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【増田長盛】
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関ヶ原の戦い
秀吉の死後、五大老に任じられた徳川家康は、勝手に姻戚関係を結ぶなど、違約と増長を繰り返します。
五奉行にとっては許し難いものであり、その一人である増田長盛も、石田三成らと共に家康阻止に動きます。
慶長5年(1600年)に他の五奉行と共に家康への弾劾状を作成。
さらには五大老の毛利輝元や宇喜多秀家と連絡を取り合いました。外交と取次を得意とした長盛の本領発揮といえましょう。
では、増田長盛は徹底して豊臣に忠義を尽くしたのか?
となると、ハッキリとそうとは言い切れません。
三成と大谷吉継の謀議を家康に報告するといった、東西を天秤にかける動きが見られます。
運命の年となった慶長5年(1600年)。
上杉家・直江兼続の【直江状】を受け、徳川家康が会津へ出立すると、その背後を突くようにして、石田三成、毛利輝元らが立ち上がります。
このとき三成以外の五奉行はどう動いたか?
長束正家は西軍に参加し、南宮山に陣を敷いています。
一方、浅野長政は東軍につく。
前田玄以はあくまで秀頼を守ると主張し、大坂城に留まりました。
増田長盛も大坂城にいて、東軍と西軍の間で様子を見ている状態です。
そして、その結末は……。
東西どっちつかずの末に
西軍の敗報を受け、長盛は剃髪し、家康に許しを乞いました。
しかし、石田三成、長束正家ともども増田長盛は西軍として処断されることとなります。
浅野長政は東軍として所領が安堵され、前田玄以はなかなか複雑な経緯を辿りました。
玄以は、息子の前田茂勝が細川幽斎を捕らえながら、害することなく保護したため、幽斎の子である細川忠興に救われるのです。
恩返しとばかりに忠興が執りなし、「中立」とみなされると丹羽亀山5万石を安堵されたのです。
石田三成や長束正家のように明確に戦ったわけでもないのに、西軍として処断された増田長盛。
彼は高野山に追放されたのでした。
やがて高野山を下りると、岩槻城主・高力清長預かりとなり、そこで悠々自適の余生を送り……とは、なりませんでした。
子の盛次が豊臣への義を貫き長盛も殉ず
慶長19年(1614年)に勃発した【大坂冬の陣】。
そこに増田盛次の姿がありました。増田長盛の子であり、尾張家・徳川義直に仕える人物です。
盛次は東軍として参陣するものの、非常に複雑な状況に置かれてました。
味方が武功を上げると顔が曇り、籠城する敵が奮戦するとむしろ安堵する――そんな心境であり、両軍が和解して、家康がこのことを聞くと、
「さすが、増田の子よ」
と褒め称えたとか。儒教を信奉し、忠義を重んじる家康らしい心根といえます。
盛次はこのあと、主君・義直に断ったうえで致仕。父・増田長盛にも相談し、大坂城に入ると、長宗我部盛親のもとへ向かいます。
盛親の父・長宗我部元親は、秀吉政権に近づいた時以来、増田長盛と近い間柄でした。
盛親の「盛」は長盛より与えられており、烏帽子親にあたります。
盛次は歓迎されたことでしょう。
こうして長宗我部隊の殿軍を務めた盛次は、藤堂高虎の軍勢により討ち取られました。その様は天晴れなものとだったと伝わっています。
しかし、盛次の見事な武士の死と、父の処分は別物です。
父の増田長盛は自害を命じられ、元和元年(1615年)5月27日、豊臣滅亡の歳に最期を迎えたのでした。享年71。
増田長盛という人物は、どうしても影が薄いと思えます。
五奉行そのものがそういう傾向にあり、宿命的なものと言えるかもしれません。
有能な人物であることに間違いはないけれど、どうにも肝心な時の決断が裏目に出ているような……決断力にもスッキリしないものがあります。
五奉行は石高や武力不足であり、対家康の押さえとしては弱いという難点が指摘されます。
しかし長盛は豊臣秀保からの20万石を継いでいた。知行の割り当てを担当していたからには、もっとどうにかできたとも思える。
それが関ヶ原の戦い前夜、東西双方に目配せして、どっちつかずであったことが惜しまれてなりません。
決断を誤り続けた増田長盛は、残されている記録も少ない。
石田三成のような目立つ局面もない。
残念ながら、歴史に埋没してしまった人物といえるのでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
渡邉大門『豊臣五奉行と家康』(→amazon)
渡邉大門編『秀吉襲来』(→amazon)
他