戦乱に明け暮れた日本国内を見事に天下統一した豊臣秀吉は、その後、海を越えて朝鮮に出兵しました。
唐入り、すなわち【文禄・慶長の役】です。
秀吉の目的は明の征服だったとされますが、一体どんな勝算があって大軍を派兵したのか。
明はおろか朝鮮半島に拠点すら無い状態で、なぜ急に攻め込んだりしたのか。
その動機については、後世の我々にとっても摩訶不思議。
しかし、最も困惑したのが、他ならぬ朝鮮と明だったかもしれません。
なぜなら、それまでの東洋秩序からすると、秀吉の行動はあまりに突飛で、異端な行動だったからです。
では明や朝鮮にとって、秀吉の派兵とはいかなるものだったのか?

豊臣秀吉/wikipediaより引用
文禄・慶長の役そのものについては以下の記事に譲り、
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文禄・慶長の役|朝鮮と明を相手に無謀な出兵を強行した秀吉晩年の愚行
続きを見る
本稿では、逆の視点から同合戦を振り返ってみましょう。
隣国へ攻め込むという特異な発想
大河ドラマ『麒麟がくる』の織田信長は「大きな国を作る」という目標に取り憑かれていました。
そもそもは斎藤道三が明智光秀に話したことで、光秀を通じて信長に伝えられます。
二人で地図を見ながら笑いあい、どのくらい大きな国にするか?と語り合う場面があり、最終回でもその回想シーンが流されました。
また、Amazonプライムのドラマ『MAGI』では、秀吉が南蛮の船乗りから西欧諸国の海洋進出について聞いたあと、ニヤリと笑う場面がありました。
二つの作品で比較すると浮かんでくることがあります。
「海を渡り、隣国に攻め入る」という発想が、日本では非常に異質であったということです。
『麒麟がくる』の織田信長は「大きな国」という言葉を国内の領土拡張と解釈。
しかし『MAGI』の豊臣秀吉は、西洋諸国が抱いていた海洋進出を、東洋の日本で応用することを思いついたという描き方でした。
前者は信長の発想であり、後者は西洋の発想を取り入れた秀吉の野望。
そうした特異点を示す場面と言えるでしょう。
鎖国ではなく海禁政策
【大航海時代】という世界史用語があります。
航海技術が発達し、イスラム勢力を避けたいポルトガルが、アフリカ周りの航路を見出そうとしたことが発端であり、欧州各国が海を通じて世界へ。
ご存知のように【大航海時代】とは、あくまでヨーロッパ目線の言葉です。
では東洋は当時どうだったのか?
この時代のポルトガル人が全く理解できない価値観を持っていたのが、中国大陸の明国でした。
この明には高い航海技術があり、例えば鄭和率いる大船団は、当時、世界最高峰の技術と規模を有していたのです。
それでも明は、海外への領土拡張を目指しませんでした。
初代皇帝の朱元璋以来、同国では【海禁政策】をとっていたからです。
前王朝の元国は、グローバル経済が強みですので、陸路も海路も解禁して広い地域で貿易を行っていた。その繁栄ぶりはマルコ・ポーロによってヨーロッパにも伝えられていました。
それを転換したのが、朱元璋の政策です。
農業を国の根幹とする反グローバリズムともいえる政策であり、その影響は日本にも及びます。
それまで自由闊達に行われていた貿易が、明代になると突如禁じられてしまい、その抜け道を模索した結果、多国籍の非合法貿易集団【倭寇】が発生したのです。
明では、永楽帝の時代に鄭和の大船団が派遣されています。
領土拡張が目的ではなく、【朝貢貿易】の促進に主眼が置かれていました。
【朝貢貿易】というと、頭を下げて中国に従うという屈辱的な誤解も生じやすいのですが、実際は中国側よりも、相手国の方が得をするシステムです。
ゆえに、中国側にとって不利益なことが起きれば、ペナルティとして「朝貢貿易の禁止措置」がとられることもある。
明が財政赤字になれば、朝貢貿易による支出をセーブすることも考える。
【中華思想】とは、中国側が周辺諸国に対して大盤振る舞いするシステムとも言えたのです。
日本は中華秩序のいいところどりができる
こうした明による【中華秩序】は周辺国にどう受け止められたか?
上から目線で鬱陶しいものだったのか?
朝鮮半島に関していえば、明確にそうだと言えるでしょう。
韓流時代劇では、中国から官僚が乗り込んできて威張り散らし、朝鮮側がその理不尽さにウンザリさせられる描写はお約束。
ベトナムもそうであり、徴(チェン)姉妹や趙氏貞といった、漢族の支配に抵抗した人物は、国民的英傑と見なされています。
では日本はどうか?
