徳川四天王の一角・榊原康政 文武両道のデキる男は豊臣秀吉に「10万石の懸賞首」をかけられた

武家や公家の最大の目的は「血筋と家を残す」こと。
その結果、作法や文化、伝統を現代まで伝えられるというメリットがあり、それが今に至るまでの経緯を考えてみるのもまた歴史の楽しみですよね。
本日はその一例でもある、某有名武将の一生に関するお話です。

慶長十一年(1606年)5月14日は、徳川四天王の一人・榊原康政が亡くなった日です。
徳川四天王とは他に酒井忠次、本多忠勝、井伊直政の3名がおり、徳川家ファンの方にはお馴染みの存在ですが、今回はあらためて康政の生涯にスポットを当ててみましょう。

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【TOP画像】榊原康政/Wikipediaより引用

 

元は家臣の家臣 陪臣の家系だった

康政は、家康のトーチャン・松平広忠の家臣である酒井忠尚の家臣として、三河上野城(現・愛知県豊田市上郷護国神社)に生まれました。元々は陪臣だったんですね。

身分は重くなかったものの、小さい頃から勉学を好んで書にも励んだといいます。天才肌というよりは、コツコツ努力を重ねるタイプだったのでしょう。
13歳のとき家康の小姓となり、三河一向一揆で初陣を果たしました。ちなみに、元の主だった酒井忠尚はこのとき一揆側にいたといわれています。もしこの時までに家康の小姓になっていなければ、康政が徳川四天王に名を連ねることはなかったのかもしれませんね。

一揆の戦功によって家康から「康」の字をもらったとされていますが、何故か元服は一揆から5年ほど経った永禄九年(1566年)でした。
康政は兄・清政に代わって榊原家を継いでいるので、それに関する諸々のトラブルがあったのかもしれません。

残念ながら詳細は不明ですが、後に康政は幾度か兄を見舞っておりますので、健康上の理由だったかもしれませんね。それだったら一番穏便なのですが……。

イラスト・富永商太

イラスト・富永商太

 

若き頃から家康と苦楽を共にしてきた歴戦のツワモノ

元服後は、同い年の本多忠勝とともに、家康の旗本先手役(護衛と先陣の両方を担う役目)という大変重要な役を任されました。
いわば、忠勝や康政、そして井伊直政は家康の「子飼い」とも呼べる将だったんですね。四天王のうち酒井忠次だけは家康より年上なので、少し性質が異なりますが、徳川四天王は全員「家康が若い頃から苦楽をともにしてきた仲」の人物であるということになります。
「忠次が康政と直政のケンカをなだめた」という話もありますので、年長の忠次が他の三人の仲立ちになるということも、たびたびあったかもしれませんね。

そんなわけで、康政は三方ヶ原の戦いや長篠の戦い、そして本能寺の変に伴う「神君伊賀越え」といった家康の主要な出来事にも深く関わっております。
中でも強烈なエピソードが残っているのが、小牧・長久手の戦いのときのことです。

小牧・長久手の戦いそのものについては当コーナーでもたびたび扱っていますので、詳細は割愛させていただきますね。ざっくり言うと「本能寺の変の後、諸々の理由で秀吉と家康(&信長の次男)が戦いました」という感じです。

康政は家康の家臣ですから、当然秀吉と戦うことになりました。
ここで彼は、武働きだけでなく知性を見せつけています。

なんと、秀吉について「信長公の恩を忘れて主家を乗っ取ろうとする不届き者! そもそもどこの馬の骨ともわからんヤツに従う義理はない!!」(意訳)と罵った手紙を、秀吉本人に送りつけたのです。

「小牧・長久手の戦い」での榊原康政/Wikipediaより引用

 

秀吉「康政を討ち取った者には10万石を与える!!」

敵を怒らせるのも戦略のうちとはいえ、康政の手紙は、空前絶後の度胸と言わざるを得ません。
当人は達筆だったので、この罵詈雑言(正論)も相当綺麗な字で書かれていたことでしょう。煽り度がうなぎ登りですね。

もちろん、秀吉は怒髪天を衝く勢いで怒りました。
「康政を討ち取った者には10万石を与える!!」
とまで言っています。
ここで、これがどのくらいスゴイ賞金なのかをちょっと解説しておきましょう。

「石」は領地の単位というイメージをお持ちの方も多いかと思いますが、元々はお米の量を指します。
1石=大人一人が一年間に食べる米の量、だいたい150kgくらいです。つまり康政の首は、10万人を一年養える量の米と同等とみなされたことになりますね。

余談ですが、現代の日本人は一年で一人50~60kgくらいの米を食べているといわれています。戦国時代の人は、現代人の三倍前後の米を食べていたことになるわけです。オカズが少なかったとはいえ、いかに米が必要とされていたかがわかりますね。

