京都とパリを経て、血洗島へ。いよいよ栄一が実家に帰ります。
思えば前回はたくさん人が死にました。
その余韻は……というところで家康が登場。もう江戸時代ではないですし、ナレーションでよい気がしないでもありません。
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長七郎と脳内で再会
栄一は帰宅直前に尾高長七郎と語り合う夢を見ました。
本作は夢やオカルトが好きなスピリチュアル作品ですね。思えば血洗島では「蚕が踊っていた」こともありました。
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変わり果てた日本にやりきれない思いを栄一は語ります。
「なんと多くの命が奪われたんだ」
そう平九郎の死を嘆いています。
「俺は一体なんなんだ!」
倒幕を目指していたのに幕臣になってしまい、そして幕府が倒された。恩人は死んだ、主君もいない。俺はこれからどうすればいいんだ?
栄一の人生そのものよりも、そんな迷走を9月まで進めたこのドラマはなんなんだろう……という疑問が生じます。悔しいのは私も同じ。一体何を描きたい作品なのでしょうか。
ここでスピリチュアルなお告げをする長七郎。
「前を向け。俺たちが怒っていた世の中は変わった! この先こそ、お前の励みどころだ! 生きていればやることがある!」
全くその通りだとは思います。
渋沢栄一の伝記でも、明治時代からの比率が圧倒的に多い。くどいですが、渋沢栄一主役説もあった1980年の大河ドラマ『獅子の時代』は第一回がパリ万博でした。
なのに9月になっても明治維新をやっている本作はどうしたことでしょう。根本的なところで何かがおかしいので、さすがに何度も指摘せざるを得ません。
ほぼ初対面の父親に会い
栄一たちが血洗島村に着くと父・市郎右衛門や千代が出迎える用意をしていました。
こんなホームドラマをするなら、幕末動乱の説明が欲しいところですが、それができない諸事情でもあるのかもしれません。
まぁ、それよりもお涙シーンを出したいのでしょう。
思ったことをそのまま口にして感動する栄一。
我が子うたを抱き上げて喜ぶ栄一……って、お子様のいるご家庭なら違和感を抱かれたでしょう。
たとえ血の繋がりがあっても、生まれてから顔も見ていない父は、幼い子にとって「他人」です。
予告編でも使うくらい定番の名場面にしたいのかもしれませんが、見知らぬおっさんにいきなり抱きつかれたら、子供にとっては恐怖でしかありません。
ゆえに顔が引き攣ったり、怯えている反応がリアルです。
もちろん、父親からすればやっと会えた我が子に怯えられるのは辛く、物語の作り手にしても盛り上げたい場面です。
ゆえにかつてのフィクションでも抱き合って喜ぶことが定番だったりもしましたが、最近は変化しつつあるように感じます。
例えば戦争もののフィクションでは、我が子と再会する親の反応で、作り手の意識がわかります。
近年のNHKですと2019年の朝ドラ『なつぞら』では、戦地から帰還した父に出会ったきょうだいの中で、一番下の子は怯えていました。
うたも少しだけ怯えたかのようには見えましたが、即座に初対面の父を受け入れ、ほのぼのとしたハグでしたね。こうしたことからも本作のスタンスが垣間見えてきます。
平九郎が亡くなったのは兄さまのせい!
自宅の前では、母・ゑい、妹・てい、姉・なかたちが、あらたまって頭を下げておりました。
おじさんおばさんもやって来て、わきあいあいとしていたところで、ていが不満をぶつけてきます。
「兄さまが平九郎さんを見立て養子なんかにしなければ、平九郎さんは村で普通に暮らしていたのに!」
確かにその通りです。
そもそも栄一が幕臣になった経緯も結構ヒドい。
村を飛び出し、当時流行していた水戸学由来の尊王攘夷に被れ、テロ計画未遂犯としてにっちもさっちもいかなくなり、平岡円四郎に庇われた。
行き当たりばったりで行動した兄のせいで最悪の結果になったといえばその通りです。
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ただし、ていも幕末の女性としては随分と甘いことを言っているとは思います。
妹に責められた栄一は、尾高家に謝罪に行こうとします。
ここで長七郎の死が語られました。あのスピリチュアルな夢が繋がってくるわけですね。
そして宴会の場面へ。考証的な疑問が色々と湧いてくるシーンですが、それより何より、なぜ戊辰戦争という見せ場を削って、宴会とか鉄道トークで時間を潰すのでしょうか。
栄一にスポットが当てられ、次こそ何かあるのか!と思ったらフランストーク。しかもその内容が取り立てて興味を惹かれるものでもなく……。
いやいや平九郎の死は千代のせい?
