今週は、阿月の死から。
死ぬ間際に彼女一人が訴えたところで、なぜ撤退すべきだと判断できたのか。
しかも息絶え絶えで、やっと短い言葉を発するだけ。あの程度のセリフで全軍を動かすような重大判断をできるとも思えません。
もしも自分が総大将だったら、そこで撤退を決断できるでしょうか。要は、阿月はウケ狙いのために死んだのでは?
金ヶ崎の退き口がどんな戦いだったかも不明でした。
『麒麟がくる』では、撤退戦に挑む秀吉の覚悟や、戦後処理でその厳しさが十分に伝わってきましたが、本作はおちゃらけナレーションで終了。
秀吉はゲスい。信長はパワハラ気質。家康は相変わらず弱々しい雑魚でしかない。
いったい三英傑とは何だったのでしょう。
『麒麟がくる』では、金ヶ崎で三英傑と光秀の個性をきっちり見られました。今年はこの四人が全員このまんまのキャラだと、なんとも悲しみが湧いてきます。
そんな明智光秀は突っ立ったまま、家康にまた出陣するよう脅してきました。
膝行(しっこう)のような所作指導ができていたら良かったのになぁ。家康も、特に確固たる意思も表明できず「そろそろ家に戻りたいカナ」みたいなことしか言えません。
そんな相手に顔を近づけ、パワハラで脅すしかできない信長、
「乱世を終わらせるのは、誰じゃ」
耳を噛む信長。このご時世に、何を考えているのでしょう。
そして魔法のアイテム「コンフェイト」も出てきます。出てきたところで意味がわからん……と思ったら、これで家康のやる気を引き出したようで。
数粒の金平糖で動く戦国大名が「はじめてのおつかい」と化しています。
あらすじ:おじさん構文バージョン
阿月チャン、死んじゃった_:(´ཀ`」 ∠): これで、泣かない奴とか、人の、心が、あるのカナwww
さて、そんな、カワイコちゃんの死から始まる15回^_^、
オイラは、中学の時、好きだった、陸上部の女の子を思い出してドキドキ( ´∀`) どうせなら、ブルマで、激走すれば、もっとムフフだったネ♪( ´▽`)
さて、そんな、神の君は、秀吉とともにに、命からがら、金ヶ崎で、撤退の激戦を、生き延びちゃったんだ( ´∀`)
瀬名チャンと、イチャイチャしたいのに、ブラック上司の、信長ってば、ドS攻めwww そんな信長から浅井・朝倉討伐の先陣を申し付けられちゃう!_:(´ཀ`」 ∠):
そんなとき、なんと、長政チャンから、「ともに信長を討ち取ろう」って呼びかける密書が!( ^ω^ )
姉川を挟んで、両軍が向き合って、たいへん!Σ('◉⌓◉’)家康チャンは、信長と、長政、どちらを選べばいいのォ〜〜〜!♪( ´▽`)
ドキドキしてたら、信長から、家康陣へ、銃弾が撃ち込まれちゃった( ´ ▽ ` )
ビックリダネ♪(´ε` )
どうするコンフェイト
コンフェイトがしつこいですね。
何か他に材料はないのでしょうか。ほぼ、これだけで歴史が動いている印象すらあります。
このドラマは一点突破しようとする傾向が強い。
『花燃ゆ』という大河がありました。
あれは吉田松陰の妹が“おにぎりを松下村塾生に作る”というコンセプトが突っ込まれました。
そこでこんな擁護が出てきたらどう思います? 実際には、私が見る限りはありませんでしたが。
「おにぎりは日本人にとって定番の携行食ですよ。幕末の萩におにぎりが存在しないとでも思っているんですか?w」
いや、そうでなくて、松下村塾はおにぎりよりもっと描くことがあるだろ!ということです。
有毒のフグを食べるかどうかという問答の方がまだしもマシ(実際、そういう議論をしていたそうです)。
そういう必要性の問題であり、
「コンフェイトは当時高級だったんですよw」
という趣旨の話ではありません。
本作からは、論点をずらして勝ち誇る、2000年代以来の「論破www」という手法が浮かんできます。
どうする織田の軍勢
軍議の場で、信長の横に秀吉がいて、ヘラヘラ話しているだけ。
そこで、ふと思ったのですが、このドラマって織田の家臣が少なくありませんか?
