織田家から離反した荒木村重を説得するため、有岡城に出向いた黒田官兵衛。
その後一年間「土牢」へ閉じ込められてしまうのはよく知られた話で、大河ドラマ『豊臣兄弟』でも描かれました。

しかし、官兵衛は本当に過酷な土牢に押し込められていたのでしょうか。
一体どんな根拠があってのことなのか。
当時の有岡城を振り返ってみましょう。
なぜ官兵衛は有岡城に向かったのか
摂津国を任されていた荒木村重が、突如、織田家に反旗を翻したのは天正六年(1578年)10月のこと。
有岡城に籠もった村重を説得するため、織田信長は重臣たちを派遣しました。
当時、播磨の小寺政職(こでらまさもと)に仕えながら、同時に羽柴秀吉に重用されていた黒田官兵衛も10月下旬、説得役の一人として有岡城へ出向きます。

黒田官兵衛/wikimedia commons
村重とは以前から交流があった官兵衛は適任だと思われたのでしょう。
しかし、官兵衛は帰ってきませんでした。
なぜ説得に行って捕まったのか
有岡城に入った黒田官兵衛が、そのまま生け捕りにされ、不衛生な土牢に幽閉されてしまう――こうした展開は2026年大河ドラマ『豊臣兄弟』だけでなく2014年『軍師官兵衛』でも描かれました。
そもそも村重は、なぜ官兵衛を捕らえたのか?
江戸時代に編纂された『黒田家譜』では、以下のように説明しています。
◆官兵衛の主君である小寺政職が毛利や村重側につくことを決め、信長・秀吉派の官兵衛を嫌い、村重に殺害させようと企てた
◆しかし村重が官兵衛を憐れんで、殺さない代わりに幽閉した
しかし近年の研究では、この状況は成り立たないのでは?と指摘されています。
まず村重が官兵衛を捕らえたのは、「いざというとき交渉に使える人質として考えていた」というのはドラマでも描写された通り。
実際に村重は、織田に再び寝返った高山右近の親族も人質として押さえながら殺害などせず、寛大な態度を取っています。
官兵衛を生かしておいたのも計算だったのでしょう。

荒木村重/wikimedia commons
では、官兵衛を人質として利用する意図があったのなら、なぜ不衛生極まる土牢に閉じ込めたと語られるようになったのか?
もしも病気になり、万が一亡くなってしまっては元も子もありません。
そもそも、あのような過酷な描写は、どの史料に記されているのか?
“地獄のような土牢”は大正時代の創作か
黒田官兵衛が有岡城の薄暗い土牢に閉じ込められ、足も不自由になった――。
こうした描写は『黒田如水伝』にある以下のような描写の影響でしょう。
「有岡城の西北の隅にあり、後ろには水底深き溜池、三方は竹藪で囲まれて太陽の光も見えない陰鬱で、不衛生な地獄のような土牢」
“不衛生な地獄のような土牢”とはまさにドラマの通りですね。

しかし、実態はかなり違うようでして。
研究者の天野忠幸氏は著書『シリーズ・実像に迫る010 荒木村重』の中で、土牢の描写は「大正五年(1916年)に金子堅太郎が著した『黒田如水伝』に由来するものであり、根拠のない創作である」と記しております。
要するに、官兵衛の苦難を強調する後世の英雄伝説として広まった可能性が高い、というわけですね。
では有岡城での官兵衛は実際どう扱われたのか――というと「軟禁」に近いものだったのでは?と天野氏は指摘します。
その証拠として注目したいのが官兵衛の牢番だった加藤重徳(しげのり)。
後にその次男が黒田姓を与えられて黒田一成(かずなり)となり、しかも黒田家のもとで1万6000石もの高禄を与えられています。

黒田一成/wikimedia commons
なぜそこまで厚遇されているのか?というと、官兵衛が軟禁されているとき、色々と重徳に世話になったからこそでは?と考えられるのですね。
官兵衛は、後に村重の子孫も家中に加えています。
村重に殺されてもおかしくはない使者でありながら生かされたことに感謝し、土牢などではなくきちんと世話をされていたからと思えば納得です。
有岡城落城と共に救出された官兵衛
天正七年(1579年)11月、有岡城は織田方の手に落ち、黒田官兵衛はおよそ1年の拘束から解放されました。
救出後に白髪となり、足も不自由になったという話はよく知られています。ただし、どこまで史実として確認できるかは慎重に見る必要があります。
救出後の官兵衛は、引き続き秀吉に仕え、天正十年(1582年)本能寺の変後も、秀吉の躍進を支え続けました。
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有岡城の土牢で1年間苦しんだ姿は、後世が作り上げたイメージでしょう。
実際の黒田官兵衛は、荒木村重の計算により生かされた。
そして解放後は恨みを引きずることもなく、次の戦場へ向かっていった――そんな姿が浮かんできます。
なお、身勝手で臆病者のように描かれがちな荒木村重も、単に逃げ出したのではないのでは?という見方もあります。詳細は以下の記事へ。
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荒木村重は本当に卑怯者だったのか?妻子を捨てて逃げた男の実像
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参考文献
- 諏訪勝則『黒田官兵衛 「天下を狙った軍師」の実像』(2013年 中央公論新社)
- 天野忠幸『荒木村重 シリーズ・実像に迫る』(2017年5月 戎光祥出版)

