あの真意は一体なんだったのか――藤原公任、藤原斉信、源俊貴、藤原行成の四納言がそれぞれ解釈を始めます。
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「望月の歌」を解釈する
まずは俊賢の解釈から。
「栄華を極めた今を、歌い上げておられるのでございましょう。何もかも、思いのままであると」
公任はこうだ。
「今宵はまことによい夜であるなぁ、くらいの軽い気持ちではないのか」
そう分析しつつ、道長が皆の前で奢った歌を披露するような人となりではないと付け加えます。
藤原行成はこれに賛同します。
「月は后を表しますゆえ、3人の后は望月のように欠けていない、よい夜だ、ということだと思いました」
斉信は「そうかなぁ」とつぶやくばかりです。
冒頭このシーンは、歌の解釈を説明するものとして機能します。
道長は驕り昂って詠んだのか、それともささやかな満足感なのか。
結局は人の解釈による――そう示されているのでしょう。個々人の性格や、捉え方があります。
父が失脚し、再起を図りたい俊賢は、自分が全てを賭けた道長が成功してもらわねば困る。己の見る目は確かだったのだという思いが出ています。
一方で公任は、そういう見方は単純だ、穿ち過ぎだと牽制しているように思える。道長に全てを賭けているとまでの思い入れはないのでしょう。
行成はどうか?
彼は道長の善性を信じたい。
斉信は特に意見なし。
こうした解釈は歴史を踏まえるうえで大変重要です。
例えば『三国志』を記した陳寿の場合、後世、諸葛亮の評価が低いと疑念の目で見られました。陳寿の父が諸葛亮に罰せられたせいではないのか?と邪推されたのです。
日本史ですと、幕末から明治にかけての『徳川慶喜公伝』がわかりやすい例です。
徳川慶喜は、実は幕臣からすら「幕府を潰した張本人」と責められかねない状況でした。
大抵の幕臣は累代の奉公であり、別に慶喜を選んでいるわけではない。しかし渋沢栄一は自ら進んで一橋家に仕えたゆえ、自分には審美眼があったと主張したい。自らの目にかなった慶喜は賢明でなければ困る。
『徳川慶喜公伝』には、そういう解釈の背後にある動機も見ていかねばならないでしょう。
そしてこのドラマで登場した『枕草子』と、今後登場するであろう『栄花物語』もまさしくそう。顕彰目的の書物です。
光ばかりでなく、影まで見なければならないというのが、書くことをテーマとした本作にある価値観。歴史や文学を学ぶうえでとても重要な視点ですね。
全てを奪い尽くされた敦康親王の生涯
敦康親王が藤原頼通の元へやってきて、「もう摂政として、政に慣れたのか?」と尋ねています。
まだ父の指示を仰いでいなければ不安だと苦笑する頼通。太閤に叱られるのかと問われると、毎日怒鳴られてばかりだと返します。
「自分も父に怒鳴られたかったなぁ」
そう、しみじみとする敦康親王に、彰子が「嫄子(もとこ)様には父らしい父とお接しくださるように」と言います。
敦康親王としても「叱りたい」とは言いますが、果たしてどこまで本心やら。嫄子を抱く母の祇子(のりこ)女王から「それは難しいのではないか」と突っ込まれています。
娘を愛している様子が伝わってきますね。しかし……。
敦康親王が嫄子を抱いて廊下を歩いていくと、突然苦しみ、娘をおろし、ひざをついてしまいます。
そして、この歳の暮れ「敦康親王は亡くなった」とナレーションが語る。
享年21。さらにこう続きました。
道長によって、奪い尽くされた生涯であった――。
この語り口が『源氏物語』と通じるものがあると思います。
あの物語は、光源氏や薫の言動について、語り手が突き放すような口ぶりになることがよくあります。
決して称賛しきっているわけではない、そんな苦さがあるのです。
本作の視聴者の多くは、道長に感情移入していると思います。そうした視聴者を時に突き放すように、道長が誰を犠牲にしてきたのか、このドラマは見逃しはしません。
『源氏物語』完
彰子もまひろも喪服となりました。道長も喪服姿で月を見ています。
ここには出てこないききょうは、どれほど嘆いたことでしょう。
ただし、道長から罪悪感は読み取りにくい。
敦康親王の死により、荷が軽くなったと思えるところもあります。道長は人の苦難に対しても鈍感なのかもしれません。
そしてまひろは「夢浮橋」の最後の場面を執筆します。
浮舟が生きていると知った薫が再会しようとするも、相手に拒まれてしまい、誰か他の男にでも隠されているのかと思う場面です。
できた――として筆を置くまひろ。
吉高由里子さんの筆をもつ手もこれで見納めかもしれないと思うと、実に寂しいものがあります。
利き手を持ち替えて圧巻の所作。
根本先生ともども、本当によく努力されたと思います。小道具も細やかで、牛車を模した筆置きが素晴らしい。
物語は、これまで――まひろはそう心のうちで呟き、さっぱりした顔になり、月を見上げます。
これもなかなか興味深い描き方ではあります。
この終わり方は未完成ではないかと長らく思われ、続編も書かれています。道長の援助打ち切りによる唐突な終結という解釈すらある。
しかしこのドラマでは、作者の意思で終わらせたと示されています。
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