延応2年(1240年)1月24日は北条時房の命日です。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で一気に有名になった方ですね。
名前を聞いただけではすぐに思い出せない方も、次の言葉を目にすれば、思わず微笑んでしまうのではないでしょうか。
トキューサ――蹴鞠の技を通じて後鳥羽上皇と心を通わせ、最終的にはあだ名で呼ばれるようになった、北条義時の弟です。
ドラマでは瀬戸康史さんが愛嬌のある役を演じられていましたが、果たして史実のトキューサは如何にして兄を補佐して北条家を支えたのか?
当初は北条時連と名乗っていた北条時房の生涯を振り返ってみましょう。
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義時と政範に挟まれた北条時房
北条時房は、北条家でどんなポジションにいたのか?
父の北条時政に子が多すぎるため、なかなか混乱するところだったりします。
まずは男子だけ並べてみましょう。
すぐに戦死してしまった長男の北条宗時と主人公の北条義時、そして二人の間にいる北条政子。
『鎌倉殿の13人』での彼らは、母が同じ設定とされています(史実の政子母は諸説あり)。
伊東祐親の娘であり、八重の姉ですね。
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本稿の主人公である北条時房の母は不明です。
時房にとって問題なのは、その下に生まれた四男の北条政範が、宮沢りえさん演じるりく(牧の方)の息子であり、そのためドラマでも北条家の跡取りとして猛プッシュされていたことでしょう。
幼い頃から非常に微妙なポジションだったと言えます。
初陣は15才で奥州合戦
そんな北条時房の生まれは、安元元年(1175年)。
『鎌倉殿の13人』では、源頼朝が北条家に匿われた頃にあたります。
ドラマの初回放送で乳母に抱かれていた北条家の赤ん坊が登場しましたが、あの子が時房ですね。
父の北条時政は、そんな赤子が生まれたばかりなのに、若い妻(りく)を京都から連れてきたため、義時や政子らに呆れられていました。
あの赤ん坊が成人して時房となり、ドラマの第21回放送に出てきました。
史実の時房は元服後の文治5年(1189年)、義経の逃亡に端を発した【奥州合戦】で初陣を飾ります。
このとき数えで15才。
【十三人の合議制】の中で北条義時だけが一世代若いと指摘されますが、時房はその義時よりもさらに一世代若く、源平合戦こと【治承・寿永の乱】を経験していない世代です。
大きな戦乱は収まっていく時代ですので、現代から見れば幸せ……と、ならないのは前述の説明通り。
兄・義時は江間家の跡取りになった。
北条の後継者は母の身分からして、弟になるようだ。
俺はどうするのか?
そんな迷いはあったことでしょう。
『鎌倉殿の13人』の劇中で三浦義村は、自分の人生は三浦の嫡男で決まっていツマラナイと語っていました。
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一方で時房だけでなく兄の義時も先々どうなることか、曖昧な門出の二人。
時代が動き始めたのは奥州合戦から約10年後の建久10年(1199年)のことです。
この年の正月、源頼朝が急死しました。
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北条と比企の争いを生き抜く
頼朝が亡くなり、跡を継いだのは政子との間の息子・源頼家でした。
このとき18才で、叔父にあたる北条時房は24才。
二人は歳が近く、母や叔父(義時)よりも時房の方が話しやすく頼りになる存在だったでしょう。
実際、時房は蹴鞠の腕も買われ、頼家の側近を務めていました。
ドラマ序盤では、義時世代の武士たちが「狩猟」を娯楽とするシーンがありましたが、時房や頼家などの下の世代は京の影響を受け、坂東の文化も様変わりしつつあったのです。
しかし頼家の母である北条政子、叔父である北条義時からすると、彼らはあまりに幼く若く思えた。
ゆえに政子の主導で【十三人の合議制】による政治システムが整えられ、同時にそれは別の問題も生み出しました。
一言でいえば権力闘争ですね。
将軍は頼家であり、その統治においては、乳母を務めた比企一族が台頭。
結果、北条と比企の間で争いが生じてしまい、血で血を洗う凄惨な事態へ発展してゆきます。
源平合戦のような大乱こそ起きてはいませんが、それよりもっとドロドロした身内争いが激化していったのです。
◆北条vs比企
このとき時房はどうしたか?
彼自身は頼家の側近であり、同輩にあたる比企一門とも付き合いがありました。
ゆえに比企サイドに流れるかと思いきや、そもそもの生まれである北条氏の中で行動するうちに、比企との関係を解消せざるを得なくなります。
兄・義時は、比企氏出身である正室・姫の前と離縁。
時房も比企氏の友人たちと苦い別れを経験したことでしょう。
そして何より、甥であり主君でもあった頼家が、暗殺されるという最悪の結末を迎えます。
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結果、時房の姉である阿波局が乳母を務め、北条一族が推してきた源実朝が新たな鎌倉殿となります。
その様を見つめる時房の内心は、複雑なものがあったでしょう。
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