後にお市と関わる柴田 勝家だけ出しとけばいい、あとは雑魚www という判断でしょうか。
本当にダメなソーシャルゲームのようだ。
2020年代にもなって、PC8801時代のゲームみたいなスカスカ感が漂っています。
どうする合戦
もう突っ込むのも嫌なのですが、本作は「レアカードさえ揃えれば勝てるんじゃねwww」というノリなんですよね。
兵糧の輸送とか。付け城を作るとか。戦の準備における重要な要素は全く出てこない。
合戦というより運動会ではありませんか。
どおりで戦死者のことを考えていないわけだ。
わざとらしく屍が転がっているけれど、それだけ。
誰かが死んで祟りが怖いとか。死体埋葬の手間がかかるとか。悲しいとか。
そういう感情表現が全くないから、戦の虚しさとか悲惨さが伝わってきません。
どうする乳母のいない戦国
お市が我が子を抱いて立ちっぱなしって、どんだけコスパ重視なのでしょう。
阿月が死んだから仕方ないって?
なぜ乳母がいない?
大名夫人が子を抱きっぱなしで突っ立ったままで夫と話すって、おかしくありませんか。
どうするセキュリティ意識
織田か浅井かどっちにつくか、大声で激論する家康と家臣団――今週もセキュリティ意識が全く感じられません。
『鎌倉殿の13人』では、武士に忠誠心という概念がまだまだ遠く、趨勢に靡きやすい坂東武者が描かれていた。
それではまずいと感じた源頼朝は「これからは忠義の時代だ!」として、主君を裏切った者を厳罰に処したものです。
戦国時代もまだまだ、そういう意識は薄い。
そこで人質ですね。土壇場で裏切らないよう繋ぎとめておくシステムがあり、破った場合には相応のペナルティがある。
信長は割と裏切られる局面が多かった人物ですが、それにしたって、このドラマほどセキュリティ意識がないと、そうなるだろうとしか言えない。
カフェでノートPCを全開させ顧客データを眺めているような会社員ばかりと申しましょうか。
このCMを連想します。
◆カフェで大事な仕事すな! 情シスがPCを閉じて回るBOSSのCMがIT業界に刺さる(→link)
本作の舞台は、現代日本のカフェでなく、戦国日本の戦場ですからね。
緊迫感のない戦国時代を視聴者が求めているとも思えません。
この前の朝ドラでも、お好み焼き屋で会社の情報をベラベラ大声で話す連中が出てきて、朝から脱力感に襲われました。
で、その朝ドラが終わったと思ったら、こんなゆるんだ下着のゴムみたいな大河。
日本人にとっては大切であろう大河枠がこれでは哀しくなるばかりです。
どうする「義」
浅井長政が、信長に「義」はないと言っていました。
では、長政が言う「義」とは何を指すのか?
