みが、彼らにはありました。

他地域の人間からすれば【ふざけきった蘇州のあいつら】ということにもなりかねない。とはいえ、実際に作品がすごいので、高値で買ってしまう。そんな状況が生まれます。

文句つけるなら、もう科挙に受からなきゃいいでしょ!

好きなだけ書道でも絵でもやれば?

同人作家で食っていけば?

そう突っ込みたくなりますかね?

実際、そんな生き方を実現する人物が出てくるのですから、これまたおもしろいのです。

 

官僚・文さんの次男と、商人・唐さんの長男が出会った

スーパーエリートの呉寛には、彼と同じ歳に進士になった友人・文林(1445-1499)がおりました。

蘇州・文洪(1436-1479)の子として生まれ、猛勉強の末、科挙に合格したのです。

そんな文林には、悩みがありました。次男のことです。

「うちの次男の壁なんだけど、みんなアホの子って言うんだよね……」

8~9歳になるまで、まともに口もきけない。周囲はそんな次男をこう思っていました。

「うーん、お父さんに似なかったんですね、残念ながら、この子はちょっと……」

そういう声があっても、文林はこう信じています。

「いや、この子はね、才能がきっとあるんです。いつか花開く!」

そんな次男はやっと、おっとりと言葉を話し始めます。

11歳のとき、塾に入れてみるとすさまじい暗記力を発揮しました。彼は、諱よりも字の方が通りがよいので、本稿は“文徴明”で統一します。

文徴明(ぶんちょうめい)は16歳の時、同い年の唐寅(とういん)と運命的な出会いを果たします。

唐寅は、商人の子でした。

身分に関係なく、賢ければ科挙に合格して出世できるに違いない。彼の親はそう見込み、勉強をさせてきたのです。

果たして唐寅はセンスが抜群であり、十代になると“天才”として周囲の注目を集めていたのでした。

当時の蘇州にいた祝允明(しゅくいんめい)は、彼より十歳年上ながら大親友となったほど。

文林も興味を抱きました。次男と同い年の天才少年なんて、これはきっとよい刺激になるはず。かくして交際が始まったのです。

文徴明と唐寅は、性格的には正反対でした。

唐寅は、これまた遊び好きの祝允明にバッチリとその方面でも指導を受け、酒を飲んで芸妓と遊ぶ、パリピ気質。

一方で文徴明はおっとりしていて、生真面目でボーッとしているマイペースなタイプ。

正反対ながらも親友となり、しかも友情のおかげか元気いっぱいになってゆくのでした。

 


彼らの科挙挑戦記録

そんな唐寅は、頭がいいのに10年以上遊び呆けておりました。

科挙受験の予備校・府学に所属しているのに、あまりに不真面目、やる気なし。さすがに祝允明も忠告します。

「あのさ、お前、真面目にやる気あるの?」

「わかったよ、本気出すわ!」

唐寅は本気を出しました。すると弘治11年(1498年)、南京での郷試主席合格(解元)を果たすのですから恐ろしい。

このままいけば会試も楽勝だ!

と、全江南の期待を背負って受験するものの、思わぬ失敗が待ち受けておりました。

カンニング事件に巻き込まれて失格&逮捕。受験資格の永久剥奪という手酷い目にあうのです。

彼自身は冤罪だったのですから、なんとも悲劇的なことでした。

「ちくしょおお、やってらんねえわあああ!」

唐寅はキレ、傷心を旅行や遊びで癒すと「江南風流第一才子」という印を作り、これからは自分の才能で食っていく宣言をしました。

唐寅作「陶穀贈詞圖」台北・國立故宮博物館/wikipediaより引用

依頼を記した帳面には、

「利市(大福帳・売り上げ記録)」

と表紙をつけ、完全に開き直るのです。

ちなみに彼は18禁作家という一面もありました。なにせ美人画が大得意! 作品の中には、露出度が極めて高い美人の絵もあります。

では、その周囲はどうでしょうか?

彼の先輩であり、ワルでもあった祝允明。郷試こそ突破したものの、そこまで。定期的に会試を受けてはおりますが、北京旅行のついでに受験する程度のモチベーションでした。

どうせ不合格だろうが、作品を売れば食べていける。息子は合格したし、どうでもいい。それより友達と遊んでしまおう♪

そんなエリートニートライフだったのです。

では、文徴明は?