地理的に海を隔てていることもあり、内政干渉もなく、非常に美味しい関係と言えました。
歴史から話は外れますが、春先に飛来する黄砂について、ウンザリさせられる方も多い一方、その副産物として海には豊富な栄養素がもたらされ、海産物の育成に大きなメリットがあります。
それと構図はよく似ていて、大陸から送られてくる文物は日本にとってメリットしかなく、政治に干渉しない【中華秩序】は美味しいことだらけでした。
例えば大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、そんな中華秩序のメリットが示される場面もあります。
西からやってきた、セレブ思考の強い北条義時の後妻・伊賀の方(のえ)。
彼女は、自身が産んだ子を義時の嫡男とすべく暗躍し、暗殺を画策したときの毒は【宋磁】の瓶に保管されていました。
中華の権威を象徴するものであり、対比として夫・義時に目をやると、酒席での彼は国産の素朴な酒器を用いていました。
宋との交易は、すなわち中華の権威を意味するものであり、鎌倉では大量の宋磁が発掘されています。
陶磁器に限らず、鎌倉大仏にしても「宋銭を鋳溶かして作り上げた」という説があるほど。実は、大仏に含まれる鉱物の割合が宋銭と非常に近いのです。
さらに『鎌倉殿の13人』では、日宋貿易をめざす源実朝の狙いを、北条義時が謀略を駆使して阻止していましたが、あれも中華権威を封じるためであったと読み解くことができる。
その辺の詳細については以下の関連記事をご覧いただくとして、
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室町時代に話を進めますと、このとき中国王朝は明に変わっていました。
前述の通り、海禁政策が実施されるようになっていましたが、そこでぬかりなく交易によって権威を強化したのが、室町幕府3代将軍の足利義満です。
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永楽帝の信頼をえた義満は【日本国王】に封じられ、【遣明使】も開始。
明の海禁政策により、他の勢力が貿易を封じられる一方、幕府は堂々と交易ができ、多大な利益を得られました。
その結果、室町幕府のさだめる武士の礼儀作法に中国渡来品を用いることも根付き、中華由来のセンスや教養を身につけることこそ、武士のステータスシンボルともされてゆきます。
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では、室町幕府の権威が低下した後はどうなったか?
【勘合貿易】や【遣明使】が消えても権威は残り続けます。
例えば戦国大名の子息はお寺で教育を受けることが多いですが、当時の禅僧が明由来の漢籍教養を身につけていたというのも大きかった。
こうした流れを見てみると、日本における【中華秩序】の利用法がわかります。
鎌倉幕府にせよ、室町幕府にせよ、徳川幕府にせよ、日本を統一したら権威づけとして中国を用いる。
そんな構想から大きく逸脱していたのが豊臣秀吉です。
中華秩序に挑んだ秀吉
秀吉の特異過ぎる外交政策が露になったのは【九州征伐】の途中のことでした。
天正13年(1585年)に宗義調・義智を通して、【朝鮮通信使】の派遣を求めます。
いざ使節が来日すると、秀吉は朝鮮が服従したものと思い、これで一気に明国まで攻め入ることができると心を踊らせたのです。
秀吉は宣教師に対し、日本統一後の朝鮮と明支配の野心を語っていました。
さらには天竺(インド)、呂宋(ルソン)、高山国(台湾)の支配も視野に入れてたほど。
当時は倭寇の活動領域が拡大していて、航海技術も発達し、宣教師がもたらす情報から、日本にとっても急激に世界が狭くなり、外国が近く感じられるような状況です。
多種多様な情報と刺激を受けた秀吉の価値観が一変してもおかしくありません。
同時に秀吉の場合は、出自の影響も考えられます。
戦国大名の子息として、幼い頃から禅僧に学問を習っていれば『明を支配するなんてどうかしている……』と冷静になれたかもしれません。
しかし庶民層の出である秀吉は、そんな教育を受けていない。
まっさらなノートです。
中国由来の思想がほとんど刷り込まれていないところへ、宣教師から聞いた世界の情勢がインプットされる。
『MAGI』の描写はそうした史実を踏まえたものと考えることができるのでしょう。
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そして、肥前名護屋から朝鮮へ大軍を派遣。
当初は漢城(ソウル)を落とし、勢いよく平壌まで攻め込むものの、明から援軍が派兵されると、伸び切った戦線を保つことができず、すったもんだの交渉と戦闘が繰り返され、最終的には本人が病没。
秀吉の【中華秩序】に対する挑戦は失敗に終わるのですが……さて、残された者たちはどうしたのか。
家康の課題
秀吉の失敗からどうにか信頼を回復させ、以前の中華秩序へ戻ること――それが徳川家康に突きつけられた課題のひとつでもありました。
明と国交を回復した徳川幕府は、徳川家光の時代に中国大陸の動乱に巻き込まれかけます。
明が滅んだ後、残存勢力が清王朝へ対抗すべく、日本に援軍を求めたのです(【日本乞師】)。
