光る君へ感想あらすじレビュー

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第12回「思いの果て」

寛和2年(986年)――読経の声が響き、高倉の女・なつめが、今にも息を引き取ろうとしています。

隣にはまひろの父・藤原為時

彼に見守られながら、なつめは髪を切り得度しました。

「これで案ずることはない、よかったな」

為時が声をかけると、なつめは苦しそうに娘の名前を呼びます。

そんな父の姿をジッと見つめるまひろ。

為時は、なつめが娘の“さわ”に会いたいことを悟ると、じっと見守っていたまひろに声をかけます。

なんでも彼女には別れた夫との間に娘がいて、死ぬ前に一目会いたいようです。そんな彼女を放っておけない為時は、まひろにさわを呼ばせに行くのでした。

合戦がないだのなんだの言われがちな本作ですが、こういう何気ない日常の場面に私は感動しています。

当時らしい、末期の得度です。もはやこれ以上生きられぬと悟った時点で出家していた。

突然死だと、それはできない。

ちやはの死が改めて酷いものだとも思わされます。

得度をするにしても、お礼は必要であり、その望みを叶える為時は、律儀で実によい人ですね。

そして、まひろがさわを連れてきました。

被衣を被り、なかなかのお姫様に見える彼女が母の手を取ると、二人は涙を流し合っている。

最期の望みがかなったなつめは、穏やかな微笑みとともに世を去ってゆきました。為時の愛に包まれて死にゆくなつめは幸せだったことでしょう。

 

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さわはまひろに憧れる

まひろが畑仕事をしていると、さわがやってきました。

父は喪があけて、漢学指南をしていると説明するまひろ。家のことは、自分と、弟の乳母(いと)で一日中しているのだとか。

お見苦しい姿を見せたと詫びるまひろを、さわは素直に褒めます。

父からは「おなごは何もするな」と言われて窮屈なようで、そのくせ父は、今の母の子ばかりかわいがるとのことです。

しかし、それも宿命かと割り切っているさわ。まひろのおかげで母に会えたとお礼を言い、庭仕事を手伝うと言い出します。

父上に叱られないか?と心配するまひろに対し、黙っていればわからないと答える。さわはお姫様ですねえ。

『鎌倉殿の13人』では、時政の妻であるりく(牧の方)は家事や畑仕事に対してぼやいていましたね。頼朝挙兵のため寺に潜んだとき、かったるそうに掃除していたものです。京の姫らしいぼやきでした。

まるで姉妹のように並んで床を拭き、野菜を植え、琵琶を弾き、笑うまひろとさわ。

まひろは前回、悲しい幕切れを迎えましたが、妹のようにかわいらしいさわを得て嬉しそうです。

これはシスターフッドを推すものとしてもよい描写ですし、紫式部自身も同僚女房へのほとばしる友愛を記しています。素敵な姿です。

さわがガールズトークも持ちかけます。

まひろさんはたくさんの書物を読んで、文も歌も上手。きっと文を送ってくる人も多いのでしょうと言い出したのです。しかし……。

「文をくれたのは一人だけ……」

「ごめんなさい!」

思わず謝ってしまうさわ。なぜ謝るのかとまひろに問われると、よくわからないけど謝ると返します。

「おもしろいのね、さわさんて」

どこかズレているまひろは、本気で理解できていない可能性はあります。

まひろは他の人と感覚がずれているところがある。すごく鋭いか、鈍感か、そのどちらか。カバーする領域がずれているのでしょう。

「まひろ様に文をくれた方は、どんな方ですか」

道長のことが頭に浮かび、もの思いに耽るまひろ。この表情がたまらなく美しいのが吉高由里子さんの魅力ですね。

さわは思い出していたことを見抜き、うつけだけれどそういう勘は働くと自信満々な表情になります。まひろは不思議な力があるものだと驚くばかり。

「背が高くて、しゅーっとした感じ!」

さわはそう言い出しました。隠してもまひろの顔に出るのだとか。

関西らしい「シュッとした」という形容が出ましたね。要するに具体性のない言い回しです。

これが東洋らしい表現と言いますか、『源氏物語』にせよ、東洋では人の美を花鳥風月やらなにやら、イメージ重視で語ることが多いものです。

西洋だと具体的に「青い目」や「燃えるような赤毛」といった表現をするものです。

ともあれ、この他愛ない会話で、まひろの揺れる思いが見えてきました。

 