英語の「ジャスティス」とはまた別ものでしょう。
むろん、漢籍には詳しいはずの戦国大名ですから知ってはいると思うのですが、本作から感じる文意は何かがおかしい。
「長政くんは真面目だから」程度のノリに見えてしまう。
『麒麟がくる』は朱子学が根底にある大河ですので、仁義礼智信は明確でした。
光秀はそれを信長に教え込み、麒麟の到来をめざした。それが頓挫し、家康に望みを託しつつ、本能寺へと向かっていくわけです。
今年は、正義なんて、せいぜいが真面目くんのカッコつけ程度で、魅力的に見えません。
過去のフィクションから信長は“暴君”だと語られたりしますが、彼には彼なりの正義感なり、報いなり、意識していた。
天意――そういう概念を書き記している。それに背けば報いを受けると。
『麒麟がくる』は心理描写が丁寧でしたので、その中身と、光秀との関係性、信長の承認欲求をきっちりと描いていました。
しかし、それからわずか数年後に、私たちは耳噛みパワハラ信長を見せられているわけです。
どうする布陣図
歴史作品のお約束として、布陣図を眺めるシーンがでてきますよね。
今年はそれが落書きの上におはじきを載せているレベル。
信長の指示も無茶ぶりだろうけど、こんな雑なことで何かが成し遂げられるのでしょうか。
NHKの苦悩を想像してしまいます。
今の朝ドラは牧野富太郎をモチーフとした『らんまん』。あのドラマでは植物、標本、図面などなど……間違ってはいけない小道具がたくさん出てきます。
そっちに人材を持っていかれたのでは?と邪推したくなるほど。
今のところ『らんまん』は傑作の予感があり、秋にはドラマ10『大奥』シーズン2もあり、大河の人材が枯渇しても仕方ない……と思わないとやってられません。
どうするVFX
姉川の戦いでようやく大規模な戦闘が出てきたと思ったら、安っぽいVFXで肩透かしでした。
これでは今後も期待できないのでは?
関ヶ原の戦場でも“えびすくい”をやられたら、もう降参です。
どうする法螺貝と号令
法螺貝の使い方は、あれで正しいのでしょうか。
軍事ですからルールがあり、ボタン連打の感覚で鳴らせないはず。
指揮系統と連動しているのに、思いつきでグチャグチャにしていいわけがない。
このドラマは脚本の時点で、合戦に何の興味もないことが伝わってきます。
人間の集団はそうホイホイとは動けない。今だって大集団のイベントで群衆が雪崩を起こし、重大な事故が発生することがしばしばあります。
戦場となった現場でまったく指揮が取れず、乱れたままで混沌としている。そういうニュースだって見聞きする時代です。
このドラマの作り手は、戦国時代や歴史だけでなく、現実にすら興味がないように思えます。
まるで自分たちが楽しければいい、というような……それがハッキリしているのが、秀吉の描写でしょう。
本作の秀吉を「クズ」とみなす意見もありますが、あんなにわかりやすいクズであれば周囲に嫌われ、いずれ足を引っ張られるはず。いざという時、誰も味方をしてくれない。
真に恐ろしいのは、はたから見れば魅力的な人物なのに、腹に凄まじい猛毒を隠している人物でしょう。
ニコニコと笑顔で、家康に対しても極めて優しい。けれど、周囲の全員を蹴落としてでも、いつか自分だけが頂上に立とうとしているような秀吉。
私が怖いと思うのは、そういうタイプです。
だからこそでしょうか、本作の秀吉には何らリアリティを感じられません。
彼は今回の一斉射撃を指示する時でも、やる気がない声で「はなて」と言っていた。
セコいゲスさを演出したいのかもしれませんが、腹の底から声を出し、もっとわかりやすい指示を出さないと聞こえないのでは?
鉄砲の発射音を何だと思っているのでしょう。そういうリアリティも欠如しているから、まるで緊迫感のない画面になってしまっている。
どうする説明セリフ
以前も触れましたが、『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんは「三谷幸喜さんは説明セリフがないから素晴らしい」と褒めていました。
心情まで全て説明セリフの本作を見ているとよくわかります。
「あほたわけ信長!」
って、そんなこと叫びますかね?
