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【竹ヶ鼻城の水攻め】
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一夜堤
◆一般的に秀吉の水攻めって備中高松城だけが知られており、その後、和田竜さんの『のぼうの城』で忍城も一気に有名になりました。
しかし、水攻めは他にもあり、こちらの竹ヶ鼻城に続き、1585年には紀伊(和歌山県)の太田城でも実施。
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敵の首を真綿で締めるように……しかも味方が死なないという戦法は実利が大きく、経済感覚に長けた人物にとっては色々なメリットを感じられたのでしょう。
木曽川出身の川並衆・蜂須賀小六は、ここぞとばかりに頑張った気がします。
竹ヶ鼻城の水攻め
◆実際は不明ながら、ジリジリと大きな展開のない合戦だっただけに、意外とこんな話がマジであったのかもしれませんね。
にしても加藤清正と福島正則の二人は、頼りになるんだかならないんだか……。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!