お市の方/wikipediaより引用

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』お市はウロウロすな!大河ヒロインの瞬間移動問題

2023/08/05

8月5日に放送される大河ドラマ『どうする家康』の第30回放送は、なかなか印象的なシーンが予告編で流されています。

お市の南蛮装束です。

美麗なる北川景子さんの姿に、思わず見とれてしまう方は少なくないでしょうが、同時に「ウケ狙いもいい加減にしろ!」と怒りたくもなってくる。

なぜあんな格好をさせるのか。

これは本当に大河ドラマなのか。

そもそも彼女は、乳幼児を連れて家康へ会いに行ったり、フラッと堺へ出てきたり、あまりにも自身の立場から逸脱した行為が多く、過去大河の悪いところをかきあつめて凝縮したような印象があります。

一体どういうことなのか、説明して参りましょう。

 


大河ドラマで出しゃばるヒロイン

2023年8月6日に『どうする家康』の第30回が放送されます。

その予告編にあわせて、信長の南蛮装束で出ているお市役の北川景子さんはSNSにこんな書き込みをされていました。

来週の第30話「新たなる覇者」の予告でました。

来週のお市は大好きな信長兄さんの衣装です。最期まで兄と一緒⭐︎

兄への愛が相当重めです。

圧倒的な美しさだけでなく演技力もある――北川景子さんが素晴らしい女優であることに全く異論はありませんが、だからこそ、お市にこんなことをさせる制作陣には怒りを覚えます。

ハッキリいって今回のお市は、大河ドラマで害悪になりがちな“でしゃばるヒロイン”でしょう。

性差別のように聞こえたかもしれませんが、そう申し上げるには理由があります。

時代考証として無茶苦茶なうえに、大して面白みが感じられず、物語の興が著しく削がれます。

そもそもお市が「信長の南蛮装束」を着ている時点で、意味不明でしょう。

フィクションで信長お約束の南蛮装束を他の人物が着ることはあります。『麒麟がくる』では、信長が光秀に贈るという違和感のない設定でした。

しかし、お市となると厳しい。

現時点では、どういう経緯で彼女に渡されたか不明ですが、例えば兄が男物の服を妹に贈ったりするのか? 無理にサイズを合わせようとしても、男女では体型が異なり、そう簡単にフィットさせられないのでは?

そんな単純な疑念も払拭できません。

さらには当時のお市が「秀吉の天下を止める」というのも妙ですし、もっと言えば「家康に恋している」なんて不自然極まりない。

お市が夫と息子を死なせた兄を、そこまで慕っているのも納得できません。

疑問点が少し浮かぶだけならまだしも、本作のお市はとにかく“違和感の塊”です。

 


幼女が本能寺にいたり伊賀越えにいたり

第30回放送の予告編を見た時点で、お市に対してため息をついてしまった大河ファンもいることでしょう。

駄作大河のお約束として

・ヒロインのワープ

という現象があります。

どこからともかくヒロインが現れたかと思ったら、何やらわけのわからない行為をして目立つ。

都合よく画面に出したかっただけなのでしょう。

しかし、そんなものは制作サイドの思惑でしかなく、物語上は極めて不自然な描写となり、視聴者は困惑するだけ。

他にも大河ヒロインの興ざめ行動はいくつかありますので、多くの視聴者のトラウマになった定番作品から例を挙げてみましょう。

◆2009年『天地人』

史実の直江兼続は【御館の乱】で名をあげ、名門直江家に婿入りする形で家格も備えることとなりました。

妻のお船とは、その過程まで顔を合わせなかったと考えるのが妥当です。

しかし、大河でそれはつまらない。

制作陣にそんな思いでもあったのでしょう。第3回で「暴れ馬を手懐けるお船」と兼続の出会いが描かれます。

大河ドラマにおける安直な表現を揶揄する言い回しとして

・結婚相手が暴れ馬を止める女

というものがあり、まさしくそれ!

