メイフラワー号

メイフラワー号/wikipediaより引用

イギリス アメリカ

メイフラワー号が英国から出航|アメリカと移民の歴史はこうして始まった

2024/09/15

1620年9月16日、英国のメイフラワー号がプリマス港からアメリカ大陸へ向けて出航しました。

乗員乗客は102名。

乗員はともかく、乗客はそれぞれ違った経緯で「後がない」人々でした。

なぜ、後がなかったのか?

その詳細は後述しますが、彼らが英国から米国へ移住する先駆者となり、その後の“アメリカ”の歴史を作り始めたとも言えます。

それは一体どんな旅だったのか? 経緯を振り返ってみましょう。

 


過酷な船旅は病気蔓延の条件が揃っていた

出港地のプリマスは、昔から軍港だった場所です。

エリザベス1世の時代には【アルマダの海戦】で勝利をもたらしたフランシス・ドレークが市長を務めたこともあります。

それだけに船の整備状況や船員の質は良かったと思われますが、準備万端というだけで航海がうまくいくとは限りません。

沈没事故で有名なタイタニック号だって、船長の評判はかなり高かったようですからね。

しかも17世紀は地球全体が小氷期レベルの寒冷な時代でしたから、新鮮な食料を供給できません。

多くの人間が狭い船室で生活する船旅は、病気が蔓延する条件が揃っていました。

特に深刻だったのは、各種のビタミン欠乏症だったといわれています。

ビタミンC不足は壊血病、ビタミンB1不足は脚気といった重篤な病気を引き起こします。

そもそもビタミンという存在が知られていなかった時代ですし、他にも肺炎や結核などの感染症が流行ることもままあり、メイフラワー号に限らず船旅では病気による死者が絶えませんでした。

 


×聖人 ◯一般人

メイフラワー号でアメリカへ渡ったのは、どんな人々だったのか?

「ピルグリム・ファーザーズという敬虔な清教徒(ピューリタン)だった」

一時期はそう広く信じられていましたが、実際、102人中ピューリタンは41人程度。

他の人はただ単に新天地を求めてこの船に乗っただけだったのだとか。

また、船内でのピューリタンの態度も褒められたものではなく、自分たちが船の支配者層であるかのように振る舞っていたといいます。

そして約2ヶ月後の同年11月、メイフラワー号はようやくケープコッドに到着。

現在のアメリカ北東部にある釣り針のようなカタチをしている半島(地図を拡大するとよくわかります)で、現在はプロビンスタウン港という港があります。

アメリカへ上陸しても、目の前には厳寒の荒野が広がっておりました。

二ヶ月以上の航海を終え、疲弊しきった乗員乗客が楽に過ごせる場所ではありません。

しかも原住民とのトラブルを起こしてしまったため陸では安心できず、船内の不衛生な環境で一冬越さざるを得ない状況。

その間にも壊血病や肺病が蔓延し、130人ほどいた乗員乗客の半数近くが亡くなったそうです。

それでも生存者達は、春にはなんとか上陸して生活基盤を築いていきました。

 

「誰もいない土地に行けば生き延びられるかも……」

彼らはなぜ、文字通り命がけの旅に出たのか?

気候や病気のリスクは船旅につきものですから、当然そのことは知っていたはず。

にも関わらず出発せざるを得ない状況――それは当時のイギリスにおける宗教事情も絡んでいました。

前述の通り、メイフラワー号には清教徒(ピューリタン)が1/3程度乗っていましたが、彼らはイギリス国教会から迫害を受けていたのです。

ややこしい話ですが、ものすごくザックリ言うと

イギリス国教会=「ウチの王様は宗教的にも偉いんだぞ!王様バンザイ!」

ピューリタン=「いやいやそれおかしいでしょ。ちゃんとやらないと罰当たるからなんとかしないと」

という感じです。

そしてピューリタンの中にも、

「俺らは頑張って出世して、内側から教会を変えていこう」とする人々(長老派)

「あいつらもうダメだから、どこか居心地のいいところに引っ越そう」と見限った人々(分離派)

という、ふたつの派閥がありました。

メイフラワー号に乗っていたのは後者で、だからこそ危険な航海にも耐える心積もりでいたのです。

ピューリタン(Puritan)という言葉がそもそも「くそ真面目な人」という意味ですので、その意思は頑強だったことでしょう。

では、ピューリタン以外の人々は?

というと、イギリスで仕事を得られず、一か八かでアメリカに賭けたといわれています。

メイフラワー号でアメリカに渡った人の中には、オランダにいったん移住したものの、失敗したためアメリカに……という人もいたとか。

「言語が通じない(通じにくい)国と、そもそも人がいない土地とどちらが生き延びられるか?」

本当に、そんな先が読めない賭けだったわけです。

結果が良かったのか悪かったのかは、なんともいえないところ。

航海中に出産した人も二人おり(ピューリタンだったかは不明)、母は強しというか生命の神秘を感じさせてくれます。

 


未知に挑むのは命がけ

植民地時代=欧米列強が武器を振りかざして乱暴を働く。

そんなイメージが強いですが、行く側も行く側で命がけではありました。

もう少し前の大航海時代ではいろいろな人が「どこそこを発見しました」という話がよく出てきますが、本人はともかく船員の多くが亡くなった記録は珍しくありません。

世界一周したことで有名なマゼランなんて、本人はフィリピンに上陸した際、原住民との戦いで殺されています。

正確に言えば、世界一周したのは彼の船と船員達であって、マゼラン本人ではないんですね。

後世からみているからこそ言えることですが、このくらいの時代が、ある意味ヨーロッパとその他の国が一番公平だった時期かもしれません。

さらに時代が進むと、現地住民との争いや、お互いに免疫を持っていなかった病気やらで、また別の問題が多々起きています。


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【参考】
猿谷要『物語 アメリカの歴史 超大国の行方 (中公新書)』(→amazon
和田光弘『植民地から建国へ 19世紀初頭まで シリーズ アメリカ合衆国史 (岩波新書)』(→amazon
日本大百科全書(ニッポニカ)
世界大百科事典

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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