信長と家康の間に揺るぎない強烈な信頼関係があり、何を言ってもいいような間柄で描いてきたのならまだわかりますが、浅井につくかどうか本気で悩む状況ではとてもそうとは思えません。
「あほたわけ」という表現がふさわしいかどうかではなく、思ったままのくだらない罵詈雑言を、いい歳した大人が、セキュリティ意識ゼロでぶちまけることの是非を問いたいわけです。
こんな台本を受け取った役者さんはどう思うのでしょう。
ページをめくってもめくっても、薄っぺらい言葉ばかりが並ぶなんて、想像するだけで辛くなってきます。
どうするメイク
舞台は戦国時代ですから、武将たちに疲労感があってもおかしくはない。
それにしても、役者さんの表情が冴えないように見えます。
目の下のクマが目立ち、顔色が悪く、精気がない……というのは私だけの印象ですかね。
前述のセリフの薄さからして、演じる方々に充実感がないのであれば、彼らのモチベーションが心配でなりません。
どうする殺陣
なぜ大河は年によって、こうもアクションに差が出てしまうのか。
2020年と2022年は当たりで、今年は外れ。
隔年でジグザグしていて、不思議でしかありません。
主人公が渋沢栄一ならまだわかります。しかし今年は徳川家康ですよ?
どうする帰陣
戦場から帰ってきたはずの浅井長政がさして汚れもせず、ずかずかあるいてきて、娘を抱くお市の元へ向かう。
まるで昭和のホームドラマで、戦国大名の帰宅シーンがこんなお粗末でよいのでしょうか。
土埃ひとつ無いような、きれいな陣羽織でした。
どうするお市
どうせ、阿月が死んだことは、みんな忘れているだろうと思っていました。
瀬名だって、親のことも、田鶴のことも、ろくに思い出したりしませんからね。家康も氏真なんてもう忘却の彼方でしょう。
案の定、お市もそうでした。
怪しげなアイメイクで、今度はいきなり長政に向かって、兄・信長を裏切れと言い出す。
あんな芝居がかった阿月との感動物語が、一瞬で消え去るような冷血ぶりではありませんか。
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またお市が信長“小豆袋”を送る…『豊臣兄弟!』でも繰り返されたありえない話
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このドラマには、誰一人として、まっとうな情愛を持ち合わせている者がいるように思えなくなってきます。
どうするわけのわからない武田家
信玄の剃髪が、メイクをしていると見え見えで辛い……。
そして、いつまで片手で茶碗を持って茶を飲むのでしょう。
誰も見ていないところで「ワイルドだぜぇ~!」と振る舞っているようで、まるで知性が感じられません。
信玄は母方に似て学究肌で、家臣が「学問はもういい加減にしてください!」と言ったという話もあるほど。
それがこんな、脳みそまで筋肉みたいな人物にされてしまって……毎度のように、ジャラジャラと金塊を掴むのは、何なんですか?
そして千代の前で、下品な茶の飲み方をする。
英雄である武田信玄をそんな風に貶められて辛いのです。
千代にしても「いかにもあやしいメイクですぅ」という雰囲気でしんどい。わざとらしくて見ているのが恥ずかしくなってくる。
しかも毎回同じ衣装を使い回し、ニタニタしているだけで情報報告の一つもしないじゃないですか。
織田家臣団もミニマムですが、本作の武田家は田舎の草野球チーム以下の迫力。いや、これしかメンバーがいなければ野球はできませんね。
どうする築山殿とのイチャラブ
こんなスイーツ恋愛脳の大河って、実は史上初では?
ただし、テンプレ通りというか、どこぞの恋愛ゲームといった趣で、相手への理解も愛情も感じられません。
『麒麟がくる』での信長と帰蝶は、信長がすっかり甘えていて、帰蝶もそのことが幸せで……そういう甘ったるさが、もう見ちゃいられないと思ったのだけれども。
今年はなんなんだろう。築山殿がどこぞの店でハイボールを出してくるお姉さんみたいだわ。
劇中での時間も結構な年月が経過したはずなのに、主役夫妻の発声が相変わらず幼く、歳を重ねた夫婦に見えない。
おっさんが好きな「かわいこちゃん」でしかない築山殿が、古いセンスのままで描かれていて気の毒です。
日本でも、最近の作品は、若手女優の発声がかなり低くなってきます。
特有のキンキン声は有名でしたが、ようやく時代に追いついたのでしょう。
しかし今年の大河は、ナレーションも出演者も、キンキン声ばかり。一体いつの時代のセンスなのでしょう。
どうする隠しきれないミソジニー
家康に対して憎々しげな接客をしていた老婆。
商売人がそんなことしますかね。まるで老婆をギャグ要員として考えているようで『いじわるばあさん』の時代かと思いました。
そしてその直後、無意味に踊る女とスケベな目で見る連中を見せる。
ババアとかわいこちゃんの対比がウケるwwwと制作サイドが考えているようで、頭を抱えたくなりました。
どうする刺客
踊っているのはただの美女?
