三好義継/wikipediaより引用

信長公記 三好家

信長が滅ぼし復活させた三好家「見事だった義継の散り際」信長公記103話

今回が『信長公記』巻六では最後の話です。

天正元年(1573年)11月4日、信長は上洛し、二条の妙覚寺に宿泊しました。

今回の上洛は、若江城(東大阪市)にいる三好義継との決着をつけるため。
京都から追放された足利義昭を義継が匿っていたこと、反織田の姿勢をとっていたことなどが理由でした。

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義昭はこれを知って、わずかな供を連れて堺へ逃げてしまうのですが……。

しかし、義継と義昭は義兄弟(義継の娘が義昭の姉妹)であり、今後、縁戚を理由として【足利―三好】と連携されたら面倒ですので、やはり義継攻めは避けられなかったのでしょう。

むろん三好家でも、信長と敵対して、いつまでものんきには構えてはいられません。
なにせ【延暦寺焼き討ち】や【浅井・朝倉討伐】の後ですから、信長が手心を加えない方針を取ることも知れ渡っている頃です。

 


若江三人衆が佐久間を引き入れ

三好家には”若江三人衆”と呼ばれる、三人の家老がいます。

・多羅尾右近
・池田教正
・野間康久

彼らは
「信長と下手に対立するよりも、頭を下げて従ったほうがいいのではないか?」
と考えており、義継にもそれを勧めていました。

しかし義継はこれを拒否。
三人衆の代わりに金山信貞という者を厚遇し始めます。

当然、三人衆は面白くありません。

「お家存続を思って献言したのに、取り付く島もないのでは義継様をお支え意味も薄い」

そう考え、義継を滅ぼす方向に舵を切ってしまうのです。

三人衆は信貞を追い詰めて切腹させると、その足で信長の筆頭家老である佐久間信盛の軍勢を引き入れました。

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妻子を自ら刺殺 自身は打って出る

当然、侵攻はスムーズに進みました。
佐久間勢が天守のすぐ下まで攻めかかり、義継は覚悟を決めます。

妻子を自ら刺殺し、自身は打って出たのです。

死に花を咲かせようとしてか。
このときの義継は相当暴れたそうです。

佐久間勢の多くの者に傷を負わせた後、自ら腹を切り、見事な最期を遂げました。ただの切腹ではなく「腹を十文字に切った」ともいわれていますね。
11月16日のことです。

どうせ切腹するのならば、暴れなくてもいい気がしてしまいますが……そこは戦国武将の意地ですし、生き残った親類縁者にとっては有利な材料になったりします。

例えば真田信繁(真田幸村)。
大坂の陣における活躍は武士の栄誉として最高のものであり、幸村が託した娘は、その後、伊達家の片倉重綱(片倉重長)に嫁ぎ、仙台真田氏として復興を遂げました。

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あるいは『麒麟がくる』で注目されるであろう「悪右衛門」こと赤井直正も、息子の赤井忠家が明智光秀に攻められ、最後に突撃――。

その雄姿が評価されたのか。豊臣秀吉や、徳川家康のもとで旗本として家をつないでおります。

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義継の妹一族に三好の名を継がせ

三好義継の最期については、著者の太田牛一も
「比類なき働きだったが、哀れな有様だった」
と同情しています。

また、義継の後を追って、那須久右衛門・岡飛騨守・江川某(なにがし)という三人の家臣が殉死した、とも『信長公記』に書かれています。
無名に等しい者の名を書き残しているのは、牛一の武士の情けだったのでしょうか。

義継が自らの手で子供たちも殺してしまったため、戦国大名・三好家はこれでいったんは滅亡しました。

息子が二人逃げ延びたという説もありますが、真偽の程は不明。
義継の妹が三人衆の一人・多羅尾右近に嫁いでおり、信長は彼らの息子に三好家の名跡を継がせています。

こちらの系統は紆余曲折あった後、広島藩に召し抱えられて存続しました。

主のいなくなった若江城は、佐久間勢を引き入れた三人に預けることにし、12月2日に信長は岐阜へ帰還。
この年に関する信長公記の記述も、この話で終わりです。

巻七は今現在も評価が分かれる、強烈なエピソードから始まります。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link


 



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