母里太兵衛

母里太兵衛(母里友信)/wikipediaより引用

黒田家

母里太兵衛と福島正則の日本酒呑み対決!勝ったら日本一の名槍持ってけ!

2024/06/06

慶長二十年(1615年)6月6日、黒田家の母里太兵衛という武士が亡くなりました。

「母里」の読み仮名は「もり」か「ぼり」かで意見が分かれるようですが、皆様、脳内でお好きなほうをご採用ください。

母里太兵衛/Wikipediaより引用

大河ドラマでもお馴染み黒田官兵衛の腹心であります。

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官兵衛が栗山に引き合わせ

母里太兵衛は、黒田官兵衛がまだ織田信長の家臣だった時代に黒田家に入りました。

しかしその年、母の一族である母里家が戦で全滅。

家名が絶えるのを惜しんだ官兵衛によって母里姓を名乗ることになります。

筋骨たくましく暴れん坊だった太兵衛に対し、官兵衛は一抹の不安がありました。

そこで黒田家の中から栗山利安という人物に引き合わせ、言いつけます。

栗山善助の肖像画

栗山善助/wikipediaより引用

「今日からこいつを兄貴と思って指示をもらうように」

この作戦は大成功で、太兵衛は亡くなる直前「栗山殿のおかげで今日までやってくることができた」と感謝するほどでした。

官兵衛の人を見る目って凄すぎなのか、話を盛り過ぎなのか……(´・ω・`)

それはさておき、ここから彼は数々の伝説を打ち立てていきます。

「生涯で76もの首を挙げた」とか、黒田家の名将を並び賞した「黒田二十四騎」と「黒田八虎」に両方選ばれたとか、勇猛な武将であったということを強調するエピソードには事欠きません。

その中でも一番有名なのは、「黒田節」という民謡にもなっているお酒に関する逸話でしょう。

 


「飲み干せたら“日本号”をくだされ」

ときは豊臣秀吉の晩年。

文禄の役と慶長の役の間あたりの出来事です。

伏見にいた福島正則の下に、黒田家の使者として母里太兵衛が行くことになりました。

正則も太兵衛も、大の酒好きなであることを知っていた主の黒田長政は「正則は昼間から飲んでるかもしれないけど、お前は飲むなよ! 絶対だぞ!」(超訳)と言いつけます。

黒田長政の肖像画

黒田長政/wikipediaより引用

案の定、正則は酒を勧めてきて、太兵衛は「仕事中ですし、主に止められておりますので」と辞退しました。

しかし、既に酔ってノリノリの正則。

お約束通り太兵衛にタチの悪い絡み方をします。

「酔って不始末をするのが怖いのか! 黒田家のヤツは臆病者ぞろいだなwww」(超訳)

当時の常識で言えば名誉毀損同然の暴言を吐くのです。

ここまで言われては太兵衛も黙ってはいられません。

彼はこのついでに大博打をしかけます。

 

家宝である“日本号”をくだされ

「ではいただきましょう。その代わり、この大きな杯を飲み干せたら、福島殿の家宝である”日本号”をくだされ」

日本号(にほんごう or ひのもとごう)とは、その美しさと大きさで天下三名槍のひとつに数えられた槍のことです。

元は御物(皇室の持ち物)でしたが、正親町天皇が室町幕府最後の将軍・足利義昭に賜り、その後、信長が譲り受け、いつのまにか秀吉に渡って、このときは正則が持っていたのです。

福島正則の肖像画

福島正則/wikipediaより引用

正則は「(どうせそんなに飲めないだろw)おうわかったわかった、持っていけ! 飲めたらな!」とこの挑戦を受けてしまいます。

立ったー! フラグが立ったー!

母里太兵衛は見事に酒を飲み干す――どころか、同じ杯で三杯も飲み、正々堂々と日本号をもらって黒田家へ帰っていきました。

長政も他の家臣たちもビックリしたでしょうね。いろんな意味で。

ちなみに翌日、酔いが覚めた正則は事の重大さに気付き、太兵衛に「日本号返してくれよ」と頼んだらしいのですが、当然突っぱねられました。あーあ。

 

酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を

この話は小気味良い武勇伝として語り継がれ、いつしか民謡になりました。

ついでに歌詞を全部載せておきましょう。

【黒田節】
酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の この槍を
飲みとるほどに 飲むならば
これぞ真の 黒田武士

峰の嵐か 松風か
訪ぬる人の 琴の音か
駒をひきとめ 立ち寄れば
爪音高き 想夫恋

花よりあかるく み吉野の
春の暁 見渡せば
もろこし人も 高麗人も
大和心となりぬべし

冒頭の勇ましさから一転、想夫恋という女性が男性を想う歌が出てきて、最後は「外国人とも一緒に桜を見て仲良くやろうぜ!」(超訳)と結ぶいい歌ですね。

日本舞踊の振りがついた動画も多々ありますので、歌詞と一緒に見るとより面白いかもしれません。

槍を持ったり、前後に違う歌詞がつくバージョンもあってなかなか興味深いですよ。

 


ゆるキャラも登場! その名は「もりりぃ」

それにしても「酒を飲めないと武士じゃない」という概念は、下戸の人にとってはかなりキツイですよね。

当時のお酒は今より純度が低かったですし、薄めて飲むことも多かったようなので、現代人より飲める人の割合が多かったかもしれませんが。

ついでに言えば、400年経っても酒の失敗を語り継がれる正則ったら……。

まぁ、薙刀持った奥さんに追いかけられたことがあるくらいですから、それに比べればマシ……ですかね?

ちなみに黒田家の豪傑といえば後藤又兵衛もいます。

後藤又兵衛基次の肖像画

後藤又兵衛基次/wikimedia commons

又兵衛が長政と仲違いして黒田家を飛び出したのに対し、太兵衛は生涯仕えました。

太兵衛も一度言ったことは曲げないという頑固なところはありましたが、イヤミなところはなかったのでこういう違いが出たようです。

人間素直が一番ということでしょうかね。

もともと反りが合わなかった又兵衛は、長政を挑発するなどしておりましたので……。

後藤又兵衛基次
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ちなみに兵庫県では、彼にちなんだゆるキャラ「もりりぃ」が生み出されています。

テーマは「おじかわいい」だそうで(→link)。

日本号の逸話を知っていると、「コイツと飲み比べして負けたらなんか取られそう」って気になりますねw 兵庫県の方すいません。

そのうち日本酒のイベントか何かで、もりりぃと飲み比べる機会もある……かも?

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【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
母里友信/Wikipedia
はりま酒文化ツーリズム(→link
民謡えほん(→link

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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