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もう1人の「おんな城主 お田鶴の方」 井伊直平に飲ませた毒茶はフグ&トリカブトのコンボ技?

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来年の大河ドラマ『井伊直虎』は浜松が舞台で、地元では急ピッチに観光化がすすんでいるようです。当サイトでも戦国未来さんが井伊直虎紀行(コチラ)を書いており、熱い盛り上がりを見せております。

実は直虎と同時代、しかも浜松にもう1人女城主がいたことをご存知ですか?

それが曳馬城主、飯尾連龍の妻、『お田鶴の方』です。本日は彼女の生涯と【毒の話】をお送りしたいと思います。

 

今川家臣・飯尾連龍に嫁いだお田鶴の方

お田鶴の方については資料により書いてあることがマチマチなのですが、天文19年(1550年)の生まれとされています。ちなみに直虎は1530年〜1540年頃に生まれたと推測されていますので直虎のほうがおねーさんですね。

父親は小笠原鎮実または鵜殿長持とされており、少々ややこしいながら、どっちにしても今川家臣なので「今川家臣の家に生まれた」とざっくり括っておきましょう。

お田鶴の方はこれまた今川家臣の曳馬城主『飯尾連龍』に嫁ぎます。そしてその運命は永禄3年(1560年)桶狭間の戦いを契機にがらっと変わってしまいました。

皆さんご存じの通り、桶狭間直前の今川家は所領を駿河・遠江から三河や尾張の一部にまで拡大し最盛期。あの家康も今川配下として戦っておりました。が、義元が急に討ち取られたことで勢力は一変してしまい、西では今川から離反した徳川、北では同盟国とはいえ信玄率いる武田家が領土を虎視眈々と狙う状況になってしまいます。

この激動の中で遠江の領主たちはこのまま『今川』に付き従うのか、見限って『徳川』に付くのか、はたまた『武田』になびくのか・・・。来年の大河ドラマはこの荒波に翻弄されつつ乗り切る『井伊家』が主役ですが、同じ状況であった飯尾家はどうなったのでしょうか。

 

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井伊直平に勧めたお茶、それは毒茶でした

飯尾氏は三善氏の流れを汲むと言われ、元々は室町幕府の奉行衆でした。

連龍の曾祖父にあたる長連の代に駿河国に下向し、以来今川家に代々奉仕。桶狭間の戦いでは今川義元だけでなく多くの国人領主も討ち死にしており、直虎の父直盛も、連龍の父乗連も落命してしまいました。

父の後を継いで曳馬城主となった連龍は、今川氏真に仕えました。が、徳川と内通したことがバレて永禄5年(1562年)、今川氏真に攻められます。そして曳馬城は陥落……とはならず、一旦和睦で済みました。

そして翌年、今川氏に反逆した天野氏を氏真の命令で討ちに行く途上の井伊直平(直虎の曾祖父)が曳馬城主を訪れた時、連龍夫婦がある事件を起こします。

事件のあらましを『井伊家伝記』より抜粋してみますね(ちなみにこの文献では連龍は井伊直平の家老と書かれています)。

氏真、掛川の城にて直平尻打の段、吟味成され候所に、直平公、則、新野左馬助を以て、白須賀不慮の出火の旨申され候。ここに因り、氏真より右の過役に、遠州八城山城主天野左衛門尉(氏真に随はず候)直平に相攻む可き旨、申され候故、遁れず請負申され候間、出陣の支度成され候所に、直平公の家老飯尾豊前守妻、天野左衛門と縁者豊前え相進め、夫婦同心にて直平公へ逆心。直平公出陣の節、豊前が妻、直平公え茶を進め申し候所に、その茶毒にて、直平公先勢は、遠州国領蔵中瀬まで参り候所に、直平公、有玉旗屋の宿にて、惣身すくみ落馬、毒死成され候。惣人数引馬へ引き退き候所に、飯尾豊前守一味同心の輩を相催し、大手を固め、籠城仕し候。この節は、井伊家直平公ばかり故、直平公家来も毒死の上、多くは皆々豊前に一味同心申し候なり。(『井伊家伝記』より)

※1原文は記事末に掲載しております

大事なところをざっくりまとめますと……。

「飯尾連龍の妻(お田鶴の方)が天野左衛門と連龍に直平を裏切るように勧め、夫婦して直平を裏切りました。出陣の時にお田鶴の方が直平にお茶を勧めましたがそれは毒茶だったので、直平は有玉の宿で全身がすくみ落馬して死にました。何人かが曳馬に引き返したところ、籠城しちゃってました。家来も毒死し、生き残った者は連龍に付きました。」

