約10年にわたって織田信長の侵攻を食い止めたのは、強大な軍隊を持つ戦国大名――ではなく一向宗を率いた石山本願寺。
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彼らは数多いる信者や僧兵を駆使するだけでなく、和歌山県の雑賀衆なども使って幾度も織田軍を返り討ちにした。
しかし、止まらない織田軍の侵攻についに和睦というカタチで事実上の撤退となる。
もはや畿内周辺に信長の敵はナシ。
この先、食い止めるものがいるとすれば、まずは西の毛利だが、その前に信長は自家のリストラにも着手していくのであった。
大坂炎上
◆織田軍と10年にわたり死闘を繰り広げた石山本願寺。
リーダーの顕如が和歌山県に退去すると、息子の教如が残って抵抗を続けておりましたが、ついに明け渡す日がきました。
彼らは、槍や弓、鉄砲をきれいに並べるなど、寺内をキレイに整え、寺を後にしたのですが……。
その後、松明の火がお堂に移り、その後、三昼夜燃え続けたと言います。
いったい何が起きたのか。真相は炎の中へ。
リストラ
◆佐久間信盛さんと言えば、信長が尾張を統一する前の織田信秀時代から織田家に仕えてきた超譜代家臣の一人です。
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が、石山本願寺の攻略がまったくうまくいかず……働かないものは要らん!
とばかりに、突如、織田家を放逐されてしまいました。
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が、その布石がなかったといえば完全に否定はできないわけで。
以前、信長さんが朝倉義景の軍団を追ったとき、これについてこれなかった家臣の連中を信長が叱ったとき、空気を嫁ない発言してたんすよねぇ(詳しくは上記の記事をご参照ください※記事末にもリンクあり)。
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