アイドルのファンならその人の写真集が欲しくなるのは当たり前。
では、戦国武将・織田信長のファンなら、写真集があれば欲しいと思いません?
もちろん、肖像画はあってもカメラによる写真はない。
だからといって諦めてはいけません。
日本には「古文書」がある――実は、信長ファンの心を鷲掴みにする写真集が柏書房から刊行されています。
それがTOPに表紙が掲載されている『織田信長の古文書』(山本博文・堀新・曽根勇二編→amazon)なのです。

織田信長/wikipediaより引用
一般書としては唯一無二ゆえに
気になるお値段は、税抜き20,000円。
2千円ではありません、2万円です。
「えっ?高くない?」
そんなツッコミが来そうですが、本を開くと、ひろがる中身の圧倒的な「信長ワールド」は、一般書としては唯一無二の本です。
まずはサイズが違います。
通常は縦長で単行本なら1ページはB6版というやつです。
ところが、この写真集は横長でA4サイズ! スペース一杯に写真が使われています。
新書と比べるとわかりやすいでしょうか。

信長の発給文書は約1450通が確認されています。
そのなかで本書は、信長の生涯を知る上で、重要な政策に関するものをピックアップ。
原本が残っているものを中心に厳選された発給文書172通、関係文書4点の合計176点を掲載しています。
本書を雑誌『古文書研究』(82号・2016年12月号)で書評した柴辻俊六さんによると、写真では初めて紹介されるものが多数あるとのこと。
つまり、この本を読むことで、これまで研究者ですら見たことなかった「あなただけの信長の書状」を生々しく見ることができるのです。
強烈すぎる信長のダメだし
さっそくいくつか見てみましょう。
まずは将軍・足利義昭に対してダメ出しをした有名な「異見十七箇条」(元亀3年)です。

実に2ページに渡って、ビッシリと「小言」が書かれていることがわかります。
信長の「怒り」と「いらだち」が理解できるとともに、これを見た義昭の「怒り」も想像できます。
なにしろ最後の17条は「庶民までも将軍はどうしようもなっ!と言っているぞ、おい」と指摘しています。
諸事について義昭が欲にふけり、理非も外聞も気にせずといった様が聞こえている。
そのため土民百姓までもが、義昭を「あしき御所」と評している。
かつて足利義教(よしのり)がその様に噂されたというが、それはまた別の話である。
どうしてそのような陰事を申すのか、このことをして分別をなさるべきであろう。
(本書の解説より)
いくら事実だったとしても、さすがに信長さんも言い過ぎかなぁ、と。
しかも、この文書は私信ではなく、一般に公開されたのです。まがりなりにも将軍様ですから、足利義昭の恥辱は相当なものだったでしょう。

足利義昭/wikipediaより引用
ただし、これは原本ではなく、流布した異見書をみた奈良・興福寺の僧侶が「うわっ、すごいな」と書き写したものになります。
ダメ出しといえば、部下へはさらに容赦がありません。
織田家ファンの方だったらすぐにピンと来るでしょうか。

はい、そうです。
佐久間信盛を責め、追放したときの19箇条のダメ出しです。

『長篠合戦図屏風』の佐久間信盛/wikipediaより引用
石山本願寺攻めを担当していた重臣で、何ら進展がないため、キレてしまったんですね。
明智光秀
羽柴秀吉(豊臣秀吉)
池田恒興
柴田勝家
といった名だたる家臣たちを引き合いに出され、かなりキツく言われました。
本状によると、まず信盛・定栄父子は単に本願寺を攻囲するだけで、この五年間に何の戦功も挙げていないとする。
特に大坂を「大敵」と考えてにもかかわらず、武力をもって攻めることもせず、あるいは調儀・調略も行わずに、相手が長袖(僧侶・門徒)だから、包囲さえすれば、「信長の威光」で退散するであろうと考えていたとも叱責される。
明智光秀や羽柴秀吉あるいは池田恒興や柴田勝家とも比較されて、その戦功が少ないことを指摘されたのである。
(中略)
挙げ句の果て、どこかの敵を攻めて、帰参するか、討死したらどうかとも言われてしまう。
(本書の解説より)
うーーーーーーん。
佐久間さん、辛い……。
桶狭間で討ち取った記念に刀に刻んだ文言
写真として新紹介の文書も複数載っています。

天正3年(1580年)8月頃とみられる個人蔵の書状は、信長の自筆ではないかともされているものです。
武田勝頼と同盟していた小田原の北条氏政が信長に臣従したあと、鷹を献上したことが『信長公記』に載っておりますが、その際の文書の可能性があるそうです。

北条氏政/wikipediaより引用
こうした文書以外には、モノの写真もあります。
たとえば信長が「藤原姓」を名乗っていたときの制札で、以下のページは信長が発給した最古のものですね。
天文18年(1549年)、信長16歳のときで、当時「藤原信長」と名乗っていたという事実がわかる貴重なものです(後に平氏を名乗る)。

面白いものでは、桶狭間の戦い(永禄3年=1560年)のときに今川義元が持っていた刀を戦利品とし、記念にそのことを金象嵌で銘を入れたことでしょう。
それが信長を祀る京都の建勲神社の持つ「義元左文字」です。

表には
<織田尾張守信長>
裏には
<永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀>
と刻まれています。
唯一の自筆書状の宛先は?
最後に、唯一の自筆書状も紹介します。
信長の自筆とされるものは複数ありますが、来歴がはっきりしていて、どの研究者も自筆と認められるのは、この1通だけなのです。
天正5年(1577年)10月2日付の書状です。
松永久秀が信長を裏切ったとき、松永方の城を攻めた細川忠興の武功を褒めた内容です。熊本藩の細川家に伝わり、今も細川家の永青文庫に所蔵されています。

細川忠興/wikipediaより引用
本書は、1ページ1ページに信長の息吹を感じられるだけでなく、それぞれの書状についての詳しい解説が載っており、「あの頃にこんな文書を出したのか」などと、タイムスリップが楽しめます。
信長ファンならば、一生楽しめる一冊。
20,000円を10年、20年で味わえるなら、安い買い物かもしれませんぞ。
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【参考】
山本博文・堀新・曽根勇二『織田信長の古文書』(→amazon)







