板倉勝重

板倉勝重/wikipediaより引用

徳川家

板倉勝重の生涯|家康に呼び出され37才で武士に転職 のちに初代京都所司代へ

2025/04/28

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猿楽の興行中、粗相をした客にブチ切れ抜刀!?

勝重はなんだかんだ言って戦国の武士でもありますから、温厚なだけの人ではなかったようです。

大坂の役については推進派だったり、禁中並公家諸法度が出たときには指導・監視を強化。

「やるときはやる」タイプだったんでしょう。

出典がはっきりしない逸話の中には「京都の御所で猿楽(能)の興行があり、招待客の一人が粗相をして刃傷沙汰を起こした際、いきなりキレて刀を抜いた」なんてのもあります。

部下が間に入って何とか穏便に収まったそうですが、武士ってやはり怖いですよね。

 


75歳で息子・重宗に職を譲った

そんな感じで血気盛んな面もあった板倉勝重でしたが、さすがに寄る年波には勝てず、75歳で息子・重宗に京都所司代を譲り隠居しました。

亡くなったのが4年後。

当時の寿命や「ギリギリまで現役だった」とみると、かなりタフな人だったのかもしれません。

若い頃はお寺暮らしで質素な生活だったでしょうから、頑健にできていたのでしょうか。

『板倉政要』には息子・板倉重宗についての話も多く記録されています。以前取り上げた後光明天皇に諫言してやり込められた人ですね。

親子共に地味ではありますけれど……知恵の使い方というか心の広さというか、そういうものは現代人も大いに手本としたいところですね。

なお、板倉勝重の息子・板倉重昌は【島原の乱】で諸侯の支持を得られず、

板倉重昌/wikipediaより引用

自爆のような突撃で亡くなってしまいました。

しかし、板倉家が滅びるようなことはなく、明治時代まで家は続いております。

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【参考】
国史大辞典
阿部猛/西村圭子『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
板倉勝重/Wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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