婿候補は藤原実資

そんなまひろに、藤原宣孝が「婿候補がいる!」と持ち込んできました。

お願いしていないと困惑するまひろのことなど無視するかのように、宣孝は閃いたとして熱く推してきます。

なんのかんので話を聞く為時。娘がかわいいという段階でなく、生きていくため切実に聞かねばならないと認識しているのでしょう。

では、その婿とは?

藤原実資でした。

藤原実資
『光る君へ』で異彩を放つ藤原実資(ロバート秋山)史実ではどんな貴族だった?

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五節の舞の時で見たときのことをまひろが思い出します。

父の為時は「身分が違う……」と困惑するものの、なんでも実資は北の方が亡くなったのだとか。あの「日記を書け」と煽っていた桐子ですね。

それもただ単に嫡妻の席が空いたから勧めたのではなく、知恵者の実資は、まひろの賢さに惹かれるだろうという読みがあります。

思わず為時が納得すると、まひろも父上より学識がおありなのかと興味を示す。

為時は認めます。学識はある。それだけでなく、権勢の媚びない筋の通った人柄であるとか。

学識あり。人望あり。何より財産がある!――そう猛烈に推す宣孝は、本人に許可を得たのでしょうか……。

さて、その実資は赤痢に罹っておりました。

高そうな巻物を手にして挨拶に来た宣孝は、お健やかだったと気遣っています。なんでも三日前、にわかに罹ったとかで、赤痢が怖いのか、宣孝は面会は断ります。

その奥で、ヨロヨロと歩く実資が見えるのでした。

「あれは駄目だ、半分死んでる。次を探せ」

実資の様子を確認すると、たちまち前言撤回して、まひろたちに報告する宣孝。

当時は赤痢が都で流行していて、さすがに諦めたのでしょう。

しかし、婿探しをやめて欲しいと願うまひろに対し、宣孝は「霞を食って生きていけるのか!」と強い口調で諭すのでした。

実資は?というと……。

「鼻くそのような女との縁談あり」

日記に、そう記しているのでした。現実は辛い……と、巻物を開いていると、何かが出てきます。

「ん? お? おぉ? 見えておる!」

そこに描かれていたのは、薄衣から肌が透けて見える唐代美女の絵でした。江戸時代の春画ほど際どくはないものの、エロチックなことは確か。

なんなんでしょう。この藤原実資で遊ぼうコーナーは。

小右記』に記載のある赤痢で遊び、堅物のようで好色であったネタを仕込む。

さらには、当時としては驚異的な90まで長生きした実資を「半分、死んでる」と言い捨てた宣孝が、後に流行病であっさりと亡くなる――そんなブラックジョークでもかましているのでしょうか。

ニヤニヤせずには見ていられません。あの妙に存在感のある“実資中毒”の視聴者は、きっと私だけではないでしょう。

紫式部の大河ドラマで、まさか藤原実資が出てくるたびに笑わせられるなんて、不意打ちにもほどがありますね。

実資は素晴らしい。見るだけで幸せになれる。なぜ、実資のおかげで心が晴れやかになるのか、我ながら理解できません。なぜこんなにも癒されるのか?

今回なんて赤痢で苦しみ、エロ絵にニヤつき、ヒロインを鼻くそ呼ばわりして、ことごとく最悪なんですよ。でも、なんだかイイ。

さて、鼻くそ呼ばわりされたまひろは畑仕事をしながら考えています。

見知らぬ人の北の方になる……そんな現実が彼女にも見えてきました。直秀と「都を出るか?」と迷っていたころとは違う思慮が出てきています。

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