さらに本作では、オリジナルの女忍者・初音が織田信長を討った明智光秀の首を絞めたり、千利休の娘が柔術を披露するなど、とにかくでしゃばるヒロインたちがノイズとなっていました。

◆2011年『江〜姫たちの戦国〜』

浅井三姉妹の一人である「江」が主人公の本作。

彼女を幼いときから様々な場面に登場させようとしたため、とにかく無理やりすぎる場面が目立ちました。

特に本能寺の変からの一連の光景は異様そのものです。

・まだ幼い江が本能寺にいた

・伊賀越えにもついてきた

一体なんのこっちゃ?と思われるかもしれません。

歴史上の重要なイベントに、幼女が割り込むとは、いくらフィクションでもあり得ない。

子役を使わず主演の上野樹里さんがそのまま演じたこともインパクトを強めています。

浅井三姉妹さえ除けば、他の描写はそこそこ良心的ともされたこのドラマ。

肝心のヒロインのせいでどうにもならなくなりました。

◆2015年『花燃ゆ』

吉田松陰の妹が主人公という時点で、大河ファンが当惑した本作。

その嫌な予感は当たります。

吉田松陰の妹でも、長姉・千代は烈女として有名ですが、制作過程で消えていました。

代わりに主役となったのが、兄とは年齢差があり、存在感の薄い文。

しかも、その文の「功績」が、

・松下村塾生におにぎりを握ること♪

でした。いったい誰の趣味なのでしょう。しかも松下村塾のテロ行為を描いたため、「テロサー(テロリストサークル)の姫」と呼ばれる羽目に。

さらには、おにぎりを握っているだけでなく、藩の上層部にいる椋梨藤太の屋敷に押しかけて怒鳴ったりするなど、不要な見せ場まで作られたり。

移動距離が考慮されていないから、数百キロを瞬間移動する場面もしばしば。

そうせい侯のためにお野菜作りに励んだり。

群馬でセレブ妻をめざしたり。

ヒロインの活躍ってこれかよ、なんだそれ……と、多くの視聴者のトラウマになったのでした。

「スイーツ大河」とか「女大河」などの蔑称が根付いたのも、このような迷走作品があったからこそです。

『三姉妹』や『おんな太閤記』をはじめとして、かつて女性を描く大河は定番でしたが、それが忌避されるようになったのは、駄作珍品が数多く登場してしまったからでしょう。

 

身分と時代が移動範囲を決める

・お船(『天地人』)

・江(『江〜姫たちの戦国〜』)

・文(『花燃ゆ』)

上記三作品に『どうする家康』のお市を含め、4人の中で誰が一番ひどい描かれ方をしているか?

結論は

お市=江>お船>文

という順序になるでしょう。理由は以下の通り。

まず戦国時代から幕末までを通じ、以下の条件を満たすほど一番のネックである“移動”が困難になります。

・身分が高い

・治安が悪い

※体力や年齢は考慮せず

要は自由に動けなくなり、したがってドラマの各場面に都合よくホイホイとは出れなくなる。

お市と江は、劇中でもかなり身分が高く、しかも戦国時代は治安が悪い。

結婚前の船は、お市と江ほどは身分が高くない。

文は幕末から明治の人物です。戦国時代より治安は安定しており、かつそこまで身分も高くありません。

そのため、お市と江が様々な場面に出れば出るほど、おかしな話となる。

こうした意見を述べるとお約束のように「フィクションだから固いこと言うなよ」というツッコミも飛んできますが、瞬間移動でなければ移動できないシチュエーションがあったとすれば、それはもはや時代劇ではなくSFです。

