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【ヴィクトリア女王の子孫】
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女王の孫であるエドワード王子は別の意味で……
度重なるスキャンダルにまみれたバーティのことを、フランスのある新聞は意地悪くこう書きました。
「こんなことが続くのならば、女王の孫であるエドワード王子が即位するのではないだろうか」
このころ外国のメディアは、まだとある秘密をつかんでいなかったようです。
秘密とはエドワード、愛称エディ王子のことでした。
このバーティの長男は、父親以上に問題のある王子だったのです。
1864年生まれのエディは内気な性格でした。
それだけならばまだしも、集中力が続かず、まったく勉強に身が入りません。
父のバーティは、勉強嫌いでしたが聡明でした。一方、エディの場合、全く理解できていないようなのです。
周囲の者は気を揉み、本人はさして気にも留めない様子。
両親はエディをケンブリッジ大学に入れるも、能力は全く改善しません。
「読むという言葉の概念すらご存じないようですね……」
ある講師はそう言い、エディを教育することは絶望的だとみなしました。
次にエディが入れられたのは海軍です。
当然というか、ここでも訓練についていけませんでした。
男娼館に出入りする姿を目撃されてしまう!?
エディは20代になると梅毒の罹患が判明。
さらに「クリーヴランド・ストリート・スキャンダル」という事件にも巻き込まれます。
当時、同性愛は禁止されていながら、男娼館は多く存在していました。
そこに出入りする貴族がいるということで、調査が行われます。
当初は別の貴族を狙ったものでしたが、なんとエディ王子が目撃されてしまったのです。
この爆弾級のスキャンダルをイギリスは国をあげて隠蔽しようとしましたが、外国の新聞はこぞって書き立てます。
絶望したヴィクトリア女王はこう漏らしました。
「エディが国王になったら、王室は滅びるかもしれない……」
この懸念は1892年、エディが僅か28才で世を去ったことによって払拭されました。
ヴィクトリアにとっては孫、バーティにとっては我が子の死ではありましたが、二人に安堵する気持ちがなかったのか?と言えばそうとも思えません。
代わって王位継承者となったのは、弟のジョージ王子でした。
エディの元婚約者であるメアリー・オブ・テックと結婚したジョージは、妻を深く愛し、愛人を作ることは決してありませんでした。
ジョージは父を深く敬愛してはいたものの、父のように奔放な生活をして新聞のゴシップ欄をにぎわすような君主にはなるまいと、固く誓っていたのです。
「愛する妻のもと、国民の模範たる理想的な家庭を築き上げるのだ」
ジョージ五世として即位した彼はそう誓っていました。
しかし、ジョージ五世国王夫妻もまた、祖母ヴィクトリア、父エドワード七世と同じく、奔放な王太子の素行に頭を痛め、英国王室を危機に陥れることになるのでした。
エドワード8世――彼に関しては以下の記事をご参照ください。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
ブレンダ・ラルフ ルイス/高尾菜つこ『ダークヒストリー 図説 イギリス王室史』(→amazon)