鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第22回「義時の生きる道」

秋に八重が命を落とし、鎌倉には冬が到来。

ひらひらと雪が降る中、義時は天罰だと悩んでいます。

そんな風に考えるなと励ます三浦義村に、義時が縋るように問い掛ける。

「何か言ってなかったか? 八重は最後に何か」

「そういえば、いま思うと八重さん、あの日気になることを……」

義村が回想する八重は、ニッコリと微笑んでいました。

「私はちっとも悔んでいません。十分楽しかったし、私はとっても満足」

「八重がそう言ったのだな」

そう聞き返す義時。

「あの日は肌寒く、川遊びは思うようにできなかったが、子供たちは楽しそうだった。八重さんが言ってたのはそのことかもしれないし」

「そうではないと思いたい」

義時は泣かない、叫ばない、ただ目に涙を溜める、声も沈んでいます。

義時は、息子の金剛に寄り添い、こう語りかけます。

「よいか金剛、鶴丸を恨んではならん。鶴丸を憎む暇があるのなら、その分、母を敬え。母のしてきたことを思い出すのだ。父がお前を育てあげてみせる」

金剛は父の言葉にうなずくのでした。

 


上洛する 命令じゃ!

日本中が源氏の名の下に平定されました。

その途中、多くの別れもありながら、頼朝はいよいよ上洛実現を目指します。

冬は過ぎ、春がきて、義時の家にいる子供たちが歌い、はしゃいでいる。

そこへ頼朝が来ました。

子供もすっかりリラックスしているのか、頼朝に声をかけられても応じています。よかったですね。

そして頼朝は「久方ぶりじゃ!」と声をかけるわけです。妻の死で塞ぎ込んでいたせいか、義時は主君とも顔を合わせなかったんですね。

頼朝は10月に出立、上洛するから一緒に来るよう義時に告げます。

しかし……。

「お役に立てるとは思えませぬ。あの子たちを育てていくのが八重への供養になると思いまして。それで手一杯でございます」

「京都の景色を見れば気も晴れる。これは命令じゃ!」

そう言い切る頼朝。この態度から、義時の重要性も見えてきますね。

亀騒動のとき怒って伊豆に引っ込んだのは時政でした。今度は義時が引っ込んでしまい、それを頼朝自ら引っ張り出しに来ています。

重要性が上がったのか、それとも義弟への愛ゆえか。

 