19歳の時、歳試(地方試験)を受け、こんなダメ出しをされました。

「字が下手くそすぎる。三等!」

字の時点で低ランクという、あまりに厳しいスタート。

ショックを受けた文徴明は、毎日「千字文」十本を書く目標を立て、がんばりました。唐寅はじめ友達が遊んでいる中、律儀にきっちりと書き続けた結果、メキメキと字がうまくなっていきます。

よかったね、これで科挙も合格……できないのです。

明代の科挙は、受験テクニックが必要でした。

洪武帝と家臣の劉基(りゅうき)が生み出した「八股文(はっこぶん)」というテンプレートを習得しなければ、合格できないのです。

明代と清代は、受験テクニックを身につけた、要領がよいだけで人格的に問題がある科挙合格者が出る。そんな弊害があるとされました。

では、文徴明はどうでしょう。

「八股文、好きになれなくて……古文が好きだな〜」

わかった、わかった。それはそれ、これはこれで切り分けようよ――そういう言いたくなりますね。

頑固で生真面目で不器用な文徴明は、受験テクニックを覚えることがついになかったようです。

彼は得意と不得意の差が激しく、父・文林が残した数学関係の書物を「全然理解できない」と焼却してしまったとか。

興味がないことは徹底的にやらない性格は、食べ物に対してもそうで、蘇州名産の楊梅(ヤマモモ)が大嫌いでした。

なぜ食べないのか?とからかわれると、「解嘲詩」(笑われたのでポエムで反論するよ!)を作ってまで、お肉の方がおいしいんだもん、と熱く主張しています。

かくして郷試の段階で、9回連続不合格。ついに会試受験資格すら得られない、そんな不器用ライフを送るのでした。

確かに科挙合格だけが人生でもありませんが、あまりに不器用すぎると突っ込みどころ満載の文徴明。

ちなみに「呉中四才子」のうち、会試まで合格したのは徐禎卿(じょていけい)のみです。夭折したこともあってか、彼の知名度が四人のうちで一番低いのですから皮肉なものです。

 

蘇州を代表する文人になる

そんなダメ受験生でも、蘇州では皆が注目していました。

なまじ官僚として仕事をしないだけに、芸術をずっと学べる。しかもセンスがある。

父の文林は、中国史上でも屈指の教育パパです。

「お父さんがんばって、いい先生を見つけちゃうぞ〜」

文林は、当時の文人にとって一流の先生を見つけてきました。

文徴明の凄い先生リスト

画:沈周(ちんしゅう/伝説の画家)

書:李応禎(りおうてい)

文:呉寛(ごかん/あのエリート官僚)

文徴明はおっとりしておりますが、ともかく生真面目です。師匠の言葉をしっかり噛みしめ、熱心に学びました。

才能はぐんぐん伸び、蘇州で「ともかくスゴイ」と話題の人となります。

それなのに性格はボーッとしていて、えらぶらないところも大評判。本人は、自分はたまたま有名になっただけ、「虚名かもしれないし……」と常に謙虚でした。

そこがまた、ますます愛されたのです。

科挙に落ち続けても、生活には困りません。彼の作品は、高値でどんどん売れるのですから。

文徴明作「金焦落照図」/wikipediaより引用

そうなると、需要に供給が追いつきません。贋作も流通してしまう。しかも、贋作者がサインを求めて来て、本人も応じたのですから、もうわけがわからない。

これは今日に至るまで、彼の作品につきまとうややこしさでもありまして。

当時から、このゆるいポーズはつっこまれておりました。

「なんで贋作者の作品にまでサインするの? プライドってもんがないの?」

「だって上手だから……世に出た方がいいかな、って。私よりうまいくらい。私はたまたま評価されているだけかもしれないし……生活費のためだろうし、そんなに頼まれても書けないし……」

何を言っているんだよ〜!

弟子が作っても、特に注意をしなかったそうです。

ただし、宦官一派、諸王侯(皇族)、外国人の偽物は認めなかったそうです。彼なりのこだわりがそこにはあります。

 

文徴明&唐寅コンビは蘇州名物

蘇州でセレブとなった文徴明。そしてその親友である唐寅。

彼らはその性格まで、大いに愛され注目を集めました。

残された逸話は、確かに面白い。

◆唐寅、文徴明にお姉さんとの遊びを教えようとする

「アイツって、遊ばないんだよなぁ〜」

モテモテで遊びっぱなしの唐寅は、文徴明も一緒に女遊びをしたらいいのにな〜と迷惑なことを考えていました。

そこで常連のプロのお姉さんたちに、ある作戦を伝授します。

「俺のバディを連れてくるからさ〜、合図したらそいつに遊びってもん教えてくれない?」

「いいけどぉ〜お金弾んでよね〜」

こんな作戦を立てて、わざわざ色街を通過するよう誘導します。予約済みのお姉さんたちに合図をすると、彼女らは誘い始めました。

「きゃ〜イケメンさ〜ん!」

「遊んでいきましょうよぉ〜」

しかし文徴明は、にっこり微笑んでこうです。

「お姉さんたちは、なんだかいたずら好きなんですね。じゃ!」

作戦失敗、そこで第二弾!

