戦国史を現代風に大胆アレンジして楽しむマンガ『戦国ブギウギNEO』の第23話。
三方ヶ原の戦いで徳川織田連合軍をコテンパンにぶっ叩いた武田軍は、その後、武田信玄の死という究極の事態に直面し、甲斐へ帰国となってしまいました。
残された浅井朝倉連合軍、足利義昭はどうなってしまうのか……。
さっそく漫画で確認してまいりましょう!
上京焼討ち

◆三方ヶ原の戦いの武田軍勝利に歓喜した義昭さんも挙兵!
これに対し、織田軍は上洛して“上京焼討ち”という示威行動に出ます。
義昭も、いったんは和睦に応じるのですが……元亀4年(1573年)7月、槇島城の戦いに敗れて、京都を追い出されることになりました。
朝倉出陣

◆姉川の戦いには前線へやって来ず、その後、ようやく上洛軍を発したかと思えば比叡山延暦寺に籠って織田軍との対決は避け。
戦う気ないでしょ!
と思っていた朝倉義景ですが、浅井の本拠地・小谷城へ自ら援軍にやってきます。
急にどうした! 義景! と、思っていたら……。
大嶽砦

◆朝倉義景の最期は、あまりにも劇的で一瞬でした。
天正元年(1573年)8月12日、小谷城の焼尾砦(やけおとりで)が織田に寝返り、信長が朝倉方の大嶽砦(おおづくどりで)と丁野山砦を落とすと、義景は夜陰に乗じて逃げ出してしまいます。
結局、何も変わっていなかった義景……。
しかも、その逃亡劇、完全に織田信長に読まれていました。
満を持して義景を追撃した信長は、刀禰坂の戦いで朝倉軍を追い込み、ついに義景を自刃へ追い込みます。
義景に最期の自害を迫ったのは朝倉景鏡でした。
退き佐久間

◆信長は事前に「義景の陣を全力で見張っておけ!」と家臣たちに伝えていました。
しかし油断したのか、いざ朝倉軍が退去し始めたとき、すぐさま追いかけたのは信長の部隊だけ。
追いついてきた家臣たちに「あれほど油断すんな、と言っただろ!」と激怒しました。
そこで佐久間信盛が「我々ほど働いている家臣もおりませんぞ」と、余計な一言を発して、信長の怒りの炎に油をぶっかけてしまう――。
と、そんなやり取りまで『信長公記』に掲載されているのですから、面白いですね。
佐久間信盛は、後に追放されるとき、このときの“余計な一言”を信長さんに蒸し返されていますので、本当に口は災いのもとですのぅ。
堺幕府

◆この後、足利義昭は流れ流れて西の大国・毛利勢を頼り、鞆(とも)に腰を落ち着けます。
そこからお得意の書状連発!
各地の有力大名らに信長を討つよう命じます。
そのうちの一人が柴田勝家と「手取川の戦い」で衝突した上杉謙信であり、他に、本願寺、毛利勢、武田勝頼が敵対し続け、さらには松永久秀も同じタイミングで蜂起します。
詳細は別記事「第三次信長包囲網」からご覧ください!
※著者・アニィたかはしの『大河ブギウギ豊臣兄弟編Youtube』はこちらから👇️
文:五十嵐利休