このあと、栄一は千代と話し合うことになります。ようやく話せると言います。
千代がボソボソと暗い声で戦況を語るのですが、流石に聞き取りにくいのでどうにかして欲しいところではありました。それこそナレーションででも使ったほうがよいのではないかと不安を覚えます。
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平九郎の死を悔やむ千代。
「私のせいです……」
彼女は弟・平九郎に武士になったからには忠義を尽くすよう教えていました。だから平九郎は死んでしまった、自分のせいだと栄一に詫びます。
栄一は「自分が悪い」とフォローする。というか、やはり栄一の責任でしょう。
それでも千代は泣きます。
栄一、それに慶喜にもそういう傾向を感じるのですが、本作はともかく主人公周辺が責任回避をしがち。
平九郎の死については、妹ていが栄一を糾弾した理屈でおかしくなく、千代の謝罪はむしろ栄一を強引に免罪しているようにも見える。
それに栄一は、女遊びについて千夜に謝ることが大量にあるはずです。史実の彼はパリから妾を呼び寄せようとすらしていました。
そうした都合の悪いところは削って、イケメンが美女にバックハグ。「おまえら、こんなん見たいんやろ」と作り手がニヤニヤしている顔が浮かんできて、どんよりとした気分に……。
今週はBGMも過剰です。演出が手詰まりになった作品にありがちな展開で、41話の最終回まで残り15回、その傾向が強まりそうな予感もしています。
土方の軍服はサイズ合ってます?
栄一は墓参りへ。その後、よしと箱館戦争の話になりました。
箱館戦争の見立てがあまりに甘いだけでなく、所作指導も全体的に緩慢な印象で、時代劇らしさが徐々に薄れていません? 私が3週間ぶりに見たせいでしょうか。
いずれにしても不安は募るばかりで、例えばよしが「私もしっかりしねえと!」と無理矢理笑うところも妙で、こういう女性が歯を見せて笑うことは、はしたないとされたものです。
このあと箱館戦争へ。
土方の衣装寸法がやはり緩くて辛い。ストック衣装を使い回しているのでしょうが、シルエットをもっと綺麗にして欲しい。
軍服は、どんなイケメンだろうとシルエットが甘いとよろしくありません。見ていて悲しくなってくる。
場面変わって栄一は尾高惇忠と再会しました。
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避けようとする惇忠を呼び止める栄一。
戦で死ぬこともできず、忠誠を尽くすこともできなかった……誰に会わせる顔もない。そう嘆いています。
栄一は今となっては武士となったのは道を誤ったと言い始めます。
パリでやっとわかった。武器で戦わず、商売をし、畑を耕すんだ! それが俺の戦い方だったんだ!
そしてまたスピリチュアルな雰囲気になって、きれいにまとめるのですが、これってどうなんでしょうね。
お花畑があざとく、しつこい気がします。栄一も精神的成長をしていないという感じでしょうか。あれだけ色んなことを経験してきて、得た教訓が中学生の学級目標みたいなもので虚しい。
それと、本作の「商人は戦争しないんだ! 栄一は平和主義者!」という刷り込みは、歴史認識において有害に感じます。
近代の戦争は、拡大する資本主義が根底にある。その結果が帝国主義であり、二度の世界大戦はエゴの激突でした。
それが世界史を学ぶ上での基礎であるはずなのに、なぜ本作は渋沢栄一をやたらと平和主義者にしたいのでしょうか。
自分が間違っていた――というスタンスを取り入れたって、主人公を毀損することにはならず、むしろ反省から学びがあったほうが人格者にも見えるような気もします。
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