唐寅/wikipediaより引用

◆唐寅、文徴明を船の上で遊ばせようとする

唐寅は諦められません。

「そうだ! 水の上でやってみっか!」

彼は船遊びに文徴明を誘います。船にはこっそりと、プロのお姉さんを潜ませておいたのです。

「船遊びって楽しいな〜」

「ここに綺麗なお姉さんがいたらもっと楽しくね?」

「そういうのはどうかなぁ〜」

「もういたりして!」

「イケメンさんたち、こんにちは〜」

「いいことしなぁい?」

「ギャーーー!」

文徴明は逃げようとしますが、船の速度を上げられてしまい、危険です。

そこで文徴明は、親友が綺麗好きであることを思い出しました。

いそいそと靴下を脱ぎ、彼の前にかざします。

「うわくっさ! 何すんだよ!」

「船を停めないと履かないもん!」

この靴下作戦に唐寅は参り、文徴明は無事逃亡に成功しました。やったね!

※この逸話は、唐寅ではなく銭謙益(せんけんえき)がやらかしたバージョンもあります。

唐寅は、こんなふうにからかいつつも文徴明が大好き。

「あいつといると、心が洗われるみたいな気持ちになるんだよね〜」

文徴明は、そんな親友へのドキドキしてしまう思いを詩に残しています。

ポイント

「月下独坐有懐伯虎」
月下独(ひと)り坐し伯虎を懐(おも)う有り
月の下でひとりぼっち、伯虎のことを考えてる

経月思君会未能
経月(けいげつ)君を思うも会すること未(いま)だ能わず
何ヶ月もきみのことを思っているのに、会えないんだね

空牀想見擁青綾
空牀 見(あ)わんことを想(おも)いて 青綾(せいりょう)を擁す
空っぽのベッドを見ていると会いたくて胸がキュンってなる、青い絹のお布団抱きしめちゃう

若非縦酒応成病
若し酒を縦(ほしいまま)に非ざれば 応(まさ)に病を成すべし
お酒飲みすぎちゃったの? それとも病気?

除却梳頭即是僧
梳頭(そとう)除却(じょきゃく)すれば 即ち是(こ)れ僧なり
髪の毛さえ剃っちゃえば、きみはまるで出家しちゃったみたい……それくらい浮世離れしてるもん

友道如斯誰汝念
友道斯(か)くの如く 誰か汝(なんじ)を念(おも)わん
こんなに友達としてきみのことを考えている奴、いないと思う!

才名自古得人憎
才名 古(いにしえ)自(よ)り 人の憎しみを得るなり
才能ある人って、周囲から憎まれるって昔から言うもんね

夜斎対月無由共
夜斎 月に対するも 共にする由(よ)し無し
書斎で月を見ていても、ぼっちだと切ないだけだよぅ

欲賦幽懐思不勝
幽懐を賦(ふ)さんと欲するも思いに勝(た)えず
この切なさを大長編ポエムにしたいけど、つらすぎてもう無理……

空っぽのベッドでどうしてお布団を抱きしめているのかな?
このころの中国においては、仲の良い友人同士は、ベッドでごろごろしながらおしゃべりするのが伝統なのです。そういうことでいいじゃないですか。

お二人の友情に萌えるのはご自由に! そう、想像は自由です。

文徴明の書斎を訪れた人は、その狭さに驚きました。

「もっとコレクションいろいろあると思ったんですけど、結構こじんまりとしてますねえ」

「私の書斎は、みんな紙の上に建てたものばかりだもん!」

文徴明はそう笑って答えました。

みなさんも、紙の上でも、頭の中でも、書斎なりどんなものでも建ててゆきましょうね。想像と創作とは、あくまで自由なものなのですから。

自由で、文化を楽しむその生き方は、憧れの目で見られてきました。

彼らの愉快な生活や友情は、小説から映画まで、様々な姿で描かれて来たのです。

日本語版も存在するものでは、香港映画界の喜劇王・周星馳(チャウ・シンチー)が唐寅に扮した1993年『詩人の大冒険』(原題:唐伯虎點秋香)があります。2019年版も作られました。

