戦国史を現代風に大胆アレンジして楽しむマンガ『戦国ブギウギNEO』の第24話。
小谷城の救援にやってきた朝倉義景がまたもや戦場を逃げ出し、信長の追撃を受けて自害へ追い込まれました。
こうなると、もはや浅井長政は最期を迎えるばかり。
問題は長政と義景が亡くなった後でしょう。いったい二人の首はどうなったのか――さっそく漫画で確認してまいりましょう!
攻略法

◆難攻不落の山城として知られた近江の小谷城ですが、援軍も無く、囲まれてしまえばもはや為すすべ無し。
一度は義兄と慕った織田信長に攻められ、浅井長政はどんな心境だったのか……。
小谷陥落

◆長政の妻であるお市の方、そしてその娘たち浅井三姉妹。
彼女たちは豊臣秀吉らの手引きもあって、事前に救出されました。
浸れ長政

◆親として、これほど切ない場面はありませんよね。
「なぜ、あのとき義兄を裏切ったのか」
そんな考えを巡らせても何の意味もありませんが、後悔の念が1ミリも無かったとは、この場面に至っては言えなさそうです。
天正元年(1573年)8月28日、赤尾清綱と共に切腹。
長政よ、永遠に……。
箔濃(はくだみ)

◆天正二年(1574年)正月一日、織田信長は岐阜城の酒宴にて、驚くべき“肴”を並べました。
箔濃(はくだみ)にした朝倉義景の首、浅井久政の首、そして浅井長政の首。
漆で塗り固めた後に金泥などを塗ったもので、これを眺めながら酒を飲んだのです。
死者に鞭打つなんて、信長、やはり魔王だな――と思いたくなりますが、誰彼構わず披露したわけではなく、普段から共に戦っている馬廻衆など一部の親しい者たちを労うためでした。
織田軍は、長政の裏切りにより「金ヶ崎の退き口」で死の思いを味わっただけに、ようやく一息つけたというわけですね。
同時に、長政嫡男の浅井万福丸も、後に探し出されて討ち取られたことが『信長公記』に記されています。
詳細は以下の記事へ。
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浅井万福丸とは何者か|信長を裏切った長政の息子が10歳で磔にされた理由
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一国一城の主

◆浅井長政を討ち取り、その所領を任されたのが豊臣秀吉でした。
美濃攻略から近江攻略に至るまで縦横無尽の働きであり、出自や身分に関係なく評価する信長独自の判断が下されたわけです。
しかし、秀吉も決して楽ではありません。
広大なエリアを統治するには有能な家臣が必要であり、この長浜で石田三成や加藤清正など、その後、豊臣家臣団として知られるメンバーを一気に招集・教育していきます。
その詳細は別記事「羽柴家臣団の全貌」からご覧ください。
※著者・アニィたかはしの『大河ブギウギ豊臣兄弟編Youtube』はこちらから👇️
文:五十嵐利休


