織田家 信長公記

天王寺砦の戦いで信長撃たれる!雑賀衆の怖さ|信長公記136~137話

2020/05/12

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天王寺砦の戦い
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勝利すれど原田一族は追放の憂き目に

やはり信長自身の出馬が大きかったのか。

織田軍の士気は回復したようで、大坂方を木戸口まで追い詰めると、2700もの首を挙げたといいます。さすがに誇張が入ってそうですが、天王寺砦の味方も、織田軍も、窮地から脱した喜びが大きかったのかもしれません。

この後、石山本願寺周辺の十ヶ所に砦を造らせ、それぞれに将兵を配置。

中心となる天王寺砦には、佐久間信盛親子・松永久秀親子をはじめとした複数の武将を残し、さらに海上も警戒させました。

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警戒を強めつつ、信長は6月5日に大坂を離れます。

同日に若江へ宿泊し、翌6日は槙島城(宇治市)へ立ち寄りました。以前、信長が足利義昭と最後に戦った場所でもあります。

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信長はこの城を、井戸良弘に与えます。

良弘は大和の筒井氏に仕えていた人で、この時期は原田直政の家臣になっていました。

『信長公記』には細かな記載がないのですが、直政の死後、原田一族は追放処分となり、良弘がその捕縛などで功績を挙げたからだと考えられています。

戦死した原田の一族が、なぜそこまで辛い処遇にされたのか。史料には残されておりませんが、「たかが一揆勢に過ぎない民衆に殺され敗北したこと」に対し、信長が怒りを覚えたからだという見方があります。

【長島一向一揆】や【越前一向一揆】とは違い、【雑賀衆】の籠もる石山本願寺の怖さを、信長はまだ真に理解できていなかったようです。足を負傷しているんですけどね。

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安土への帰還後は……

信長自身は一度京都の二条・妙覚寺に戻った後、7日には安土に帰還しました。

その後は安土城の普請に関する指示を出し、働いた者に金銀や唐物(中国からの輸入品)を下賜するなど、平常に戻っています。

また、同時期に名物「市の絵」を丹羽長秀が召し上げ、「瀟湘八景」を羽柴秀吉が手に入れてきたので、信長は彼らにそれぞれの所有許可を出したとか。

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重臣に名物を与えたり、所有する許可を出すことにより、「領地を与える以外にも、褒美や名誉になるものがある」と示す意味があったのでしょうね。

信長もある程度、褒賞のための領地は残しています。

が、勢力圏が広がればいずれ限界がきます。茶器や絵画などの価値を他ならぬ信長が認めることで、家臣たちに新たな価値観を与えようとしたのでしょう。

時系列としてはもう少し後の話になりますが、”滝川一益が領地よりも茶器の「珠光小茄子」を欲しがった”というエピソードが有名ですよね。

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おそらくその頃には、茶器などに大きな価値を感じる織田家臣が増えていたことでしょう。

次回は、信長が”とあるもの”を造らせるきっかけになった戦闘のお話です。

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【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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