残念、刺客でした!
しかも井伊直政(放送時点では井伊虎松)……って、これの何が面白いところなのか。
家康のセキュリティ意識がガバガバなことは認めます。
それにしたって刺客も本気で殺る気があるんですかね。
警戒感を与えず近づいて何も告げずに相手をぶっ刺す――『鎌倉殿の13人』の善児とトウの翌年にこのレベルでは、ドラマに入り込めないのも仕方ないでしょう。
それにしても板垣李光人さんは大河運が今ひとつというか、使われ方が勿体無いというか。
これだけの美形となれば、起用したくなる気持ちはわかります。
しかし、美貌だけで使われるのは、あまりに勿体無い。
これまた『鎌倉殿の13人』での市川染五郎さんと比較すると気の毒でなりません。
むろん、そんな使い方をしている制作サイドの問題ですが。
どうする愛情表現
家康と信長のブロマンスをしたい気持ちはわかりました。
しかし、このご時世です。よりにもよってハラスメント的に迫り、同意も何もないまま耳を噛んだり、辱めたり。
こんなものは愛情ではなく支配欲でしょう。
朝ドラ『らんまん』を見ていて、その差を痛感しました。
『らんまん』では主人公とお目付役が東京旅行をします。
主人公のお坊ちゃまと、お付きの竹雄という青年。
この万太郎おぼっちゃまは奔放な性格で、どこぞにいきなり走り出したりしてしまう。無頓着でわけのわからないこともする。
そんな万太郎に振り回され、呆れ、怒りつつも、結局、忠義と愛情が混ざり合ってしまう竹雄。
万太郎も竹雄の忠義に感謝しつつも、家業を捨てたい思いがあって、乱れてしまう。
そんな二人と比較すると『どうする家康』の信長と家康の関係性は何なのでしょう。
脅されて、もう嫌!
でも、なんだかんだで信長についていく。
そういう家康って、DVや洗脳から逃げ出せないだけに思えて、愛情も何も感じさせません。
イケメン二人の顔を近づければ視聴者が喜ぶとでも?
結局このドラマは、人の心情をまともに描く気がないのかもしれません。
戦場がしょぼいとか、歴史知識がおかしいとか、VFXが軽いとか、そういった問題以前に、もっと重要な人間の心情をどこかに置き忘れています。
どうするタイトル縛り
本作はタイトルの時点で失敗していたのでしょう。
「どうする!」
と、毎回オロオロする課題を消化するため、くだらない場面を入れねばならなくなった。
信長が家康の陣に鉄砲を撃ち込んだのは、関ヶ原の戦いでの小早川秀秋エピソードを前倒しにしたのでしょう。
しかし、その小早川秀秋にしたって、アタフタする情けないだけの像は古い。
肝心の人物像が古臭いまま、辻褄あわせに「どうする!」と入れてくる。
もう5月も直前で、何も成長していません。
視聴率そのものをとやかくツッコミませんが、数字も悪化していれば、スタッフのテンションも上がらないのでは?