※1993年版

※2019年版主題歌

そんなスゴイ人が題材のコメディ映画があるんだ――そう意外に思うかもしれませんが、何世紀にもわたって愉快な人々だと愛されて来たとわかれば、納得できるかと思います。

生誕から550年を経ても、うらやましいこのバディ。作風だけではなく、人生のお手本にしてもよいかもしれませんね。

 

文徴明、短い公務員生活との別れ

極めてマイペースな生活を送っていた文徴明。

53歳で9度目の科挙受験に失敗し、そのころ病気にも罹り、転機を感じるようにはなります。

そして嘉靖2年(1523年)。

李充嗣(りけいし)が文徴明の才能に感銘を受け、歳貢生(さいこうせい/推薦枠官僚)として朝廷に推薦したのです。

翰林院につとめ、薄給ながらも名誉ある仕事をこなした文徴明。若い周囲からも理解があり、そこそこ順調な官僚ライフかと思われましたが……だんだんと公務員適性がないことに悩むようになります。

しかもこの歳、唐寅が没しています。享年54。

「臨終詩」唐寅

生在陽間有散場
生きて陽間に在りても 散場有り
生きてるってことは、死ぬ時が来るってこと

死歸地府也何妨
死して地府に帰すとも 也(ま)た何ぞ妨(さま)たげんや
死んであの世に行っても、そういうこと

陽間地府倶相似
陽間 地府 倶(とも)に相(あ)い似て
この世もあの世も、似たようなもんよ

只當漂流在異鄕
只(ただ) 漂流して異鄕に在(あ)るに 当たるのみ
旅していて見知らぬ場所に行っちゃうようなものだな

文徴明/wikipediaより引用

その翌年、宮廷は死者も発生する事件【大礼の議】が起こっております。

明朝は官僚への処罰が厳しい時代です。錦衣衛(きんいえい/秘密警察)が暗躍し、政治的事件に巻き込まれると棒で殴られる「廷杖の刑(ていじょうのけい)」の犠牲となることもありました。

「完膚無きまで」という言葉があります。傷のない皮膚がないまで叩く、拷問の様子が由来なのです。明朝の官僚は、無傷の箇所がないほどまでに殴られる危険とも表裏一体でした。

文徴明本人は巻き込まれずに済みましたが、ストレスが溜まり続けます。

嘉靖5年(1526年)までに、三度辞職を願い出て、ついに受け入れられました。公務員としての就職ライフは3年間。短い!

 

偉大なる知の巨人

かくして故郷の蘇州に戻った文徴明は、我が子や後進を見守る、仙人のようなレジェンドとなりました。

嘉靖38年(1559年)、墓碑銘を書き終え筆を置くと、ふっと昇天するかのように大往生を遂げます。享年90。

その後の蘇州において、後進の銭謙益らはしみじみと振り返っています。

「文徴明先生のあとは、どうにも蘇州はダメだな。みんな先生の真似ばっかりして。偉大すぎたんだな……」

それほどの知の巨人でした。

文徴明の偉大さは、海を超えて日本にも伝わっています。

彼のような書画を目指すこと。与謝蕪村、河東碧梧桐……多くの文人たちが、どれだけ文徴明に近づけるか。修練に励んで来ております。

今日もどこかで、どうすればもっと文徴明のような字を書けるのか、筆を握る人はいるのです。

文徴明作「倪賛像題跋」(1542年)上海博物館/wikipediaより引用

書画だけではなく、マイペースな生き方、楽しい友情。

そんな生き方も目指したい。そんな二人が、明代蘇州にはいたのです。


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【参考文献】
『生誕550年記念 文徴明とその時代』東京国立博物館(→link
文徴明『中国法書ガイド50 文徴明集 明』(→amazon
井波律子『中国の名詩101』(→amazon
鈴木洋保/菅野智明/弓野隆之『中国書人名鑑』(→amazon
井波律子『中国の隠者』(→amazon
井波律子『奇人と異才の中国史』(→amazon
井波律子『中国文学の愉しき世界』(→amazon
丸橋満拓『シリーズ中国の歴史2 江南の発展』(→amazon
平田茂樹『科挙と官僚制』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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