頼朝と後白河の対面

建久元年(1190年)11月9日――大軍を率いて源頼朝が上洛、後白河法皇の御所を訪ねました。

一行の中には、どこか得意げな大江広元の姿もあり。

後白河法皇と二人きりの対面となった頼朝ですが、かつては夢枕に立つ後白河に怯えていたものです。

それがここまで辿り着きました。

「大軍を連れてきたものじゃな。見せつけておるのなら大成功」

「ありがとうございます」

「奢った武士は皆滅んだ」

「確かに」

「我らを亡きものとするならばこの日本は治まらぬ。やれるものならやってみるがよい」

かなり強い言葉で挑発する後白河。

追い詰められているのか、何らかの策があるのか。

対する頼朝はこう答えます。

「新しい世のため朝廷は欠かせませぬ」

「新しい世?」

「戦のない世にござる」

武士である頼朝のセリフを白々しいと感じたか、後白河が思わず苦笑いです。

そして、より突っ込んだ前のめり姿勢になって頼朝に迫る。

「薄っぺらいことを申すのう。誰より業が深いくせに」

「命からがら逃げ回るのはもうまっぴら」

「我が身かわいさ……」

「戦がなくなり喜ばぬ者などはいません。ただし武士どもは別。あの者どもをおとなしくさせねばなりませぬ。ぜひともお力をお貸しいただきたい。私が欲しいのは……」

「朝廷が与える誉れ!」

「ついては我が娘を若き帝の后としていただきたく存じまする」

この流れは実に日本史らしい、独自で特有な会話です。

どのあたりが?というと、主に以下のような部分。

・【易姓革命】の否定

日本が手本としてきた中国では【易姓革命】――天意に叛いた王朝は滅び、別の姓の王朝に交替――しますが、日本にはありません。

・外戚排除を考えていない

中国では前漢の呂后が猛威を奮って以来、いかにして外戚の権力を削ぐのか考慮されてきました。

最も徹底していたのは北魏【子貴母死】――太子の母は殺す――という仕組みです。

日本に、そのような仕組みはありません。【摂関政治】は外戚の力を利用した構図でした。

日本では院政、つまり退位した上皇に権力を持たせることで、権威を分散させ、外戚の影響力を低くしようとしましたが、決定的な排除には至りません。

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日出ずる源氏と斜陽の摂関家

頼朝はこのあと、摂関家のトップである九条兼実と話します。

これまた実に面白い構図。斜陽の摂関家と、上りゆく源氏の対峙です。

「法皇様にお会いしてどう思った?」

「夢枕にあった通りのお方でした」

兼実がちょっと反応してしまいます。彼は信心深いので、夢や何やらを気にする。

「何かお約束いただいたか?」

「全国の守護を請け負うことをお許しいただきました」

「他には?」

頼朝はそう促され、思いのほかお年を召しておられると返します。

すると兼実は、このところ病がちでそう長くはないと推察。

その真意を探るかのように、何かあったときは共に手を携えていくと頼朝が訴えると、兼実も、わしとお前で帝を支えていくと言い切ります。

しかし最後にこうも付け加えた。

「断っておくが、わしの娘(九条任子)が帝の后となっておる。わしのほうが早かったのう」

兼実は有能で、策略もあり、そして人間らしいと思える。

麻呂眉に白塗りで高笑いをする。そんな『柳生一族の陰謀』に出てきた烏丸少将文麿のようなテンプレ公家描写ではありません。

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あれはあれで味がありますが、血の通った人間だとわかるこの兼実も実によい。

声がまたいい。気品と陰鬱さもある美声。

田中直樹さんの声なのですね。

 

「鎌倉殿を囲む席」

京都では、上洛に従ってきた北条義時、三浦義村、畠山重忠らが酒盛りをしていました。

例によって荒れ気味なのが和田義盛。せっかくの祝いなのに鎌倉殿が来ないと不満げです。

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なんでも「鎌倉殿を囲む席」だそうですが、頼朝は工藤祐経と共に歌会に参加だとか。

工藤もずいぶん気に入られたな、と義村が渋い顔をすると、都に通じていると重忠が説明します。

「ただの腰抜けじゃねえか」

と、吐き捨てる義村。こいつはそもそも頼朝を嫌っている気配がありますからね。

ちょっと違和感があるのは、大江広元もその場にいたことでしょう。義盛に「田舎者と飲んで楽しいのか」と聞かれると、珍しく心底嬉しそうに語り始めます。

頭の固い都の連中を見限って鎌倉に来た。それがこうしてリベンジを果たすように上洛できた。坂東の勇者のおかげだとホクホク顔です。

広元は学業が優秀でしたが、身分が悲しいことに低かった。

自分より出来の悪いボンボン上級貴族に負け、ハッキリ言ってイライラしていた。九条兼実も元上司ですね。そりゃ嬉しくもなりますわ。

そして義盛は、小四郎の再婚相手を勝手に探しているときた。なんなんだよ……。

いや、それよりツッコミたいのは義村のこのセリフでしょう。

「女子を失った深い穴を埋めるのは、女子しかない」

おいおーい。川に入って鶴丸だけ助けて、八重を忘れて一息ついていた義村。

考えようによっては、義村の迂闊さが八重の死に繋がったと言える。この人は用意周到なようで雑なところもありますから。

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義時がそこを恨みに思っていたら、絶縁ものかもしれません。けれども義村はこういう奴だし、幼馴染だから、義時は盟友だと思っている。

義村は大変魅力的で人気があるけれども、難ありの性格です。こういう人物なのに人気があると、個人的には嬉しく思います。そばに居たら仲良くできるかどうかは別として。

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