今回の『信長公記』解説は、天正七年(1579年)9月の出来事。
播磨方面の戦況に関するお話です。
その前話は有岡城に籠もっていた荒木村重の話でしたので、今回はさらに西方面で毛利攻略を進めていた羽柴秀吉の報告になります。
内容は、謀将として現代でもよく知られる宇喜多直家についてです。
宇喜多との和睦を勝手に決めた秀吉
それは天正七年(1579年)9月4日のことでした。
中国地方の毛利攻略を担当していた羽柴秀吉が安土に戻り、織田信長へ次のように報告しました。
「備前の宇喜多直家が降参してきたので、受け入れました。その件に関する朱印状を出していただけませんか」
この申し出を読まれた皆さま、ちょっと違和感ありませんか?
そんな大事なことを勝手に決めてよいんか、秀吉ぃ……。
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と不安に思ったら、やはり織田信長は激怒でした。
「事前にワシの意見を聞かないとは何事か! けしからん!」
敵勢力との交渉を勝手にまとめるなど言語道断だとして、秀吉を追い返します。
宇喜多直家といえば、暗殺を得意とする大名です。
油断も隙もなく、たとえ「降参します」と言ってきても、そのまま信じていい相手ともいえません。
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そのあたりも加味しての叱責だったのでしょう。
秀吉としては大物を引き入れた功績を褒められると思っていたでしょうから、追い返されたとなると非常にバツが悪い話です。
なんとかして手柄を上げ、少しでも失態を穴埋めしたいところ。
そのチャンスは早くもやってきました。
三木城への兵糧運搬を阻止せよ
それから約1週間後、9月10日のことです。
播磨方面の敵である「御番城(ごちゃく)・曽禰城(そね)・衣笠城(きぬがさ)」の三城が、秀吉が包囲中の三木城へ兵糧を運び込もうとしました。
三木城にこもっていたのは別所長治ですね。
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彼ら別所軍も、命懸けで兵糧を運んでくれようとする彼らを手助けしようとしたのでしょう。
織田軍へ向かって出撃すると、谷衛好(たにもりよし)の陣地を攻撃。
そのまま衛好が討死という事態に陥ります。
動きを察知した秀吉も、すかさず応戦し
「別所氏の武将や、安芸・紀伊の者と思われる数十人を討ち取った」
とあります。
勝敗についてはハッキリと記されていませんが、織田軍が優勢だったのでしょう。
戦功を報告する
三木城の合戦について『信長公記』には「安芸・紀伊の人間が混じっていた」と記されています。
おそらくこのときの敵方に、毛利・本願寺の援軍が参加していたのでしょう。
一方、ほぼ同時期の9月11日、信長が勢田まわりの陸路で上洛しました。
播磨方面での秀吉の戦については、途中の逢坂で報告を受けたとか。
逢坂は古来より山城と近江の国境地点でもありましたので、秀吉からの使者がここを通ろうとしていたところに、信長も来合わせたのでしょうか。
信長は『秀吉が先日の叱責を気にして、手柄を上げて埋め合わせようとしたのだろう』と考えたようです。
そして秀吉に対し
「三木城の決着がつくまで、油断なく努力せよ」
と、激励する書状を送りました。
失態をいつまでも引きずらず、褒めるところがあれば即座に書状や口頭で述べる――このへんが信長の魅力かもしれませんね。
関東は後北条氏から鷹の献上
信長が上洛している最中のことでした。
相模の大名・北条氏政の弟である北条氏照が、信長へ鷹を三羽献上してきたそうです。
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東北の大名よりも関東の大名のほうが後だった、という点は少々興味深いですね。
次は9月12日。
伊丹へ出陣した信忠の行動が書かれています。
伊丹に在陣中だった織田軍のうち半分を率いて、尼崎へ向かい、拠点とするための砦を2つ築きました。
ここも長期戦になると考えたのでしょう。
そして塩河長満・高山右近を一隊、中川清秀・福留秀勝・山岡景佐を一隊に編制し、彼らをそれぞれの砦に配置。
終わった後は、他の者を連れて小屋野まで戻っています。
村重は伊丹から尼崎へ逃げましたが、伊丹には荒木氏の家臣や妻子などが多く残っていたため、どちらも予断を許さない状況だったからだと思われます。
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【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)





