『ゴールデンカムイ』で、主役の杉元と争うほど支持されていたのが尾形百之助でしょう。
皮肉みとユーモアのある性格。
スナイパーとしてのスキル。
それだけではなく、彼の抱える悲劇性も、その人気に大きな貢献をしていることでしょう。
尾形は「両親と異母弟を手に掛けた」という血塗られた過去を持っています。
実は彼のルーツが、幕末維新にかけての業がてんこもりなのです。
悲劇の存在となった背景には、そうした暗い歴史もあるのでしょう。
そして2022年1月、本誌で尾形の真の目的が露わになると、SNSでトレンドを占めるほどの衝撃を読者に与えました。
あまりに倒錯していて、身勝手なようで、あまりに純粋な……そんな尾形からは、彼のルーツである幕末明治における水戸藩も連想させます。
水戸の三ぽいという言葉があります。
理屈っぽい、怒りっぽい、骨っぽい――目的のためならば暴力や謀略をも辞さない。確かに尾形にはそんな気質があります。
対峙する鶴見は、長岡藩がルーツです。
高い知性に裏打ちされた薩長への対抗心。そして機関銃を得意とする気質が象徴的です。
彼らが幕末を再現するとすれば、ハッピーエンドにはなりません。
最終局面を迎えた今、ルーツを探ってみましょう。
尾形百之助「祝福された道が俺にもあったのか……」
コミックス10巻103話より
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『ゴールデンカムイ』8巻(→amazon)
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水戸と薩摩、因縁の子
尾形は、父が薩摩出身で母が水戸です。
父:薩摩藩出身のエリート陸軍人・花沢幸次郎
母:茨城県(旧水戸藩)出身、浅草芸者
もう、この段階で業が深すぎるのです。
なぜ?
って、幕末におけるこの二つの藩は、深い因縁がありました。
幕末序盤における水戸藩は、諸藩の中でも思想的にリードしておりました。
その原動力となった学者が藤田東湖です。
なにしろ薩摩藩の大久保利通や有馬新七らが指導し、後に【精忠組】と呼ばれる藩士たちも、水戸藩発の国学には大いに賛同するものがありました。
※以下は藤田東湖と精忠組の関連記事となります
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この二藩は、徳川家定のあとの将軍を徳川家茂と徳川慶喜、どちらにするかの問題である「将軍継嗣問題」で一致団結します。
当時の薩摩藩主・島津斉彬は、熱心に慶喜を支持していたのです。
彼らは、国難の中、水戸藩出身で意志強固な慶喜こそ、将軍にすべきだと主張しましたが、斉彬の死後、井伊直弼の【安政の大獄】によって解決的な打撃を受けます。
井伊を暗殺した「桜田門外の変」においても、実行犯は水戸藩士と薩摩藩士でした。
徳川家茂が早死にすると、薩摩藩が推していた水戸藩出身の慶喜が、将軍になります。
しかしこの慶喜と、薩摩藩の国父と呼ばれた島津久光(斉彬の弟)が、激しく対立することになるのです。
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薩摩藩は、慶喜を権力の座から追い払うため、秘密裏に【薩長同盟】を締結。
朝廷工作をして【倒幕の密勅】を出させました。
いわば、かつて親しくしていた相手にとどめを刺すべく、動いたようなものです。
結果、幕末の水戸藩は、坂道を転げ墜ちるように、悲惨な方向へ。
薩長土肥からも外され、幕末は藩内で東西両軍どちらかにつくかで割れてしまい、悲惨な内戦に陥ります。
幕末期、薩摩藩と結び、国学をリードした水戸藩。
いくつかの問題はあったものの、将軍慶喜まで輩出した水戸藩。
しかし、維新が終わってみれば、呆気なく失墜してしまうのです。
熱愛から、憎悪へ――。
これぞまさしく、幕末薩摩と水戸の関係です。
と、水戸藩目線から見ればそうなりますが、薩摩藩としても困惑はあることでしょう。
「そげんこっ言われたなか!」
水戸藩は【天狗党の乱】といった内紛を繰り返し自滅、人材が枯渇したからこそ、明治政府に入り込めなかったとも言えるのです。
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それに薩摩側には怒るだけの理由もあります。
なにせ水戸藩生まれの徳川慶喜は、さんざん政治的詐術で薩摩藩を主導する島津久光を翻弄しました。
尾形と徳川慶喜。鯉登と島津久光。こうして対比させますと、興味深いものがある。水戸は薩摩を小馬鹿にするけれども、どっこい薩摩はなかなか賢い。
尾形もこうならないことを祈るばかりです。慶喜と違って彼に無血の解決はありえません。
さあ、果たして……。
母に殺鼠剤 父に割腹自殺
尾形百之助「親殺しってのは……巣立ちのための通過儀礼だぜ」
コミックス6巻59話より
尾形両親の関係は、西郷隆盛や大久保利通と、水戸藩の豪農であった相楽総三をも彷彿とさせます。
相楽は、西郷と大久保らの要請に応じて江戸でテロを起こし、幕府を挑発。
その後、年貢半減令を出しながら進軍します。
しかし、年貢半減は無理だと悟った西軍は、相楽を偽官軍扱いして斬首したのです。
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薩摩出身男性の言葉を信じて突き進み、破滅した相楽の姿。その姿は、誰かを彷彿とさせませんか?
そう、尾形の母です。
浅草芸者であった尾形の母に、ぞっこん惚れた花沢幸次郎。二人は恋に落ち、尾形百之助が母の腹に宿ることになります。
しかし花沢は、軍人としての世間体を重んじます。
縁談が迫ると、あっさり尾形母子を捨て、他の女性(花沢勇作の母)と結婚したのです。
尾形の母は、愛した相手に捨てられたことで精神が錯乱してしまいます。
まだ幼かった尾形は、母を毒殺すれば父が看取りに来るだろうと考え、母に殺鼠剤を飲ませました。
そして、母は苦しみ亡くなりました。
冷たい父は、それでも母の最期を看取ることはなかった……。
明治維新では、水戸藩は酷い目に遭う一方です。
しかし尾形は、その通りの歴史を歩むことを拒否します。
尾形は日露戦争の最中、異父弟の勇作を射殺。そして戦争後、父までも自刃に見せかけて腹部を切り裂き、殺害するのです。
その背後にいたのは、鶴見でした。
幕末の水戸と薩摩の関係を反転させたとみるか?
水戸藩の薩摩藩への復讐とみるか?
しかも新潟の鶴見まで、一枚噛んでいるのですから、業が深いです。
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