ドラマ10『大奥』のほうが「大河だろ」と評判される始末では、余計にキツいかもしれません。
どうする戦国映画
今にして思うと、『どうする家康』への期待値は2022年が最高潮でした。
◆木村拓哉さんら出演「信長まつり」大規模通行規制 JR岐阜駅混雑、帰り客誘導(→link)
キムタクが来る!ということで、倍率が凄まじいことになった2022年の「ぎふ信長まつり」。
期待される大作映画『レジェンド&バタフライ』と同じ脚本家で、しかも戦国時代を扱う大河となれば、2023年はヒット間違いなしと期待が膨らんだものでした。
『鎌倉殿の13人』の盛り上がりも大河人気を後押ししていた。
それがどうにもおかしくなってきた。
盛り上がったのは「ぎふ信長まつり」だけで、肝心要の映画は大ゴケ。
数字だけでは測れないにせよ、本作は視聴率もふるわず、しかも新たな脅威がやってきます。
北野武監督による映画『首』です。
◆本能寺の変を描いた北野武監督の新作映画『首』が完成 「死を前にした男同士の関係をうまく描けたらと思った」(→link)
タイトルだけで緊迫感が伝わってくるこの作品が秋に公開されたら、大河なんてどうでもよくなってしまうのではないでしょうか。
普段は映画に行かないという戦国ファンも足を運びそうな予感がしていて、運にも見放されかけている。
主役に抜擢された松本潤さんが不憫でなりません。
箭は弦上に在れば、発せざるを得ず
箭は弦上に在れば、発せざるを得ず。『三国志演義』
そら、矢をつがえたら発射するしかないっすよ。
『三国志』の話をします。
群雄の一人に袁紹という人物がいて、その陣営には陳琳が。
彼は主君の命令を受け、袁紹の敵である曹操を罵倒する檄文を書きます。
それを読んだ曹操は激怒し、「陳琳、こいつは絶対殺すしかないわ!」と心に誓います。そして曹操が袁紹に勝利し、陳琳は捕まりました。
曹操は陳琳を連れてきて、その檄文を読ませます。
もうダメ、俺、死んだわ……そう思いつつ、檄文を読む陳琳。
曹操はここで聞きます。
「お前さぁ、俺を罵倒するのに祖父や父まで言わんでもいいよな。そもそも、なんでこんなもん書くかなあ?」
すると陳琳はこう言います。
「だって、そら、矢をつがえたら発射するしかないっすよ」
「ほーう……」
曹操は感心します。だよな、思えばコイツはクライアントの要求に応じただけだわ。
そうして彼を自分の陣営に加えたのです。下手な言い訳をしない陳琳、それを認める曹操というわけです。
一方で、曹操に敗れた袁紹は、自分に諫言するブレーンの田豊を疎んじていました。
曹操は袁紹が田豊の策を採用したら勝てなかったと後で振り返ったのです。
なぜ、こんな曹操と陳琳の話を?
実は最近、大河ドラマや朝ドラのファンダムが変わったと思う次第でして。
朝ドラの転機は2013年『あまちゃん』です。それまで親世代が見る真面目でつまらないもの、いかにも先生がおすすめしそうなイメージだったのに、この作品は何かが違うと。ドラマ通を自認する層こそが、SNS中心に盛り上がるようになった。
いわば、感想つまりは矢を放つことが競技になったのです。
矢――というのは、コンテンツを見て感じたこと。それをSNSなりブログなり、こうしてレビューに書くことです。
しかし日記帳に書いたり、せいぜい周囲と語るだけならばまだしも、こうもネットが発達すると状況は変わってきました。
矢をどう放つかだけでなく、矢の放ち方やら何やら、厄介なことになる。いわば競技になってきた。
コンテンツを純粋に鑑賞するのではない。鑑賞や批評の対象でもない。
わかりみ重視。ハッシュタグをつけて、リツイートやいいねをつけあって、盛り上がる手段となってしまった。
そうなると、もう小難しい批評だの分析はかえってこう言われる。
「そこまで考えてないっしょw」
「フツーの人は面白がって盛り上がって終わるのにw」
「考えすぎwww」
ネットニュースの見出しになるような、「ロス」「号泣」「ワロタw」と書き込んで、みんなワイワイすればいい。
