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【謙信の死因】
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この世の栄華も一杯の酒のようなものだ
実子が居ない謙信には養子が数人おりました。
その中から謙信の姉の子・上杉景勝と、北条氏康からの養子・上杉景虎の間で、壮絶な跡目争いが勃発。
【御館の乱】と呼ばれる、この内戦により上杉家はかなりのダメージをうけてしまいます。
上杉家が真っ二つに割れた「御館の乱」謙信の死後に景勝と景虎が激突した結果は?
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結果は景勝の勝利でした。
謙信の跡を継いだ上杉景勝の実力とは?幾度も滅亡の危機にさらされた69年の生涯
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かくして今では批判の対象となることもある謙信の遺言問題も、事前に死期を悟ることの難しい病気であれば、ある程度は致し方なかったのでは?
逆に、ご自身の死期が見えたのでしたら、キッチリと後継者を指名していたのではないでしょうか。
稀代の大名・謙信が後継者問題は疎かにしていたとは考えにくいです(自身の子どもがいないため養子を迎え入れたのは、その対策を考えていた証左でもあるのでは…?)。
我が人生も一睡の夢
最後に謙信が死の一月前に詠んだ詩をご紹介したいと思います。
謙信の誌
四十九年
一睡夢
一期栄華
一盃酒
【意訳】49年の我が人生も一睡の夢のようなもので、この世の栄華も一杯の酒のようなものだ
織田信長と同じく享年49だったんですね。
まぁ、信長の場合は本能寺の変で敗死しており、事情がまるで違いますが。
酒を愛し、(酒と肴が一因の)高血圧性脳出血で早逝した謙信らしい辞世の句ですね。
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しんみりしたところでワタクシは飲み会に行ってきまーす。またね!
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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
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上杉謙信/Wikipedia
「脳出血は冬に多い」 専門医が警告する「隠れ脱水」(→link)