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【狂女フアナ】
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フアナの両親と敵対していたフランスに接近したり、地元・フランドルの貴族に勝手に土地をやってしまったり。
後世から見ても「お前は何をやっているんだ」としか言いようのない愚行を繰り返すのです。
当然ながらフアナからも貴族達からもますます反発され、「フェリペ1世」から遠のいていくのですが、本人は全く気付いていなかったようです。
顔と中身の両立は難しいんですかねぇ。
そしてある日、生水にあたってあっさり死んでしまいました。
それまでの評判があまりにもアレだったので、毒殺説もあります。そりゃそうだ。
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だめんず夫が死亡しておかしくなる?
王としては真っ向から対立していても、妻としてはフィリップを愛していたフアナは、これによって完全に正気を失った……というのが、彼女を「狂女」と呼ぶ所以だといわれています。
伝承上では「フィリップの棺を連れて何年も国中をさまよった」と言われており、このイメージが定着して恐ろしい女性と描かれるようになってしまいました。
しかし、ですね……。
仮にも女王という立場の人が、そんなに長い間、宮廷の外をほっつき歩けるもんですか?
このときフアナの父・フェルナンドは引退していたもののまだ存命で「女王発狂」の知らせを受けて摂政になっています。
その二年後にフアナを幽閉したのもフェルナンドでした。
ですから、「夫の棺を埋葬させなかった」のはありえるとしても、「国中をさまよった」というのは眉唾モノだと感じます。
さらに、フアナは幽閉後も公式には退位せず、四十年後に亡くなるまで女王であり続けました。
もちろん実権はなくなっており、退位を勧められながら、頑として拒み続けたといわれています。
実際には息子のカールが「共同統治者」として国を動かしていたので、このことによる問題はなかったようです。
幽閉生活については決して評判悪くない
もし本当にフアナが正気を失っていたとしたら、四十年もそのままにしておくでしょうかね?
カールとの親子仲がどのくらい親密だったかは不明ですが、彼の意向によっては事故や病気を装って暗殺することだってできたでしょう。
それでも生かしていたのは「政治的なことは無理だが、生きていてほしい」と願ったからではありませんか。
フアナの幽閉生活については決して評判悪くはありません。
「自分の意志や習慣を理解しない人間とはうまくやれなかったが、そういうことがわかる相手であれば女王らしい振る舞いをしていた」
というものです。
ある意味ワガママとも言えますけれど、現代の感覚で言えば父親が「昭和の頑固親父」みたいな感じだったのでは?
そこに女性特有の「私の気持ちをわかってよ!」という思考が加わったとしたら、周囲からはヒステリックに見えるような言動になるのもわかる気がします。
まぁ、その場に居合わせ配下の人たちは気の毒かもしれませんが。
いずれにせよ「狂女」という外からつけたレッテルは違うような気がします。
「暗く恐ろしい女性」と決め付けていて、悪いところしか見ないのはおかしな話。
本人の日記とか手紙が出てくれば一番なんですけどねー。
長月 七紀・記
【参考】
フアナ/wikipedia