毒殺キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

ここから歴史パートをお休みして、毒の話を考えたいと思います。

 

小説「井の国物語」では遠州フグの毒として描かれ……

まず、直平の死亡地点「有玉旗屋の宿」は浜松市東区有玉南町にあたります。

Googleマップで曳馬城のあった浜松の東照宮から有玉南町までを徒歩検索しますと5.7 km、 約1時間9分となります。どんな速度で進軍したかは分かりませんが、この距離であれば茶を飲んで1~2時間で死亡したと考えられます。

谷光洋氏の小説「井の国物語」では、この毒を遠州フグの毒として描いております。作者の創作だそうですが、症状と潜伏時間、お茶に混ぜた点ではかなり良いと思います。

そんなわけでフグ毒「テトロドトキシン」いきますよーっ!

テトロドトキシン(TTX)は、クサフグやトラフグに代表されるフグ毒の成分です。

フグ自身が作る毒ではなく、元々細菌が生産したものが貝などの餌を介してフグに蓄積したもので神経毒となりますが、その機序は「末梢神経軸索突起でNaチャンネルをブロックし、興奮の伝達を遮断すること」にあります。簡単に言うと神経伝達が阻害されるため、興奮が筋肉に伝わらず、筋肉は収縮せずに麻痺がおこります。

最初は骨格筋から麻痺するので四肢麻痺による運動障害や構音障害ですが、重度になると呼吸筋が麻痺し窒息死。馬に乗っている状態で麻痺がおこれば落馬しちゃいますよね。

中毒症状は食後30~40分(遅くとも2~3時間)で口唇、舌、指先などのしびれから始まり時に嘔吐、時間の経過に伴い上下肢の知覚麻痺、運動障害、全身の運動障害、著明な構音障害を来します。さらに進むと呼吸困難、血圧低下がみられ、重傷例では意識障害とともに自発呼吸が停止し、呼吸筋麻痺で死亡します。

TTXの致死量は約2mgでこれはクサフグの肝臓約2gに相当します。しかも熱および酸に強く、煮沸しても乾燥しても毒性がおちません。がんばって煮出せばお茶に混ぜられそうですね。

解毒方法は……残念ながらございません。身体から排泄されるのを待つしかないので、現代でも呼吸筋の麻痺を人工呼吸器で補うことが治療になります。

と、ここまで書いてもう一捻り欲しくなりました。私が直平を毒殺する立場で考えてみます。

 

トリカブトと併用すればいい感じで殺せちゃう!?

確実に殺したいが速効性の毒だと家来衆にばれてしまう。できれば城からある程度離れてから効き目が出て欲しいところだが、フグ毒の量が少なければ効果が出るまでに時間は稼げる。ただその代わりに確実に仕留められない可能性がある。

ここで出てくるのが「トリカブト」です。

トリカブトの毒の主成分はアルカロイドのアコニチンです。これは細胞膜のNaチャンネルを開放し、Na透過性を高めることで心筋、平滑筋、骨格筋、中枢神経、末梢神経を刺激し、さらには異常興奮により麻痺させる神経毒でして、心筋に対しては多彩な作用で不整脈を誘発します。

症状としては、服毒後15~30分以内に口やのどに灼熱感を生じ、四肢のしびれ感から悪心、嘔吐、脱力感、起立不能と続き意識消失、呼吸筋麻痺、血圧低下を生じ心室細動などの致死性不整脈で死亡します。

毒性は根>花>葉>茎の順に強いのですが、致死量は葉で2g、アコニチン換算すると3~4mgになります。

実はトリカブトは速効性があるためあまり暗殺には適さないのですが、フグ毒とトリカブト毒の作用機序を見てみて下さい。

TTX→Naチャンネル阻害、アコニチン→Naチャンネル開放。作用が真逆ですよね?

実は絶妙にブレンドすると毒性が拮抗し症状の発現を遅くすることができるのです。ちなみに半減期はTTXのほうが短いので混ぜた毒を飲んだ際、アコニチンすなわちトリカブトで死にます。実際にこのトリックで行われた殺人事件もありますので興味の有る方は調べてみてください。

 