幕府はこれを断りつつ、亡命してきた明人は受け入れました。
水戸光圀は朱舜水に傾倒し、そこから【水戸学】の源流となる思想が生じていったとされます。
そうした縁もあってか、水戸藩では我々こそが中華の後継者であるという誇りが育まれていったとも……。
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いずれにせよ戦国時代までは禅僧を通し、武士や支配階級のものであった中国由来の知識は、江戸時代を通して日本に深く浸透してゆきました。
日本の【鎖国】が日本独自とされたのは、あくまでオランダ人の目線から。
【海禁政策】は【中華秩序】では標準的な考え方であり、明も、清も、朝鮮も、日本も、そのルールの中にいたのです。
時代によって変わる日中関係の評価
平和を迎えた江戸時代では、庶民が読み書きを覚え、その結果、大衆文化が花開きます。
政治批判を警戒した幕府は、安土桃山時代に実在する人名の使用を禁じていましたが、創作者たちはそうとわかるよう改名して規制をすり抜けていました。
例えば織田信長であれば「小田信永」といったように。
そんな中、スカッとする出世譚の『太閤記』は人気を博しました。
墨俣一夜城伝説なども愛されます。
しかし、文禄・慶長の役については、そうでもない。加藤清正の虎退治は愛されても、出兵そのものは肯定されていません。
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それが一転するのが、明治時代以降です。
徳川政権を倒したから、その敵だった豊臣政権を誉める――といった単純な逆張りではなく、アジア進出の先例として豊臣秀吉が持ち出されたのです。
儒教教育を受けてきた世代の多い明治時代前半は『あの大国である清に勝利できるのか……』と恐れる気持ちは強かった。
しかし【日清戦争】の勝利により、それが優越感へと変貌。
日本を最上位に置く【中華秩序】が現実化してゆきます。
これがなかなか倒錯したもので、中国の英雄まで自分たちのアイコンにするような、文化的なジャイアニズム(『ドラえもん』に登場する横暴なキャラ由来、「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」に象徴される)が生じる。
日本人の愛唱歌に『星落秋風五丈原』があります。諸葛亮の無念の死を高らかに歌い上げたものです。
今の日本人からすれば、諸葛亮は中国の英雄で、日本でも人気があるという認識でしょう。
しかし、当時の人々は諸葛亮に大和魂を見出してしまった。
まったくもってワケがわかりませんが、日本人の心を感激させるなら、もうそれは大和魂を内包しているんじゃないか?アジアはひとつ、その頂点に立つのは日本人である――そんな倒錯した価値観に陥っていったわけです。
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そして福沢諭吉が掲げた【脱亜入欧】と、こうした日本式【中華秩序】のハイブリッド型思想が拡散し、ついには軍事行動が起こされますが、20世紀の日本も広大な中国大陸を支配しきる力を持ち合わせていません。
長引く【日中戦争】さらに【太平洋戦争】へと突入し、最終的に日本は、かつて経験したことのない壊滅的な犠牲を払うのでした。
そんな痛い目に遭ったのだから、豊臣秀吉なんて「絶対に真似してはならない」――というロールモデルになりそうで、実際はそうでもありません。
戦後の中華人民共和国は【文化大革命】といった政治的な混乱がありました。
一方で日本は新憲法のもと軍事費に国家予算を割くことを抑制しつつ、戦後復興と経済発展に注力。
経済大国となった日本は、アジアの大国という地位を手に入れました。
かつて軍事力で手にしようとしてできなかった日本を頂点とする秩序を、東アジアに築いたといえなくもない時代です。
しかし、その後は経済が停滞し、中国が伸びる時代が訪れます。現在でこそ、その中国も経済発展が足踏みするようになったとはいえ、文化外交面でも存在感が増しつつあります。
★
2022年から日本では、高校に「歴史総合」という科目が新たに設置されました。
従来の日本史と世界史だけではカバーできない範囲を補うものとして注目を浴びていて、近現代史が中心とはいえ、それ以前の歴史を考えなくてもよいわけではありません。
明治以降の日本が、なぜ豊臣秀吉をロールモデルとしたのか。
【中華秩序】から逸脱していたからこそ、そうなったのでは?
と、そこまで思考してこそ、歴史総合時代にも適した戦国時代の見方ができるのではないでしょうか。
アジアの中の日本を見つめ直すことで、理解が深まることもあります。
そうすることで、豊臣秀吉の外交がいかに異端であったかもご理解いただけるでしょう。
👨👦 『豊臣兄弟』総合ガイド|登場人物・史実・出来事を網羅
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【参考文献】
新人物往来社『豊臣秀吉事典』(→amazon)
岡本隆司『中国史とつなげて学ぶ 日本全史』(→amazon)
岡本隆司『世界史とつなげて学ぶ 中国全史』(→amazon)
小島毅『子どもたちに語る日中二千年史』(→amazon)
他