極端な話、フィクションなんだからOK!と言って、大河ドラマに戦車やヘリコプターは出てこないでしょう。

ヒロインの瞬間移動は目立たないだけで、本質的にはそれと同様のものです。

彼女たちは、名前や身分があるばかりに、とかく行動に制限がかけられてしまう。

だからこそ『麒麟がくる』で批判を浴びた駒や望月東庵、伊呂波太夫の役割も見えてきます。

彼女らには動きやすい条件が揃っていました。

・身分が高くない

・特殊技能がある

いわば自由に動かせるのですね。

ゆえに大河の制作陣が「女性や庶民の目線からも歴史を見つめたい」と思ったときにはどうするか?と言うと。

①駒たちのような創作キャラを出す

②江やお市のように名のある女性たちがうろつき、色々な出来事に割り込んでくる

作り手に良識があれば前者①を選ぶのは自然なことでしょう。

『麒麟がくる』の駒のような登場人物は、制作陣の歴史知識が確かであり、かつルールを踏まえていればこそ生まれてきたと言えるのです。

駒と行動を共にしていた医者の望月東庵は、曲直瀬道三がモデルと推察されます。

曲直瀬道三
戦国時代の名医・曲直瀬道三~信長・元就・正親町天皇などを診察した医師の生涯

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「だったらなぜ曲直瀬道三にしなかったんだ?」

戦国ファンの中にはそんな疑問が浮かんだ方もいたようですが、東庵は庶民的な人物で、身分の低い庶民を安値で治療していました。

そういう人物像と著名な医師では一致しないと考えたのでしょう。

しかしウェブメディアでは、駒や東庵を叩くとアクセスが狙えるためなのか。

「歴史の名も残さない人物がウロウロするなんて、ファンタジーだ!」

「無名のくせに無双する!」

という趣旨の叩き記事や、それに対する賛同意見も多かったものです。

本来は、作り手の良識に従って表現されたキャラクターです。しかしそれを叩いて喜ぶ人たちがいるというのは、正直にいえば危惧すらを覚えてしまう現象でした。

 


麒麟や鎌倉殿はどうだった?

大河ドラマはフィクションだ。創作だ。ドラマだ。

それなのに、アンチは「史実がぁ!」とやたらうるさい。

『どうする家康』については、そんなことも指摘されたりしますが、果たしてそうなのか?

確かにドラマはフィクションであるのが大前提です。

だからといって戦国時代にヘリコプターを出したら別の映画になってしまうように、時代毎の技術や社会環境などの制限はある。

ヒロインの瞬間移動も本来なら大アウト!

過去の作品では、そうした最低限のルールを守りつつ、その中でキャラクターを動かしています。

“移動”という観点から、その例を挙げてみましょう。

◆『麒麟がくる』の明智光秀

前半生の詳細が不明な明智光秀は、40を過ぎてから世に出た遅咲きの人物。

この状況をフィクションとしての強みに活かしたのが、この作品でした。

劇中の光秀は、主人である斎藤道三の死により、浪人になると、朝倉家の治める越前では仕官せず、不遇の日々を送ります。

その状況を活かし、光秀は自ら歩き回り、自身の目で情報を探りました。

【桶狭間の戦い】を目撃し、織田信長を見送る光秀が成立したのも、彼の身分が低い時代があればこそできた描写といえます。

◆『麒麟がくる』の帰蝶

帰蝶は活発な性格であり、未婚時代は袴をつけ、馬に乗り、明智荘をしばしば訪れていました。

活発で気ままなようでありながら、実はルールに則った移動範囲でした。明智荘は母方の親族であり、移動が認められているのです。

結婚後は馬で遠出することはなく、夫・信長を支えるために、書状を用いて堺商人から鉄砲を買い付けたことも。

当時の文書は女性が別名義で記すこともあったため、この描写も無理のない範囲です。

最終盤に京都で帰蝶と光秀と話す場面は、それぞれ目的がありました。

光秀は政務、帰蝶は眼病治療のために訪れていたのです。

創作とはいえ、あくまで無理のない範囲でした。

もしも帰蝶が駒のように足利義昭と話したり、伊呂波太夫のように本能寺で光秀に声をかけていたら、身分や状況からしてありえないと批判されていたかもしれません。

◆『鎌倉殿の13人』の北条政子

北条政子は、日本史に「動くヒロイン」として確たる名を刻む女性です。

ドラマでは描かれませんでしたが、政子には有名なエピソードがあります。

源頼朝と恋に落ちた政子。

しかし父の北条時政は別の男に嫁がせようとして、閉じ込めてしまう。

政子は脱出し、大雨の降り頻る闇夜を走り、頼朝の元へと向かっていった――。

こう本人が振り返っているのですが、彼女の行動力あってのものであり、父に我が子を殺され頼朝のことを諦めた八重とは対照的ともされます。

坂東武者の娘である政子はそこまで高い身分でもなく、警備が厳重でなかった状況もあるのでしょう。

劇中では、身分が高くなることで自由を失ってしまった政子も描かれています。

愛妻の八重を亡くして落ち込む義時のもとへ、お忍びでやってきた政子。

幼い頃の思い出を語り合う二人という場面でしたが、このとき彼女は動きやすく身軽な下女の服装をしていました。義時がその方が似合うと言えば、政子も気に入っていると応える。