氏真は婚姻をエサに連龍を駿府に呼び寄せた

さて歴史パートに戻るとしましょう。

直平が死んでしまった井伊家では、当主筋が幼い井伊直政しか残らない状況になり女城主「井伊直虎」が誕生します。一方、飯尾家はどうなってしまうのか。

この後、連龍は氏真にも従わず今川に反旗を翻します。もちろん氏真は怒って家来に曳馬城を攻めさせます。しかし、落城しません。結構強いです。

永禄8年(1565年)には井伊谷などから援軍も出して攻めますがやっぱり落ちません。

そこで氏真は連龍を許し駿府に呼び寄せます。一説には氏真の娘と連竜の息子の婚礼をエサにしたという話もあります。

そして息子もろとも謀殺。

この先、またたくさんの伝承があるのですが、連龍亡き後、家康からの曳馬城を明け渡し、勧告を突っぱねたお田鶴の方は徹底抗戦をしたのが大筋になります。『三河後風土記』の記述がカッコイイのでそれを元に、お田鶴の方の戦いを解説していきますね。

 

妾婦女と雖も己に武夫の家に生るものなり

お田鶴の方はけなげな性格であったため、夫が殺されたことに憤り籠城することを決意します。そして、武藤刑部丞を頼り武田氏に内通したと記されています(・・・あかん疫病神や(笑))。

やがて家臣の内意で家康が使者を出し、「城を明け渡せば妻子のみでなく家人の面倒も見る」と破格の条件を提示してきましたが、お田鶴の方はそれに応じませんでした。

ここは私の推測ですが、氏真にだまし討ちのように夫を殺され家康が信じられなかったのかもしれませんし、今川に2度攻められても守り抜いた城を易々と渡せないと考えたのかもしれません。明治期に書かれた修身(道徳)の教科書にはこんな一文があります。

「妾(わらわ)婦女と雖(いえど)も己に武夫(もののふ)の家に生(はべ)るものなり、おめおめ城を開きて降参するは妾(わらわ)の志にあらず」

(※意訳・私は女だが、武士の家に生きている者です。おめおめ開城し降参するのは私の志ではございません!)

もちろん開城しないとなれば家康も攻めてきます。

酒井忠次と石川数正が曳馬城に攻め込みますがお田鶴の方は女城主として防戦の指揮をとり、酒井と石川の徳川重臣コンビは敗走。しかしその翌日に激しく攻め立てられ外郭に乗り込まれると、お田鶴の方と侍女数人が緋威(ひおどし)の鎧と同じ毛のカブトを身につけ薙刀を振るって敵中に斬り込みました。

ゲームであればこの設定、相手を蹴散らし勝利でしょうが、多勢に無勢、お田鶴の方以下城兵は皆勇敢に討ち死にしました。

お田鶴の方

女ながら立派に戦い抜いたお田鶴の方。

その死を不憫に思った家康は彼女と侍女の亡骸を懇ろに弔い、祠を建てて祀りました。また家康の正室築山殿はお田鶴の方と親類であったとも言われ、その死を嘆き悲しみ、祠の周りに椿の木を100本植えて供養をしました。

その後、椿の花は毎年美しく咲き誇り、付近の人々が「椿姫塚」と呼び追善供養を続けま、現在も、御堂には観音像が祀られ、「椿姫観音」として残っております。

頭を使いピンチを乗り切り、井伊家を大大名にした直虎の生き方も素敵です。

が、志の為に散ったお田鶴の方の人生も違った意味で魅力的だと思いませんか?

 

※1『井伊家伝記』原文

氏真、掛川之城にて直平尻打之段、吟味被成候所に、直平公、則、新野左馬助を以、白須賀不慮之出火之旨被申候。因茲、氏真ゟ右之過役ニ、遠州八城山城主天野左衛門尉(氏真ニ不随候)直平ニ可相攻旨、被申候故、不遁請負被申候間、出陣之支度被成候所ニ、直平公之家老飯尾豊前守妻、天野左衛門と縁者、豊前江相すゝめ、夫婦同心ニて直平公へ逆心。直平公出陣之節、豊前が妻、直平公江茶を進申候所ニ、其茶毒ニて、直平公先勢ハ、遠州国領蔵中瀬迄参候所ニ、直平公、有玉旗屋之宿にて、惣身すくミ落馬、毒死被成候。惣人数引馬江引退候所に、飯尾豊前守一味同心之輩を相催、大手を固め、籠城仕候。此節ハ、井伊家直平公斗故、直平公家頼も毒死之上、多クハ皆々豊前ニ一味同心申候也。

 

文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【編集部より】

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【参考】

戦場に散った女傑、お田鶴の方を祀る椿姫観音堂

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/お田鶴の方

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sul_ino.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%B0%BE%E9%80%A3%E7%AB%9C

『井伊家伝記』戦国未来

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%B0%BE%E9%80%A3%E7%AB%9C

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%B3

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