大河もそうなったんですね。顕著になったのは『平清盛』あたりからですね。
歴史ファン、大河ファンは、月9のトレンディドラマで盛り上がる連中とは所詮わかりあえない。高尚で賢い……といえばいいけど、要するにマニアックで陰キャでめんどくさい。そういう自意識があったように思えます。
そういう層は人だかりの中心にはいない。城巡りに行ったり、御朱印を集めてきたような歴史ファンは「マニアww」「痛いw」と馬鹿にされてもまあ、仕方ないというか。月9好きとは趣味が違うと。
漢字ばかりの本を読んでいる、根暗で友達がいないヤツ……そりゃそうだけど、愛読書が司馬遼太郎で大河を見ていると言うと、大人から褒められるぞ。そういう感覚ですね。
それで別に不満はなかったはず。棲み分ければいいし、人は群れればいいってものでもないでしょう。
それが変わった。
矢を放ちあって、みんなで盛り上がってウェーイww と言い合えば、リア充の仲間入りができるようになった。
大河ファンは、もう隠キャじゃないw もうマジリア充www
そうなったら、そりゃ、ドラマ通のご意見やノリ重視になれますよ。歴史にこだわって、ああだこうだ言う大河ファンは痛い奴になった。
まぁ、私もその一人なのでしょう。
そういう古風な歴史好きを蹴っ飛ばしてでも、イマドキリア充を狙う――その帰結が『どうする家康』に思えてきます。
SNSが発達したんだ! 小難しい理屈抜きに、みんなでパーっと盛り上がればいい。
そう考えた本作のスタッフが、陰キャ歴史オタクや大河ファンだけでなく、一般人も取り込んで「わーっ!」と盛り上がれることをやろうとしたわけですね。
◆悩むトップ像で大河ドラマに風穴 制作統括が語る『どうする家康』の潜在力(→link)
このインタビューには本作が失敗する理由が、みっちりと詰まっていると思えます。
最初から最後まで、従来の大河好きなんて切り捨て、リア充を引き寄せたいとやる気満々でしょう。
それで勝手に「今の視聴者」像を想像し、標準を合わせたと先回りしているわけですが。
その「今の視聴者」というのは、SNSで取り上げられるハッシュタグを構成している層がどうしたって強くなるのでしょう。
特にこの制作統括は、ハッシュタグが威力を発揮した『平清盛』と同じ方なので、その傾向は一層強くなる。
しかし、そういういわば「ノイジーマイノリティ」を過大評価するのは危険ではありませんか。
『いだてん』が「最低だけど最高じゃんね!」と現実逃避したところで、失敗作という評価は覆せなかった。
確かにハッシュタグにざっと目を通し、それに迎合するような、ともかく褒めて褒めて褒めまくる感想を書けば、好かれるかもしれません……なんてことを私は思いません。
大河ファンだって、全作を絶賛するわけでもない。
『天地人』『江』『花燃ゆ』『西郷どん』には辛辣な方も多い。
構成員の男性比率が高く、ミソジニー気質のある場所では、『麒麟がくる』を素直に褒めてはいけない風潮がある。
駒を「バカw」だの「カスw」だの罵倒してから、上目遣いで「ま、あの麒麟ですらいいところはあった」とでも言い出すのがルールになっていると。
斯様にですね、褒めようが、貶そうが、ファンダムの独自ルールに背いた者は粛清されます。
大河ではなく朝ドラで、ある作品を好意的に書いていたところ、そのアンチにさんざん罵倒されました。
褒めようが、貶そうが、ドラマ通の意に背けばぶん殴られる。
旧知の知り合いでもないどころか、知らなかった相手から唐突な絶縁宣言をされる。
忍者のファンでもないようなのに、ルールの適用だけはまるで抜け忍始末みたいな世界観ですな。
そういうことを経験して、私は陳琳に倣い、己の思いのまま矢を放とうと思っただけのことです。
最後に、もう一度!
箭は弦上に在れば、発せざるを得ず。
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文:武者震之助(note)
【参考】
どうする家康/公式サイト