中世人は身分が高くなればなるほど、動きにくく、豪華な衣装となります。

政子は、征夷大将軍の妻という座と引き換えに、身軽な服装や動き回る自由を失ったのです。

そんな彼女は、夫の死後に尼御台となると、「民衆と接したい、どうすればできるか?」と大江広元に問いかけています。

広元は「施餓鬼(せがき)」を提案。

仏教由来の施しをすることで、自然と民衆に接することができ、身分の垣根も越えられる画期的なアイデアでした。

政子は民に食料を施し、庶民の娘がそんな政子に語りかける場面にも繋がっています。

このように、時代や身分などの制約・ルールを守りながら、大河ドラマという時代劇は登場人物を動かしています。

史実かどうか?という観点からすれば、ドラマなので逸脱しているのは当然のこと。

しかし、ルールはあるのです。

空は青い。太陽は東から登る。春の次には夏が来る。

ヒロインは瞬間移動しない――。

そうした最低限のルールを守れないのであれば、SFなり、異世界ものなり、別のジャンルや時間枠で放映すべきです。

創作とは何をしても良いという意味ではありません。

 

ウロウロお市は何が問題か

こうしたルールを踏まえ、あらためて『どうする家康』のウロウロお市にダメ出しをしましょう。

・乳幼児の脆弱性をふまえていない

お市の大移動は、乳児の茶々を連れて京都にいた時からそうでした。

当時の乳幼児死亡率の高さを踏まえていない。

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お市だけでもありませんが、この作品には乳母がいるようにも思えません。

乳母とは、簡単に乳幼児が命を落としている時代に生存率を上げるための存在でもあり、その辺の事情を無視して乱世を描くのは乱暴すぎやしませんか。

・なぜか本能寺前の堺に出現

身分がそれなりに高いお市は、なぜホイホイと堺にまでこられたのか。

戦国時代の治安が悪いことは『麒麟がくる』でも描かれました。

若き日の光秀が国をまたいで移動するだけでも命懸けだったものです。

・書状で十分

そもそも家康と信長が無二の親友ってどういうことなの?

そんな疑問はとりあえず横に置きまして、お市が堺にいる理由が

「友達を襲うなんてやめて! ケンカはしないでよ!」

という時点で盛大にズッコケました。

しかも、あの堺での家康との出会いは、街中を歩いていた本多忠勝がわざとらしい二度見をして気づかなければ無かったようにも思えました。

確実に家康を止めたいのであれば、書状の方がまだ説得力があったのではないでしょうか。

『麒麟がくる』の帰蝶の場合、書面のやりとりで堺の商人を動かしています。

・服装が派手

お忍びであれば、それでも多少の説得力はあるかもしれません。

しかし、お市の移動はキラキラ衣装☆

このドラマは衣装考証が曖昧ですが、それでも派手です。前述の通り『鎌倉殿の13人』の政子は服装を変える配慮がありました。

しかも今度の第30回放送は、織田信長と同じ衣装で登場ですからね。

ハッキリ言って単なる“話題作り”でしょう。

そんな目先の安易な手法に頼らず、もっと正々堂々と戦国時代を描いて欲しいものです。

・伊賀越えへ期待がますます持てなくなった……

お市でもホイホイ堺に来られてしまう。長旅の疲れもない。

こんなに治安がいいなら【伊賀越え】もそんなに苦労しないんじゃない?

そうため息をつきたくなった、本能寺前のお市。

この予感は当たり、生死を賭したはずであったはずの家康一行は、キレイな服装のままで旅を終えました。

 

神君のありがたみまで低下させる

歌川広重の『東海道五十三次』は素晴らしい浮世絵です。

自然だけではなく、道を歩いてゆく人々の姿も実に平和で、これぞ神君家康公の加護ともいえる光景です。

道ゆく人を誰かがやたらと襲っていない。人を襲撃し金品を奪う奴は捕まる。宿屋で見ぐるみを剥がれるようなこともそうそうない。江戸時代ならではの安全が感じられます。

江戸の民が「いつかお伊勢参りがしたい」と語り合い、寺社仏閣めぐりのついでにお菓子を買うこともできる。

むろん今と比較したら野生動物に襲われるといった危険もありました。しかし治安は格段に向上した。これぞ戦国時代には無かった平和な社会でしょう。

江戸時代には、なんと首の周りに金を巻きつけた「犬のお伊勢参り」までもがブームとなったほど。

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上記の記事に詳しくありますが、犬が伊勢神宮へ向かっていると、襲われるどころか、ありがたいことだと人々は見守り、餌や寝場所を与えたのです。

そんな江戸時代からさかのぼり、平安末期~鎌倉時代の『鎌倉殿の13人』を思い出してみますと、あの世界観における“移動“はまさしくリアルRPGでした。

街Aから街Bまで移動……その途中にモンスターと出くわしたら倒す!