お米をたくさん作るためには、土地の広さや豊かな土壌が欠かせませんから、これが領地の広さや質を示す単位にもなりました。

10万石を領地で表すと、真田幸村(信繁)の兄・真田信之の子孫である松代藩と同じくらいになります。また、康政自身も後々家康から同じ10万石をもらっています。

つまり、秀吉は「康政の首に国ひとつ分、もしくは10万人を養う量の米の価値がある」と言ったことになるわけです。秀吉どんだけキレてるねん。

 

従五位下・式部大輔の官位と豊臣姓を与えられ

もちろん嫌がらせだけでなく、武働きもきちんとしています。

小牧・長久手の戦いでは秀吉の甥・秀次の陣を突き崩し、同行していた池田恒興や森長可を追い込みました。秀次以外はこれによって討死。幼少期の勉学好きといい、まさに文武両道と言えるでしょう。

ただし、この合戦で主の家康が秀吉と和解すると、当然ながら康政もそれ以上のことはしませんでした。
秀吉への使者を務めたり、家康が上洛する際のお供もしております。また、秀吉は「強い敵を褒めることは自分の格を上げる事になる」というスタンスでしたので、康政に従五位下・式部大輔の官位と豊臣姓を与えました。

その後は豊臣の家臣である徳川家の先手として、小田原征伐に参加。家康の関東移封後は館林10万石を与えられ、堤防や街道の整備に尽力しました。この辺も文武兼ね備えた感がありますね。
秀吉存命中はそつなく仕事をこなしていたようで、次に康政の目立った逸話が出てくるのは関が原の戦いです。
というのも、康政は家康本隊ではなく、秀忠隊に随行していたのです。

初陣の秀忠を何かと支えるために、家康は康政をつけたのでしょう。他に秀忠と同行した有名どころでは、謀臣として名高い本多正信がいます。
おそらく家康は、戦闘に関しては康政に、調略については正信にサポートさせるつもりでいたのでしょうね。

この女好きさんだけは、ほんとどうにもなりません/イラスト・富永商太

イラスト・富永商太

 

秀忠の遅参にブチ切れ家康 宥めたのは康政だった

秀忠の気性は家康が思っていたより激しいもので、敵である真田昌幸のほうがそれを理解していました。昌幸の計略に真っ向からぶつかっていった秀忠は、敗北ばかりか関が原本戦に間に合わないという大失態を犯してしまいます。家康は激怒し、すぐに秀忠へ会おうとはしませんでした。

これをとりなしたのが、康政だったのです。
家康は秀忠との面会を渋々許可し、秀忠は康政に大変感謝したといいます。

江戸幕府ができてからは、他の武臣たち同様に康政も遠ざけられてしまいましたが、秀忠は康政が亡くなるまで恩を忘れませんでした。
慶長十一年(1606年)に毛嚢炎(もうのうえん。毛根に細菌が感染して炎症が起きる病気)で康政が病みついてから、秀忠は医師や見舞いの使者を送っています。

しかし、時すでに遅し。発症から一週間ほど経って、康政は亡くなってしまいました。

毛嚢炎は皮膚の衛生状況が悪かったり、糖尿病にかかっているとなりやすいそうなので、康政も以前からそういったものにかかっていて、毛嚢炎が悪化してしまったのかもしれませんね。
もしくは毛嚢炎ではなく、足利尊氏と同じような戦傷からの感染症という可能性もありそうです。

群馬県館林市にある榊原康政の墓/Wikipediaより引用

 

江戸時代にお取り潰しの危機を乗り越え家は存続

その後の榊原家はたびたびお取り潰しの危機に見まわれました。

が、最初に家康自ら取り潰しをやめたため以降も存続。時には「それ、他の大名家だったらまずアウトだよね?」というような方法まで使っているので、ある意味、家康がお墨付きを与えたと見ることもできます。

榊原家は現在も存続していて、現在のご当主は会社経営をされているとか。
近代の榊原家の人物としては、2013年に亡くなった作家の榊原喜佐子さんが有名ですね。徳川慶喜の孫で、榊原家に嫁いだ人です。

数百年経ち、江戸幕府がなくなっても家同士の縁は続くものなんですね。もちろんケースバイケースですが、こうした例は他にも多くあるのかもしれません。

もちろん徳川四天王の末裔の方々に「徳川家をお守り云々」といった義務や意志はありませんが、両家のゆかりを示す深イイ話ということで。

長月 七紀・記

参考:榊原康政/Wikipedia

 


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コメント

    • ななし
    • 2016年 5月 14日

    井伊・本多が濃すぎるせいか、地味だの影が薄いだのと言われる湖との多い榊原さんですが、改めて見ると凄い人ですね。
    もっと表に出る機会が増えると良いです。

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