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週刊武春 フランス

テンプル騎士団のムゴい終焉……カネと権力欲しいフィリップ四世が潰し、自らも滅びる

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騎士団――。

何やら字面だけでイケてるイメージですが、メジャー級となればなおのこと。

テンプル騎士団」は現代のメキシコ麻薬カルテルもその名を拝借するくらい有名であり、「聖ヨハネ騎士団」「ドイツ騎士団」と並び「三大騎士修道会」と称されるほどビッグな存在です。
場合によっては「聖堂騎士団」とか「神殿騎士団」などと訳されることもありますね。

フィクションでも、小説、映画、テレビゲームなど。ありとあらゆる作品に登場するので、お馴染みの方も多いかもしれません。

今回はその歴史、正確には「悲惨すぎる最期」に迫ってみたいと思います。

 

十字軍を守る 栄えある騎士団

テンプル騎士団は、12世紀から13世紀にかけて、十字軍の予備軍として組織されました。

名前の由来は、宿舎用地として与えられた場所が「神殿の丘」、ソロモン王のエルサレム神殿があったところから来ているとか。彼らは、ルイ7世、リチャード1世、フィリップ2世といった王を助け、次第に勇名を高めてゆくのでした。

テンプル騎士団の本部があったアル=アクサー・モスク

テンプル騎士団は、勇名の高まりとともに、莫大な財産や絶大な権力も獲得。さらには、エルサレムを巡る戦いの中で、「聖杯」や「聖櫃(契約の箱・アーク)」、キリスト教を震撼させるような重要文書を手にしたという噂も流れました。

今日に至るまでテンプル騎士団にロマンチックで謎めいたイメージがつきまとうのは、こうしたイメージのせいでしょう。
日本人なら、埋蔵金といえば徳川や豊臣を連想しますが、海外ではテンプル騎士団なんだとか……。
実際、伝説にとどまらず、彼らは巨額の財産を所有していました。

はじめは十字軍の護衛料をせしめるにとどまっていたのですが、教皇は特権を与えます。財産に対する納税免除だけでなく、教会におさめる「10分の1」まで免除されたのです。
さらに、金銭の利子付き貸し付けすら許されました。これにより、騎士団は銀行のような役割を果たすことが可能となり、ヨーロッパの有力君主のみならず、イスラム教徒までが彼らに多額の財産を託すようになりました。

しかし、これがテンプル騎士団を襲う悲劇の原因となるのでした。

十字軍も一段落し、騎士団の勇名もまた落ち着き、教会の権威そのものが薄れたとき、人々はこう噂しました。

「あいつら利子まで取って大儲けだな。だいたい十字軍なんてもう終わっているだろ。何であいつら、あんなに威張っているんだ」
「ため込んだ金で贅沢三昧しやがって」
「キリスト教徒とは思えない傲慢さだ、けしからん!」

これぞまさに、ある人物にとっては好機でした。
フランス王フィリップ4世です。

フィリップ四世/wikipediaより引用

 

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逮捕、没収、拷問、自白、火刑……あまりに悲惨な……

フィリップ4世自身については以下の記事をご覧ください。
美男王、あるいは寡黙王と呼ばれた彼。「陛下は人でも動物でもない。石像だ」と評した者もいるほど、つかみどころのない性格でした。

端麗王やら寡黙な王やら敬虔な王やら……二つ名だけはイケてるフィリップ4世

しかし、彼自身の野心と目的はハッキリしておりました。

偉大な祖父・ルイ9世のような名君となること。それが彼の目標だったのです。
フィリップ4世は「法律顧問(レジスト)」と呼ばれる有能な側近たちを近くに置き、飽くなき王権強化の道を突き進むのでした。

そのためには、逆らう宗教勢力を壊滅させることすら厭いません。矛先は、まずローマ教皇ボニファテイゥス8世に向けられ、これを失墜させると、次なる敵意はテンプル騎士団へ……。

テンプル騎士団は、王にとって邪魔な宗教権威以上の意味がありました。
どういうことか?

当時のフィリップ4世は、他国との戦争でふくれあがる戦費という弱点も抱えておりました。
そこで目の上のタンコブとなっていたのが、邪魔で大金持ちなテンプル騎士団。フィリップ4世が彼らをどう思うか。いとも容易に想像ができますでしょう。

1307年9月、フィリップ4世はテンプル騎士団の罪状として、恐るべき罪を並べたてました。

・同性愛
・堕落した性行為の数々
・新生児殺し
・児童虐待
・人肉食
・黒魔術
・悪魔崇拝
・キリストの否定と冒涜

キリスト教徒が聞いたら卒倒しそうな罪の羅列です。

かくして10月になると、フィリップ4世はフランス各地で、騎士団総長ジャック・ド・モレーをはじめ構成員15,000人を逮捕。同時に騎士団の土地や財産を取り上げ、いくらになるか勘定を始めました。
その中には、なぜか書類だけは含まれておりませんでした。おそらく騎士団内の誰かが隠蔽に成功したのでしょう。
このことも、騎士団の神秘的イメージ作りに一役買っています。