倒せば経験値、金、アイテムが落ちるのでゲット!

ゲームシステム上で必要だからそうなっているのではなく、ファンタジーRPGとは中世の世界観を再現しているのです。

そのことがわかる描写が『鎌倉殿の13人』の劇中にも出ています。

源義経の一行が、坂東武者と出くわし、その男を義経が騙し討ちで殺したあと、楽しげに歩いていった。

文覚のことを気に入らない坂東武者たちが襲い掛かり、川の中へと引き摺り込んだ。

主人公である北条義時も、羽ぶりのいい坂東武者にケチをつけられ、土下座させられる理不尽な暴力を受けていた。

いかがでしょう?

こんな物騒な世の中ではよろしくない――そう痛感した北条泰時が【御成敗式目】を定め、「通行人を襲ってはいけません」といった最低限のルールが作られます。

戦国時代は、大名家が【御成敗式目】を改定しながら法を定めたものの、あくまで通用するのは領内のみ。

国を越えたら何があろうとおかしくない状態でした。

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こうしてみてくると、平和で安全に旅ができ、その様子がわざわざ浮世絵になる江戸時代のありがたみが理解できるでしょう。

『鎌倉殿の13人』は殺伐としていました。

それを北条泰時がより良い社会に変えると示されていればこそ、時代の意義、北条氏支配の重要性もわかったものです。

しかし『どうする家康』はそこが違う。堺へホイホイと出てきたお市が、家康と偶然出会えてしまう。

戦国時代の殺伐とした空気よりも、ほのぼのとした描写で視聴者にウケさえすればよい――そんな風に思えますが、その狙いが従来の大河ファンに見放されたからこそ視聴率は低迷しているのでしょう。

なぜか兜首だけは、やたらと出てきますけどね。

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『暴れん坊将軍』ではないんだから

物語の舞台となる時代であり得ない表現はしない。

そんなルールは大河ドラマだからこそ課せられたものでしょう。

八代将軍・吉宗が江戸の街中を歩き回り、事件を解決する。『暴れん坊将軍』のルールを適用すれば、貴人だろうと城を抜け出し、好き勝手にできます。

娯楽重視の民放時代劇は、痛快感が第一! 歴史作品のルールなど二の次、美男美女が顔を突き合わせてスカッとするドラマにすればよい。

一方、大河ドラマ『八代将軍吉宗』では、そんなことできません。そこには暗黙の了解があった。

NHK大河ドラマは「最低限のルール=時代的な制約を守る」という了解です。

だからこそ、かつては親や学校の先生が、勉強のために大河ドラマを勧めることもあったのでしょう。国民の間で「民放時代劇とは別物だよね」という意識があった。

それがいつしか民放の時代劇は激減し、ほぼ壊滅状態。

比較対象がなくなったせいか、今年は、娯楽民放時代劇と大河ドラマの間にあるルールまでも破壊しつつある。

『どうする家康』を子どもに見せるかどうか?

SNSではこんな話題も注目されていました。こんな懸念を持たれる時点でもうどうかしているでしょう。

自分も幼いころ大河ドラマを見て歴史に興味を持った。そこから調べて歴史好きになった。

そんな方は少なくないと思いますが、2023年は別です。

最低限のルールを守っておらず、歴史知識を汚染しかねない。

なぜ「これでは駄目だ」と説明される方が制作サイドにいなかったのか……そのことが残念でなりません。

以下の記事には

「家康と築山殿の間で恋愛結婚はありえない」

という理由が示されています。

◆「家康と築山殿に恋愛結婚はありえない!」それでもドラマにNGを出さなかったワケ(→link

フィクションなんだからいいじゃん――この緩くて危険な言葉を許さない気概がNHKの中に残っていることを切に願います。


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文:武者震之助
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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-どうする家康感想あらすじ

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