逮捕された騎士団員たちは、粗末な食事だけを与えられ自白を迫られます。それでも拒むと、残酷な拷問の数々を受けました。
その間にも、フィリップ四世の息のかかったスパイたちが、騎士団のでっちあげた悪行の数々を全土で吹聴して回ります。

騎士団員たちは苦痛に耐えかねて罪を告白し、命を落としてゆきました。しかし幾人かの騎士たちは、聖職者の前で「自白は王に強要された」と撤回します。告白と撤回という堂々巡りに、フィリップ4世は苛立ち始めます。

1310年、フィリップ4世はついに騎士団員の大量処刑に手をつけます。パリ郊外の畑に立てた杭へと連行し、ある時は54人、またある時は67人と、縛り付けた団員たちを火刑に処したのです。

燃やされる騎士団員を見て、パリっ子もこれはやり過ぎではないか、と戦慄したことでしょう。

 

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骨と灰、そして気高い精神が残された

大量処刑の翌1311年、審問は終了。
さらにその翌1312年、教皇クレメンス五世は、ヴィレンヌ公会議でテンプル騎士団の解散を宣言しました。

フィリップ四世は、没収財産が懐に転がり込むことを熱望していたでしょうが、ホスピタル騎士団に引き継がれます。残りの財産は他の団体にうつされ、フィリップ四世が手にしたのは一割程度に過ぎませんでした。

あれだけ執拗に追い詰めておきながら、手にしたものは多くはなかったわけですね。
このことから、王によるテンプル騎士団迫害は財産狙いではない――という説もあるそうですが、いかがなものでしょうか。
財産の譲渡は1313年までに終わりました。

翌1314年、それまで黙秘を続けてきた総長ジャック・ド・モレーの審問が再開されました。
このとき既に七十歳近い高齢であったド・モレーは覚悟を決めていました。

彼は頑として自白を拒みます。ノートルダム大聖堂に引き出され、群衆に向かって叫びました。

「私はいつわりの告白をしたことを認めねばならない。修道会は無実だ!」

群衆は驚き、どよめきが広がります。
さらにもう一人の高位の騎士団員が、やはり自白を撤回。

二人はたちまち捕まり、火刑台へと引き立てられました。
あとに残されたのは骨と灰、そしてその気高い精神でした。

 

呪われたかのような急死が続いて王朝は断絶

さて、首尾よくテンプル騎士団を壊滅させ、フィリップ4世は高笑いできたのでしょうか。

いえいえ、そんなことはありません。彼は晩年、様々な不幸に襲われるのです。
まず息子の嫁・二人が騎士と密通していたという醜聞は、王を悩ませます。フィリップ4世は密通していた男を去勢したうえで処刑し、嫁二人を幽閉しました。

そしてモレーが亡くなったその年のうちに、本人が狩猟中の事故で急死するのす。46歳。クレメンス5世も年を越せずに急死しました。

以降、まるで呪われたかのような歴史が綴られます。

・フィリップ4世の死後は太子のルイ10世が即位するものの、僅か二年で急死
・ルイ10世の死後に生まれたジャン1世は生後まもなく夭折
・フィリップ4世の次男であるフィリップ5世が即位、6年で崩御
・フィリップ4世の末子であるシャルル4世が即位、6年で崩御

それまで比較的安定していたフランス王家の相続が、突如として乱れに乱れたのです。

フィリップ4世の死から14年。三百年間続いたカペー朝は断絶の憂き目に遭い、ヴァロワ伯の血統から始まる新しい王朝が始まることになりました。
相次ぐフィリップ4世の子孫の死は、『テンプル騎士団の呪いではないか』と、囁かれたのでした。

テンプル騎士団は、その後何世紀にもわたって異端として扱われ、完全に名誉が回復されるのは二十世紀初頭のこと。
その神秘的イメージから、現代は、様々なフィクションにおいてモチーフとされているのです。

まず名前がカッコイイだけでなく、前述のように「聖杯」や「契約の箱」などの伝説があり、埋蔵金のロマンと悲惨すぎる最期が残されているばかりか、「呪い」のチカラによってカペー朝を滅ぼしている。これが例えば「ホスピタル(病院)騎士団」だったらここまで人気が出たかは疑問です。

今後もテンプル騎士団をモチーフとしたフィクションは作り続けられることでしょう。

文:小檜山青

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【参考文献】
佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1』(講談社現代新書)
ブレンダ・ラルフ・ルイス『ダークヒストリー2 ヨーロッパ王室史』(原書房)
トレモリエール/ルシ『ラルース 図説世界史人物百科Ⅰ 古代‐中世―アブラハムからロレンツォ・ディ・メディチまで』(原書房)

 




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